叉鬼

あきかん

第1話

 数メートル先で洋太が食べられている。

 数匹の獣に囲まれて、手足の肉を剥ぎ取られ、無様に腹を貪り喰われて、内蔵が辺り飛び散っている。

 奴らは夢中で洋太を食べていた。月明かりがさっそうと繁る木々の間から漏れて、獣達の姿を浮かび上がらせる。血の池が洋太の周りには広がっているのだろうが、それは夜の闇に溶け込んで見ることがかなわなかった。

 一匹の獣と目があった。ギラギラと欲情した目は私を拒んでいるかのように思えた。これは俺達の食事である。お前に分けるつもりはない、と。

 獣の口からだらだらと血と涎が流れている。肉も内蔵も一緒くたに口にして飲み込んでいる。私の洋太が、どうしてあんな無惨な食べられ方をしなければならないのか。

 もったいない。もったいない。もったいないもったいないもったいないもったいないもったいないもったいないもったいないもったいないもったいないもったいないもったいない……。

 私ならもっと丁寧に食べる。ちゃんと血抜きをし、内蔵を取り分け、皮をはぎ、肉を切り取り口にする。

 それなのに奴らはただ目の前の肉を食い千切るだけだ。憎たらしい。許せない。

 また獣と目があった。私は台尻を頬に当てて照星の先にそれを見た。銃身には弾を詰めてある。火縄の熱を顔で感じる。

 獣を殺してはならない。奴らの食事の邪魔をしてはならない。食べ終えた彼らを見逃さなければならない。

 そうしなければ、洋太の死が虚しいだけで終わってしまう。食べられ消化され奴らの血と肉となり始めて洋太は生まれ変わるのだ。それを私が喰らう。絶対にだ。私の洋太を奪った奴らは許さない。いずれ返して貰う。

 今はこの場を去るしかなかった。背後ではくちゃくちゃと獣達が洋太を喰らい続けていた。


 堺葉花さかいようかは密生する笹をかき分け四つん這いで進んでいた。

 彼女は銃士である。鉄砲鍛冶で名を馳せた堺家に迎えられた彼女は嫡子を産んだ。洋太と名付けたその子はすくすくと育ち、彼女の狩りに付き合わせたのは、ほんの数ヶ月前の事だ。

 その後、一人で戻った彼女は堺家から追放されることは免れた。しかし、彼女はその日以降山へと籠もる。銃弾や火薬、食料などが尽きれば山から下りてくるが、それも月に数度のことである。

 葉花は心身共に限界を迎えつつあった。これまで幾度もあった獣達の襲撃で傷を負い、それが熱を持ち始めた。熱の影響で視野は狭まり、数メートル先の藪がぼやけて見えるほどだ。背負った火縄銃は藪に何度も引っかかるが、それでも葉花は決して掴んだ負い革を放そうとはしなかった。

 二抱えもある苔むした大木の根本に潜り込んだ。葉花は落ちていた枝木を拾い腰袋に入っている布を被せて噛んだ。そして、火薬を取り出し熱を持った左腕の傷にかけて火を点けた。

 ボアッと燃えて閃光で目が眩む。口に咥えた枝木を噛み締めて痛みに耐えた。余りの痛みに意識が遠のく。思えば、山を降りて堺家に戻ってもいいのだ。夫も出迎えてくれはするだろう。

 夫――"堺鉄砲鍛冶5代目当主の銃三郎"と讃えられる堺又三郎のことだ。

「洋太が喰われたというのか。」

「目を離したすきに山の獣に連れ去られてしまいました。」

「獣に攫われてみすみす帰って来たというのか。お主ともあろう者が。」

「獣と言えども種子島で追い払えない類いの者共でありました。一匹だけなら獣の死骸と共に洋太の亡骸も連れて帰ってこれました。しかし、複数となれば私の身も奴らの腹の中へと入ってしまうのは自明。まずは親方様への報告が責務と考え一人で山を降りたしだい。」

「ならば、これからどうすると言うのだ。お主の話が真ならばが洋太を喰ったということだろう。いくら腹を痛めて産んだ子のためとはいえ、お前に山の民が撃てるのか?」

「その点は問題なく。いつものことですので。」

「そうだな。すまなかった。」

 ――山の麓の堺家本宅で夫と交わした会話である。

 それから山狩りの道具を身に着け山へと戻ろうとした。

「洋太の事は残念だ。しかし、おまえが山に戻る事も無かろう。子宝ならまた出来る。考え直してはくれんか。」

 そう呟く夫を後目に私は堺家を出たのだ。いまさら手土産もなく戻れるはずがない。

 ふと、覚醒した。日は傾き、森は闇の影が落ち始めていた。見上げれば空は茜色に染まって寄りかかっている大木の梢が放射状に黒く広がっているのが目に入った。

 火を焚かねば、と葉花は思った。夜の山は危険だ。夜行性の動物と出くわすと命の危険がある。小枝を集める。そこに火薬をまぶして火打ち石で火を灯した。

 パチパチと枝を燃やす火を見つめながら今夜は眠ることにした。ここであの獣と出くわせば命は無いかもしれない。しかし、この疲労を抱えたままと戦うほど堺葉花は愚かでもなかった。


 なにか物音がした――あたりを見回して周囲を窺うが異変は感じられない。まだ体調が回復しておらず、頭がボーとする。

 闇の中で、洋太が現れた。笑った顔で、こちらに手を振る洋太がいる。

「母様、会いたかった……僕、もうすぐお側に参ります。」

「そんなことより、数年ぶりに会ったんだ。もっと顔をよく見せておくれ。」

 縋るように声をかけたが、洋太は湯気のように霧散して、姿をくらました。


 藪を踏み分けるかすかな音がした。今度は気のせいではない。何者かがこちらへと近付いてくる。反射的に種子島を掴み、構えた。

 約五メートルほど先の笹藪を踏みしだき、獣が姿を現した。背を曲げ四つん這いのように歩く獣は、洋太を喰らったあの獣であった。

 体長は目測で1メートル60センチぐらいか。私より体格は劣るだろう。しかし、それは私より力で劣る事を意味しない。むしろ、その力は私を超えるだろう。

 距離をとる必要がある。私は獣を観察した。

 奴はこちらに気がついてない。いや、こちらに気がついてはいるが関心がないのだろう。よく見れば獣は笹藪に隠れた獣道を歩いていた。

 私は距離が開くのを待った。時間にして二十秒。それが私が玉を込められる最低限度の時間だ。逆算すれば、銃を撃つまで三十秒はほしい。

 いや、そもそもこの機会に撃つのは分が悪い。息を殺して奴が立ち去るのを待つ。ガサッガサッと藪をかき分ける音が徐々に遠ざかっていく。その間、葉花は洋太の生きていた姿を思い返していた。

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