第2話

 洋太は利発な子であった。齢十歳にして、火薬の製造を習得した。洋太は葉花ようかにとっても又三郎にとっても自慢の息子であった。

「母様見てください。点火薬が出来ました。」

 と、満面の笑みで洋太は手を振って私を見ていた。又三郎は洋太の後ろで慈しみの表情を浮かべて佇んでいた。

「少しぐらい他の子と遊んできても良いのだよ。」

 又三郎が洋太の頭を撫でながら呟いた。生真面目なほど稼業に熱心な又三郎をして、洋太の鉄砲鍛冶に対する姿勢は目をみはる物があった。

 洋太は一歳になる頃には鉄砲で遊んでいた。洋太はよく泣く子であったのだが、鉄砲を与えると不思議と泣き止んだ。

「又三郎さん、うちのせがれには困ったものだね。どうしてああも鉄砲が好きなのか。他の家は、せがれが遊んでばかりと愚痴をこぼすけど、うちでは、稼業意外に目を向けないことに愚痴をこぼす。」

「本当にそうですね、葉花さん。鉄砲鍛冶に興味を持っているのは大変うれしいのだが、うちは棟梁。人付き合いも覚えてもらわねばなりません。」

「少しぐらい多吾作のせがれ達と遊んでくれれば心配しなくてもいいのにね。洋太は人のことになるとからっきしだよ。」

「まぁ、山からやってきた誰かさんに似たのかもしれませんな。」

「いやいや、堺家当主なのに禄に遊びもせずに毎晩毎晩、仕事が終われば家に真っ直ぐ帰ってくる誰かさんに似たんでしょうよ。」

「なら心配しなくて良いではないか。立派な跡継ぎになれますよ。」

「何を言っているんだい。お前さんがなんと呼ばれているのか知っているのかい?」

「なんと呼ばれているのかな。ちょっと忘れてしまいましたよ。」

 二人が早朝の縁側で話していると、家の奥から洋太が現れた。

「父様、母様、おはようございます。」

「そうかしこまらなくても良いんだよ。家族何だから。」

「父様、父様。今日は何を教えてくださるのですか?」

 と、顔を輝かせて又三郎を見る洋太。

「洋太、今日は母様と山へと行きなさい。堺家は銃法も身に付けなければなりません。葉花の狩りを間近で見るのも良い勉強になりますよ。」

「洋太に山は早すぎます。考え直してはもらえないでしょうか。」

「いや、葉花。銃は人殺しの道具だよ。銃を扱う我々はまずそのことを知らなければならない。私も十歳を迎える頃には人を撃った。」

「しかし、そうはいっても山へと入ることには反対です。誰か都合の良い人間を連れてくればよろしいではないですか。」

「母様、私は山へと着いていきとうございます。」

「ほら、洋太もこう言っていることだし連れていってはくれないかい。」

「仕方ないですね。洋太、決して母から離れてはいけませんよ。」

「わかりました。決してお側を離れません。」

 と、律儀に繰り返す洋太を葉花は愛おしく思っていた。


 山の獣は人を攫う。と、この地域の民は口にする。山の獣に攫われるぞ、と言っては子供を躾けていた。

 堺家の銃士は山の獣狩りも担っていた。葉花は火縄銃を背負い山刀を腰にぶら下げ、山の麓まで来た。

 葉花は背負った火縄銃を下ろしてカルカを引き抜く。腰袋に入った火薬と弾を取り、銃身に込めた。

「洋太。少し離れていなさい。」

 と、言い含め葉花は火縄銃を撃った。バァン!と大きな音が山に響く。

「普通の獣はこれで山の奥に逃げて行きます。しかしな、洋太。中には銃声にビビらずにその場に留まる獣もいます。これから狩るのはその獣です。」

 そう言って葉花は火縄の火を消し、火縄銃を背負い直した。

「山の中では、決して母から離れてはいけませんよ。」

「はい、母様。」

 二人は山へと入っていった。


 山狩りというのは、本来は冬に行うものだ。第一に冬の方が肉が美味い。春夏に食べた木のみや動物が脂肪に代わり、食料の少ない冬の時期をそれでやり過ごすのだ。必然、冬の動物には肉や臓腑に栄養が溜まっている。冬眠に入る前後が最も美味しい時期である。次に、冬の時期でないと毛皮は売り物にならない。夏の時期では毛の生え変わりが激しい。すぐに毛が抜ける粗悪品だ。逆に冬の季節は毛もしっかりとした上質の毛皮が取れるわけだ。このことから、山狩りは冬に行われる事が多い。

 今の時期は秋口の始め。まだみずみずしさが残る草木が山を覆っていた。葉花は山刀を振り回しては、ザッザッと音を立てて奥へと進む。

 葉花は内心では獣には出会わないだろうと考えていた。確かに銃声にも怯えない獣もいるが、奴らも後先考えずに向かって来るわけではない。無用な戦いを好む者が生き残れるほど山は優しい環境ではないのだ。だからこそ、音を立てて山の奥へと入っていった。

 山の中腹、栗の木が生い茂る場所までやってきた。

(ここらへんで引き返すか。)

 洋太は肩で息をしている。汗も止めどなく流れており、疲労で限界を迎えつつあることが見てとれた。草木を薙いで踏み固めはしていたものの、十歳の子供には厳しいかった。

「洋太、ここで休みましょうか。」

「母様、大丈夫です。まだ、歩けます。」

「無理はいけません。一休みしたら山を降りましょう。」

 と言って、辺りの草を刈り腰を下ろした。洋太もそれにならう。


 ……ガサゴソ……


 と、わずかに藪をかき分ける音を葉花は耳にした。辺りを警戒する。風が吹いたのか。それとも獣がやってきたのか。

 葉花は洋太を抱き寄せ火縄銃に弾を込めた。火縄に火を着け火ばさみに挟む。洋太は何が起きたかわからないようで、腕の中でわずかに震えていた。

 葉花は洋太を離し火縄銃を構えた。照星の先で数十メートル先の藪が周りとは違う方向に揺れたのが見えた。わずかに頭をみせたそいつに銃弾を放った。

 バン!と大きな音が森に響く。葉花は火縄銃を捨て、山刀を手に駆け出した。

 葉花が藪を切り進めて行くと一体の獣の死骸が足下に転がっていた。にも成りきれていない獣の子供だった。

(今年は不作だったからな。)

 と、葉花は思った。不作の年はこのような獣が増える。山の獣達はそれを喰らう為に山の麓付近まで降りてくる。葉花はその獣の首を切り裂き血抜きを施した。そこまでやって洋太のことが気になった。

 葉花は駆ける。悪い予感がする。もとの場所へ戻ると洋太はどこにも見当たらなかった。あるのは藪を踏みしだいた跡のみ。

 葉花は、血抜きを施した獣に後ろ髪を引かれつつも洋太を連れ去ったであろう獣の跡を進んでいった。

 

 

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