モーリスとウラⅢ
赤ずきんは大きな家をもう一度見上げた。
二階右、玄関側の部屋の窓、締め切られたカーテンで内装を見ることができない。
「どうした? よそ者、早く来い」
門番に声をかけられる。
「あそこの部屋はモーリスさんの部屋でしょうか?」
「あぁ、それがどうした?」
「いえ、今も誰か住んでいるのかと思いまして」
眉を顰めた門番。
「おかしなこと言ってんじゃねぇよ、はやく仕事済ませろ。腹空かせた兄弟が待ってんだろ」
赤ずきんは思い出したように頷き、町の外に出た。
ウラの手帳をもう一度開く。
利き手とは逆の手で書いたような字が続く。
見本のように丁寧な字もある。
落書きもあり、ぐしゃぐしゃな円がいくつも重なり、円の下には耳と尻尾を生やした人物と、少し背の高い人物が描かれていた。
次のページは赤い字で書き殴られている。
眉を微かにピクリと動かし、赤ずきんは手帳をポーチに戻す。
森の狭い出入口に向かう。
少し前まで居座っていた男の姿が消えていて、土は赤で湿っているだけだった。
ガサガサガサガサ、と激しく擦り合う茂みの揺れる音が近く、赤ずきんは銃身の短いダブルアクションリボルバーを抜いた。
葉が散る瞬間、破裂音が森に響き渡る。
掠め、涎を零しながら震える人食い狼の喉に熱を持つ銃口を突きつけ、木に押し付けた。
『ぐるぅあう……』
怯えた様子の人食い狼。
赤ずきんは小さく唸ったあと、手を緩めた。
その隙に振り払うように身を捩り、逃げ出していく。
飛び出してきた茂みを見れば、草や土を抉り踏んだ獣道ができていた。
赤ずきんはリボルバー銃を片手に持ったまま辿る……――。
狼は森の外に出た。
琥珀の両眼にはレンガで造られた町が映る。
辺りを見回しても赤ずきんはいない、待っている暇もなく慌てて町に入り込んでいく。
路地裏から侵入し、積まれた台を踏んで、ダクトを乗り越え屋根に上る。
大きな家が視界に入った。
リボルバーを携帯している団員が周りを巡回。
屋根から大きな家の敷地内に侵入しようと地面を蹴ってジャンプ。
狼が予想していた以上に距離があり、上体だけがレンガの塀を乗り越えた。
後ろ脚は塀を掻くように蹴り、爪とレンガの摩擦音が鳴ってしまう。
爪によってレンガの一部が剥げて、欠片がボロボロと落下。
「あぁ?」
音と欠片に気付いた団員は見上げた。
団員の視界にはふさふさの尻尾だけが揺れ、塀を越えていくのが映り込んだ。
「お、おぉ? ウラ?」
団員は呆気にとられる。
すぐに首を振って、
「ウラが、部屋から抜け出した、のか? そんな、馬鹿なっ」
団員達は静かに騒ぎ始めた。
狼は無事に侵入することができ、大きな家の庭を見回す。
芝生に真っ直ぐに立つ狼の銅像が置かれている。
ローブに身を包み、全体を隠すが大きな口と鋭い牙が目立つ。
狼は喉を鳴らす。
駆け付けた団員達はリボルバーを手に銅像ごと囲んだ。
「ウラじゃない。けど、人食い狼でもない、どうする?」
「団長に確認を取れ」
「ウラの子供か?」
「バカな、赤ん坊のはず、それにウラはもう……」
口々に言う。
「騒がしいねぇ、何やってんだ!」
鼻にかかった声が庭に響き渡った。
ライフル銃を両手に持ち、ブーツで芝生を踏む。
ショートカットでメガネをかけ、頬には縫い傷がある女性ニコール。
「団長、狼が」
「……狼? へぇ、こいつは驚いた、赤ずきんの相棒かい?」
『赤ずきんを知ってるの?』
狼が喋ったことに団員達は、驚愕を乗せて騒ぎ出す。
「黙りな! ウラだって喋ってるだろう、今更なに驚いてんだか……坊や、赤ずきんは今アタシの依頼をこなしてもらってる。ここに赤ずきんはいないよ」
『え、そうなの? 依頼? モーリスが先に依頼したのに』
ニコールは鼻で笑う。
「モーリスと会ったわけか、弟はなんて?」
『…………言えない、依頼は、言っちゃダメだから』
「ふん、ちゃんと躾されてエライじゃないの。けど喋る狼ってのはどうも気味が悪い、念のためこいつも部屋に閉じ込めておけ」
団員達の手が狼を襲う。
狼は牙を剥きだしに威嚇するが、怯まない。
『やめてよ、やめてってば! うぐ、ぐるぅ、ぐるるるぅ』
抵抗空しく狼は簡単に捕まってしまい、二階の部屋へと連れられていく。
リュックを取られ乱暴に投げられ、扉を固く閉ざされた。
鍵をかけられて、狼が何度扉を押してもビクともしない。
『そ、そんなぁ、赤ずきん、助けて……うぅ』
お座りの姿勢で、弱々しく鳴いた。
すぐに鼻腔は錆びたような臭いで支配される。
起き上がって室内を見回すと、血まみれのベッドがあり、壁や絨毯にも飛び散っていた。
さらに、奥の壁には腹を縫われた灰色の毛をもつ人食い狼がいた。
前脚に手錠をかけられ、壁に張り付けられている。
後ろ脚には釘が打たれていた。
胸は深い呼吸を繰り返す。
『だ、誰?』
『…………う、ラ』
『ウラ? ウラなの? モーリスの奥さん?』
『も、もう、りす』
喋るのがやっとなのか、高い声色は途切れ途切れ。
『良かった、生きてたんだ! モーリスがね、赤ちゃんを守る為に依頼を』
『赤ちゃん? わた、しと、もー、りすの赤ちゃんが……生きてる?』
『うん、カゴの中で眠ってるよ!』
ウラと名乗った人食い狼は涙をボロボロと零し始めた。
『あぁ……ダメなの、赤ちゃんが……生きてるなんて』
『ど、どうしてダメなの?』
『お願い、赤ちゃんを、殺して……』
振り絞るように言い残し、ウラは力なく顔を下に向ける。
『ウラ? ウラ!? ねぇ、どうしたの?!』
狼の問いかけに、ウラは何も言わなくなってしまう……――。
森の更に奥の奥、少し開けた場所に小屋があった。
赤ずきんはリボルバーを持ったまま、穏やかな瞳を保ち、吸う。
小屋の扉をゆっくり押し開けた先には、我が子を愛おしく見つめるモーリスの姿があった。
「何の用だ?」
目つきを鋭くさせ、モーリスは切れ味鋭い内反りのナイフを抜く。
「貴方の愛には感銘を受けてしまいます。とても、素敵な方なのでしょう、ウラさんも貴方も」
「この声、アンタが赤ずきんか。依頼はどうなったんだ?」
「依頼は黙秘させて頂きます。そして、すみませんモーリスさん」
赤ずきんは下に銃口を向けて発砲。
「のぉああぅう!!」
脚を撃ち抜かれ、モーリスは悲鳴をあげた。
その場に倒れ、痛みに呻き転がる。
赤ずきんはゆっくり歩み寄り、モーリスの手を踏み潰す。
ナイフが落ち、蹴って抵抗する手段を減らした。
モーリスに銃口を向けたまま赤ずきんはカゴを覗く。
血を拭きとられ、白い肌が露出したままの胎児が眠っている。
頭の上部分に生えた尖った耳と、くるりと回った小さな尻尾。
「彼女は人食い狼さんだったんですね」
「ウラだ!!」
「これは失礼しました」
「俺の名前、はぁっ、ニコールに会ったのか……相棒はどうした?」
「狼クンなら外でウロウロしていると思います。もしくは痺れを切らして町に入ったか。ニコールさんから手帳を預かりました」
ポーチから取り出した手帳を見せると、モーリスは目を大きくさせる。
「ウラの……」
モーリスを視界に捉えたまま、銃口だけがゆっくり向きを変えていく。
「アナタは…………間違いなく、愛されていましたよ」
「や、やめろぉ!!!!」
一発の破裂音が小屋に響いた……――――――。
赤ずきんは血文字の殴り書きのページを、閉ざした。
「モーリスさんを森の小屋で見つけました。少し、脚を怪我してしまったので会いに行ってあげてください」
「そうかい、仕事が速くて助かるねぇ。さぁ報酬のゴールドを」
「弾薬か食料はありませんか? ゴールドだと重たいだけですので」
「あーそう、アンタ達、たっぷりの弾薬と坊やを連れておいで!」
ライフル銃とリボルバー銃の銃弾が入った箱と、リュックを背負った狼が大人しくやってきた。
「こんなところにいたんだね、狼クン」
穏やかに微笑む赤ずきんに迎えられ、喉を鳴らしながらふさふさの尻尾を垂らす。
尖った耳を後ろに動かし、俯いている。
『…………うん』
レンガ造りの町を出た一人と一匹。
遠い町に続く街道を歩いている。
『ねぇ、赤ずきん』
狼はゆっくりと大人しい声を出す。
「なに?」
『ウラに、会ったんだ』
「生きていたの?」
『うん、でも、赤ちゃんのこと……あぅ』
言いにくそうに躓かせてしまう。
「きっとウラさんは賢い女性だったんだよ」
『かしこい?』
「理性があって、だけど感情もちゃんとある。どこかで行き違いが発生してしまったんだろうね」
『……赤ずきん、赤ちゃんはどうなったの?』
「さぁ、私はニコールさんの依頼をこなしただけ」
『じゃあ、今日は誰も殺してない?』
赤ずきんは穏やかな微笑みを向ける。
「もちろん」
そう答えた。
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