モーリスとウラⅡ

 若い狼は町の外側を回る。

 軽快な足取りで進む。

 キャンプ道具一式が入ったリュックを背負っている。

 琥珀の両眼で周囲を見渡す。

 レンガ造りの町、その周囲はつい先ほど赤ずきんと一緒に抜けた森と、遠くの町に続く街道がある。


『うーん』


 目的の小屋がなく、狼は小さく唸る。

 ガサ、ガサ、ガサ、という茂みを擦る音に、もふもふの耳が動く。

 森に鼻先を向ける。


『あっ』


 数分前、森の狭い出入口を邪魔していた男が、今は前屈みになって歩いていた。

 茂みを掻き分け、両手を前に何かを抱えている。

 ボサボサの髪、無精ひげ、鋭い目つき。

 切れ味鋭い内反りのナイフを携帯している。


『血の臭い……うぅ、赤ずきんに嫌な依頼した人』


 太い牙を軽く剥き出し、警戒するように唸った。

 森の奥へと入っていく男を追いかけた。

 姿勢を低く、ゆっくり茂みに入り込み、血の臭いを辿りながらついていく。

 激しい吐息が耳に届く。

 喉の震え、歯の軋みもあり、感情が音で伝わってくる。


「……俺の……ちゃん、俺……あ……」


 途切れ途切れ聞こえてくる男の声と同時に、激しい草の摩擦を拾う。

 茂みから飛び出したのは人食い狼だった。

 涎を垂らして大きな口を開けて今にも噛みつく勢い。


『あ、危ない!』


 狼も慌てて飛び出した。

 男は抵抗せず身を屈める。


「やめろ! 触るな!!」


 服を引き剥がれ、背中や腕の皮膚が裂けて出血している。


『ぐるぅぅぅ!!』


 狼は唸りながら突進し、人食い狼に頭突きを食らわせた。

 怯んで転がったところを更に噛みつき、追い払うことに成功。

 甲高い鳴き声を上げながら深い深い森へと逃げていく人食い狼を睨んだ後、狼は蹲っている男に顔を向けた。


『大丈夫?』

「し、心配ない……狼が、絶滅したと思っていたのに、ウラ……」


 目を潤ませ、泣きそうな声でウラを呼ぶ。


『ウラってなに? ボクはボクだよ』

「気にするな」


 男は立ち上がり、何かを抱えたまま再び歩き出す。


『ねぇ! どこに行くの? 何をしているの? 森は危ないよ、また人食い狼が襲ってくるから町に戻ろう! 今頃赤ずきんが奥さんを助けてるよ』

「赤ずきん? あぁ、さっきの子か、妻は……いいや、今はしなきゃいけないことがある」


 忠告を聞かず、どんどん奥へ。


『もぅ!』


 狼は仕方なくついていく。

 無心で歩き続ける男はやがて無人の小屋がある少し開けた場所に到着。


『狩人の小屋、ここにあったの? 奥さんがいるかも!』

「あぁ……ウラ……やっと着いた」


 狼は先を行き、曇った窓ガラスに前脚を乗せて、ゆっくり覗く。

 埃をかぶった家具しかなく、人の気配が全くない。

 狼は不思議に思いながら扉の前へ、ドアノブを前脚で器用に回し、開けた。

 隙間から鼻先を突っ込み、前方を確認しながら全開にしていく。


『空っぽだ。え、奥さんは?』

「妻は、もういないんだ……すまない、嘘をついた」

『え、えぇっ!? そんなぁ、赤ずきんに嫌な仕事頼んでおいて、そんな酷いよ!』


 狼は困ったように吠える。


「…………君は、彼女を愛しているのか?」


 小屋の中からカゴを出し、ベッドからシーツを剥いだ男は訊ねた。

 カゴの内側にシーツを敷く。


『あいしてる? 分かんないけど、誰も傷つけてほしくないよ』

「そうか、いつか分かるといいな、ボク」


 男は抱えていた何かをカゴへ、優しく腕から下ろす。

 血の臭いがする何かに、狼はカゴを覗いた。

 丸く柔らかい毛も生えてない胎児。

 シーツを赤く染め、顔のパーツはまだ分からない。


『赤ちゃん?』

「あぁ、俺と妻の子供だ。まだ本当はお腹の中にいなくちゃいけないんだけど……妻は家族に殺された、俺の子、誰が何と言おうとな」


 尻尾や頭の上部分に尖った耳が生えている。


『……?』

「妻は、少しみんなと違っていた。でも、それだけのことなのに家族はみんな不気味だって言う。妻を悪く言ったあいつらを、殺してほしい。このままだと俺はまた連れ戻される、俺達の赤ちゃんが殺されてしまう」

『どうして?』

「フィッシュバーン家は町じゃ一番影響力がある。ちょっとでも不祥事があれば揉み消す奴らだ、頼む、あいつらを殺してくれ!」

『うぅ、ねぇお名前は?』

「モーリス・フィッシュバーンだ」


 名前を聞いた後、狼は渋々モーリスから離れ、森を走り抜けた……――。

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