魔法の袋

ピエレ

 魔法の袋

 宵闇を揺るがす花火の音に誘われ、モンタは近くの神社へ出かけました。

 今夜は夏祭り、道には出店が並び、焼きトウモロコシやイカ焼きの匂いが、モンタの鼻から入って来て胸の奥まで焦がします。近くでラムネを開ける音も聞こえ、モンタは思わず生唾を呑みました。欲しくてたまらないものばかりですが、貧しい母子家庭で育つモンタのポケットには、三十円しかありません。モンタのために苦労が絶えない母に、お小遣いなどせがめずに家を出てきたモンタなのでした。

 全財産の三分の一を賽銭箱に放って、モンタは神さまに手を合わせました。

「神さま、どうかおいらにも、イカ焼きを食べさせてください」

 願いは叶えられず、打ち上げ花火や船太鼓や盆踊りをながめているうちに夜遅くなってしまいました。母に怒られます。モンタは夜店の間の人込みをかき分け、走って帰りかけました。その時です。急ぎ足の白いあごひげの老人にぶつかってしまい、絡み合って倒れたのです。モンタは頭をくらくらさせながらも謝ろうと相手を見ました。だけど老人は、「もんがしまる」と妙な言葉を吐きながら立ち去るのです。立ち上がりかけたモンタは、目の前に黒い布袋が落ちているのを見つけて拾い上げました。そして持ち主を捜しましたが、老人はつむじ風のように消えていたのです。


 一年後の夏祭りの夜、その袋を拾った場所のすぐ横に、お面売りの店が出ていました。実に巧妙に作られたお化けのお面が並ぶ台の上方に、大きな張り紙があり、黒い布袋の絵が描かれ、こう書かれてありました。


  さがしものアリ。

  黒の布袋。

  大切なものナリ。

  届けてくれたら、お礼するナリ。


 お面売りの男は、白いあごひげの老人で、張り紙を見入るモンタを見て、何か感じたようです。

「この袋を知っているのかい?」

 と怖い目を光らせて聞いてきました。

「知らない」

 とモンタは声を震わせて答えていました。

 だけど、張り紙の『お礼するナリ』の一文が気になって、尋ねずにはいられません。

「ねえ、もし、この袋を見つけてきたら、何をくれるの?」

 老人は顔をしわくちゃにして笑いました。

「ここにあるお面の中で、好きなものをあげるよ」

 モンタは、のっぺらぼうのお面をかぶって友だちを驚かせる自分を想像して、胸を躍らせました。

「でもね・・」

 と老人は怖い顔に戻って続けます。

「もしあんたが、この袋を見つけたら、ぜったい中にものを入れちゃいけないよ」

「どうして?」

 とモンタは聞きました。

「この袋は、ある銀行の貸し出し袋で、あんたが使うには、幼すぎるからね」

 と老人は答え、薄気味悪い笑いを浮かべました。

 モンタは疾風のように家に帰り、机の引き出しを捜して、その布袋を見つけました。ためしに十円玉を一つ、袋に入れてみました。すると不思議なことに十円は消えてしまったのです。袋を裏返しても、何もないのです。

「こんな袋、早くお面と取り替えてもらおう」

 モンタは神社へと走りました。でも、夜店が並ぶ通りまで来た時です、袋を持った手に違和感を覚え、立ち止まりました。いつの間にか袋がひどく重くなっているのです。袋の中を見た少年の瞳が、満月のように膨れあがりました。十円玉がぎっしり詰まっているではありませんか。

 どうして、とはモンタは考えませんでした。モンタが思い悩んだのは、この袋を老人に返すべきかどうかだったのです。

「ぜったい中にものを入れちゃいけないよ」

 と言った老人の怖い顔が思い出されて、モンタは身震いしました。

「この袋の秘密を知ったことを知られたら、おいらはひどい目にあわされるかもしれない」

 モンタはお面売りの老人を避け、夜店でイカ焼きを買って食べました。同級生のマルオとユウキに出会い、焼きトウモロコシもラムネもたくさん買って、一緒に飲み食いしました。

 こんな幸せな夜はない、と思っていたのに、帰りの暗い道で、あの白いあごひげの老人にばったり出会ってしまいました。

 モンタが袋を持つ左手をとっさに腰の後ろに隠して固まっていると、老人の目が闇に蒼く光りました。

「あんた、れいの袋を知っているね?」

 そう問い詰められて、モンタは声も出せず、恐怖に震えるように首を横に振っていました。

 すると老人の目が鬼のように赤く見開かれて迫ってきます。モンタは腰が抜けそうになりながらも、ガクガク揺らぐ膝を懸命に動かし、老人の横をすり抜けて逃げようとしました。だけどしわだらけの手が伸びて、モンタの右手の指をつかんだのです。

「うわあ、うわあ」

 モンタは悲鳴をあげて振り払おうとしました。だけど老人の指の力は人間とは思えないくらい屈強なのです。まるで大きな機械の歯車に巻き込まれたかのように指が離れません。劇痛と恐怖で気が変になりそうです。それでも死に物狂いの絶叫で腕を引き、老人から離れると、モンタは振り返ることなく走って逃げました。心臓が破裂しそうでしたが、走って、走って、家へと逃げ込みました。

 ばたりと畳に倒れ込み、モンタはしばらく目が回って動けませんでした。だけど急に彼の目が見開き、立ち上がると、家の中を何やら探し回りました。ついに仏壇の引き出しに母の財布を見つけ、一万円札を一枚、抜き出しました。そしてそれを黒い布袋に入れたのです。中を見ると、果たしてお札は消えていました。その時、モンタは右手の指の異変に気付きました。人差し指が、根元から無くなっているではありませんか。すでに血は固まっていましたが、もぎ取られた熱い痛みは残っています。どうしようかと戸惑っているうちに、黒い袋は風船のように丸く膨らんでいました。

「やっぱりこれは、何でも増やせる魔法の袋なんだ。だとしたら、失った指も増やせるかもしれない」

 モンタはそうつぶやきながら、袋の中から数え切れない紙幣を全部抜き出し、右手の先を布袋に入れてみました。すると麻酔をうたれたかのような睡魔に襲われ、いつの間にか眠ってしまったのです。

 どいれくらいたったのでしょうか。何ものかの気配を感じて目を開けると、部屋の照明は消えていて、窓から差し込む月明かりが、目の前に座る白ひげの老人を照らしていました。

 モンタは老人に哀願しました。

「おいらの人差指を、返してください」

 老人は長いひげを気難しそうに触りながら告げました。

「わしらは、あんたに、あんたの右腕にあたいするお金を貸し出したんじゃ」

「右腕って?」

 モンタはぎょっとして自分の手を確かめました。右手が布袋の中にすっぽり入っています。恐る恐る左手で袋を取ると、右腕が肩の先から無くなっているではありませんか。モンタが涙を流しながら絶句していると、老人は恐ろしい笑みを頬に浮かべて言います。

「現在、わしらの国では、手足の他に、心臓や腎臓や脊髄、それに目玉も不足しておるから、もっとその袋を使うがいい」

 モンタは袋を老人に投げつけ、かたわらの紙幣の山を指さして言いました。

「このお金、全部返したら、おいらの右腕、返してくれますか?」

 白いあごひげの老人の「ほう・・」というしわがれた声と蒼々と見開いた目が、モンタの胸に突き刺さって来ました。

「ならば、そのお金か、この右腕か、あんたが自分で選ぶがよい」

 そう言う老人の手にモンタの右腕が現れ出でて、闇に白く浮かび上がりました。

「おいらの・・」

 と言いかけて、モンタは葛藤しました。

 母の日々の苦労が胸に痛いからです。借金を抱え、モンタのために毎日馬車馬のように働き続ける母にとって、このお金はどんなに救いになることでしょうか。

 それでもモンタは、泣きながら言いました。

「おいらの、右腕、返してください」

 すると老人は、薄笑いを浮かべながら闇の向うへ去って行きました。


 すべては夢だったのでしょうか。

「モンタ、起きなさい。朝ご飯、できてるわよ」

 と言う母の声でモンタは目覚めました。

 周りを見ても、一万円札の山はどこにもありません。右腕もちゃんと肩からついています。人差し指も少し蒼くなっているだけで、もげてはいませんでした。

「母ちゃん、ごめんなさい」

 モンタは母に謝りながら、部屋の隅に落ちていた黒の布袋を拾って、小さく畳みました。

「あら、何がごめんなさいなの?」

「おいら、母ちゃんにもらったこの手足、大事にするから。そしてこの手で、恩返しするから」

 モンタは両手をグルグル回しました。

「変なこと言っていないで、ちゃんと夏休みの宿題、終わらせなさいよ」

 母はそう言うと、今日も仕事へと出かけました。

 モンタは朝食を食べる前に、机の引き出しを開け、黒の布袋をさらに畳んで、いちばん奥へとしまうのでした。



  











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魔法の袋 ピエレ @nozomi22

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