愛を食す

 赤ずきんと若い狼が到着したのは、焼け野原のような赤い森だった形跡が残された土地。

 新しい芽が出て、植林された部分もある。

 肌同然の森には真新しい小屋が建っている。

 フード付きの赤いコートを羽織り、パンツスタイルの赤ずきん。

 穏やかな瞳で土地を眺める。


「随分、変わった景色だね。森林火災でも起きた?」

『火災、こわい……』


 狼はふさふさの尻尾を後ろ脚に挟んで喉を鳴らす。


「うーん乾燥地帯でもないけどね。すぐ近くに町がある」


 密集した家々と出入口の小さな門。

 リンゴが鈴なりになる季節を迎えた果樹園とトウモロコシ畑の小道がよく目立つ。

 奥には墓地が見えた。


『り、リンゴだぁ』


 涎を垂らして美味しそうに琥珀の両眼を輝かせる。

 ふふ、と笑みを漏らす赤ずきん。


「こりゃリンゴをたくさん買えるかも。もしかしたらここが狼クンの居場所?」

『赤ずきんも一緒だよ!』

「もちろん」


 一人と一匹は町の門に進んだ。

 門番の男は目を丸くさせる。


「アンタはっ⁉ あぁ、人違いか。珍しい狼まで」


 男は辺りを警戒するように首を振ったあと、声を落として赤ずきんに呟く。


「ここの狩人はヤバい奴なんだ、悪いことはいわん、町に近づくな」

『どうして? ボクは人を食べようなんて思わないよ?』


 無邪気な声を出した狼に驚く。


「食料と弾薬を購入してすぐに立ち去ります。この子は分別ある賢い相棒なんです、少しだけ入らせてもらえませんか?」

「しゃべった……あの狩人は些細な違いで銃を下ろす奴じゃない。町に来ることは早々ないが、長居しないようにな。お嬢さんも」

『ボクはペットじゃないよー』

「ありがとうございます、それでは失礼します」


 門を開けてもらい、町の中に入る。

 とうもろこし畑の小道を通り抜けると、町の営みが見えてきた。

 住民は赤ずきんと狼に目を丸くさせて、怯んだように動きを止める。


『こんにちわ!』


 無邪気な挨拶に、


「え、しゃべってる……こ、こんにちは?」

「あーこんにちは」

「ど、ども」


 揃って戸惑いながら返す。

 中央はお店の通りとなっていて、食料品店、飲食店、雑貨店、銃火器店が集まっている。


「都と一緒ぐらい賑やかだ」

『うん、なんだか懐かしい感じする』

「そうだね。さぁ、早く買い物を済ませよう」


 食料品店に入ると、ふくよかな女店主が笑顔でいらっしゃいませを言う。

 店内はリンゴを使った特産が多く並ぶ。

 リンゴジャム、リンゴジュース、一〇種類に分かれたリンゴの品種がケースいっぱいに積まれている。


「あっ……あぁ、あらあら珍しい子を連れてるんですね」

「はい、何でも屋をしながら各地を歩いています。この子は大切な相棒なんです」

『こんにちは!』

「おやおや喋るなんて賢い子。でも、この町の狩人には気を付けてください」


 表情を曇らせ、店主は門にいた男と同じことを言う。


「その狩人さんは、人食い狼さんに何かされたとか?」

「随分前ですが、奥様が殺されたんです」

「なるほど、十分な動機ですね」

「えぇ誰よりも憎んでいることでしょう、埋葬したその日の晩に掘り返されたそうです。人食い狼の仕業だと騒ぎ、森に火をつけたことも……あの焼け野原に近づかないようにしてくださいね」

「ご忠告ありがとうございます」

『ありがとう!』


 リンゴをいくつか、赤ワインと干し肉を購入して食料店から出る。

 紙袋を狼が背負うリュックに入れ、今度は銃火器店へ。

 口ひげの細身の男店主がニコニコと迎えてくれる。


「おー噂の喋る狼とお嬢さん。いらっしゃいませ」

『こんにちは!』

「はいはいこんにちは。えーと、これとこれね」


 赤ずきんの背中にあるボルトアクションライフルと腰ベルトに吊るされた銃身が短いダブルアクションリボルバーを見てすぐに男店主は二種類の弾薬を取り出した。


「どうも、人食い狼さんは今もいるんですか?」

「時々ですがね、まぁ町の狩人が掃除してくれてますんで安心してください」


 銃弾を購入した赤ずきんはトウモロコシ畑の小道に足を進める。


『ねぇねぇ赤ずきん、リンゴの木があるところ見てもいい?』

「いいよ、農家さんが手塩に掛けて作ってるから勝手に食べないようにね」

『分かってるよ。ボク、そこまで子供じゃないもん』

「そうだね、ごめんごめん」


 反対側、通りを抜けて真っ直ぐ進めばリンゴの果樹園に到着。

 町の外寄りに位置しており、柵で囲んでいる。

 空に向かって伸びた木に鈴生りの真っ赤なリンゴが葉よりも多く顔を出していた。

 狼は涎を垂らしながら琥珀の両眼を輝かせた。


『美味しそう! りんごがいっぱい!!』


 ふさふさの尻尾が横に払うように動き回る。


「こんなに生るんだ……なんだか懐かしい気分」

『なつかしい?』

「うん、私が生まれた村にも果樹園があるんだ。なにもかも他より小さいけど」

『生まれた村、どこにあるの?』

「多分国境沿いの谷近くにあったかな、リンゴが美味しい以外取り柄のないところだよ」

『リンゴが美味しい? ボクもいつか行きたい!』

「どうかなぁ、もう一〇年も前だから、今もその村があるか分からないよ」

『そっかぁ、でもいつか寄ることがあったら行こう!』


 無邪気な言葉に微笑んだあと、ふふ、と漏らす。


「そうだね」


 静かに答えた。

 穏やかな瞳は果樹園の近くにある墓地を映す。

 外側からも入れるように小さな門が設置されている。

 墓石を前に祈るように佇む人影が見えた。

 ボルトアクションライフル銃を提げた大きな背中。ボロボロのダッフルコート。

 白髭をたくわえた横顔には赤く爛れた痕が残っている。

 赤ずきんは微かに表情筋を硬くさせて、踵に体重を預けた。


「そろそろ町から出ようか、狼クン」

『うん、分かった!』


 トウモロコシ畑がある町の正面側へ早足で向かう。


『どうしたの赤ずきん』

「まぁ、ちょっと、ね」


 門の外にいる男は、


「お嬢さん、大陸は広いから大変だろうけど旅のご加護がありますように」


 祈るように両手を合わせて握り締める。


「ありがとうございます」

『ありがとう! またね!』


 焼け野原を避けるように、歩いてきた道を戻る。


『赤ずきん、どこに行くの? そっちに行ったら戻っちゃうよ』

「回り道しよう。町のみんなが言ってたでしょ、ここの狩人さんは狼さんを憎んでいる。狼クンの姿を見たら躊躇なく撃つ。それだけは避けたいから」

『う、うん』


 焼け野原になっていない森の中を進む。

 茂みを掻き分ける音が聞こえる。


『ここら辺も人食い狼のニオイがあんまりしないね』

「狼クン、無駄話をしてる暇はない。前を進んで、とにかく真っ直ぐ歩いて」

『え、う、うん、赤ずきんが言うなら』


 赤ずきんより前に出て、狼は軽い足取りを続ける。


『ヘンリエッタぁ!!』


 響き渡る、渇き切った低い声。

 誰かの名前を叫んでいる。

 肩が跳ねた。

 動きが一瞬鈍りかけた赤ずきんは、リボルバーを抜いて走り出す。


『待ってくれヘンリエッタなのか!?』


 森を騒がせる大声に、狼は振り向く。


「真っ直ぐ走って!」

『う、うん!』


『待てぇ!!』


 爆裂音が野鳥を羽ばたかせた。

 前方を狙って放たれたライフル弾は細く長い木を削り、鈍い音を立てながら落下。

 他の木々や岩、土を巻き込んで降り注ぎ、狼の目前を塞ぐ。


『あ、赤ずきん、前が』


 赤ずきんは眉を顰め、狼が背負っているリュックを外す。

 キャンプ道具一式が入ったリュックを森に置く。


「狼クンなら簡単に飛び越えられる、先に行ってて」

『そ、そんなのできないよ、赤ずきんに何かあったら』

「隠れていて、君が見つかった方がややこしいの」

『でも、でもでもでも』


「ヘンリエッタ!!」


 とうとう声の主が赤ずきんと狼の前に現れた。

 ボロボロのダッフルコート、軍帽に白い髭と顔に残った大きな火傷の痕。

 ボルトアクションライフルを両手に持って、肩を上下に大きく揺らしながら、赤ずきんを上から睨んだ。


「残念ですが、人違いです」

「人違いなものか、お前は俺の妻だ。あの時、墓から蘇ったんだろう?」

「死者は生き返りません。他人の空似というものです」

「あり得ん、似すぎている。フードを外して素顔を見せてくれヘンリエッタ」


 赤ずきんはフードを捲り外す。

 金髪のおさげ、青い瞳、やや尖った顎、頬には微かに掠り傷が残っている。


「あぁ、ヘンリエッタだ」

「狩人さん、先程アナタは墓地にいませんでしたか?」

「そうとも、空っぽの墓にな。お前が見えた。遠くからでも、フードで隠れていても俺には分かる」

「人違いですよ、すみませんがアナタのことは何一つ知りません」

「ヘンリエッタ……何故、そんなことを言うんだ」


 ジリジリと歩み寄る。

 赤ずきんはリボルバーの銃口を向けた。


「これ以上は撃ちますよ」


 狩人も反射的にボルトアクションライフルを構える。

 ハンドルを前に押して戻し、ハンドルを右に倒す。


「どういうつもりなんだ、ヘンリエッタ……」

「自己防衛です」

「何を言っている、一緒に帰ろう、お前だけなんだ愛しているのは……ヘンリエッタ、お前がいてくれさえすれば何も、何もいらない……頼む、ヘンリエッタ!」


『あ、赤ずきん、危ない!!』


 焦りに痺れを切らした狼が声を出す。

 狩人の脚に噛みついてしまう。


「ぐ、あぁ! お、狼ぃ?! ま、まだ、まだ生き残っていたのかぁああ!!」


 狩人は顔を歪めるほど険しい表情を浮かべ、ライフル銃を狼に向けた。

 赤ずきんは顔を青ざめ、前へ踏みこむ。

 爆音と破裂音が、森に響き渡った……――。









 若い狼は目を覚ました。

 何かが覆いかぶさっている。

 尖った耳を動かし、顔を起こす。


『……赤ずきん?』


 焦げた臭いが鼻腔を刺激する。

 狼の胴体を覆う赤いコート。

 辛うじて聞こえる吐息。


『赤ずきん!!』


 体を起こすと、重みで落ちていく。

 腹部を血で染め、穴が開いてしまっている。

 穏やかな青い瞳を細め、狼に微笑んだ。

 息切れと掠れた声。

 

「やぁ、無事だった?」

『血、血が……赤ずきん、しっかりして!』


 横を見れば狩人は、仰向けに倒れていた。

 右の眼球を貫き、顔中を血で濡らしている。

 そして、血の臭いに集まり出した人食い狼達。

 狩人を先に餌と捉え、服を噛み千切り、皮膚と実を喰らい始めた。

 狼は喉を震わしてしまう。


『あ、赤ずきん、逃げよう! このままじゃ、このままじゃ』

「狼クン……逃げて、私はこのまま失血して死ぬ、それか食われる」

『そ、そんなのダメだ、生きてくれるって約束したのに! 嘘つかないで!!』


 駄々をこねる口調で、狼は赤ずきんのコートを銜えて引き摺る。

 喉を鳴らしながら必死に引っ張った。

 狼の体力では遠くまで逃げることができず、途中で息を切らしてしまう。

 なるべく人食い狼から引き離し、道中で口を緩めた。


「私は……嘘つきだよ」


 赤ずきんはポシェットから手紙を取り出した。

 

「君の親が亡くなったのは、私のせい」

『そんなの関係ないよっ! ボクに必要なのは赤ずきんだけ!! お願い、一緒に旅しなきゃ、故郷に連れてって、お願い、お願いお願い!! いやだいやだいやだ!!』


 赤ずきんは狼を抱き寄せ、右目に口づけをする。


「愛している……よ、だから、どうか生きて」


 ずるり、と抜けていく腕。

 溢れ出る血が森に小さな水溜まりを作る。

 琥珀の両眼から漏れる涙。

 ボロボロと赤ずきんの亡骸を濡らす。


 しばらく泣き続けた。


 狼は大きな口を開け、鋭く太い牙を剥き出しに食す。

 




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