出会いの話

「何か困りごとはありませんか?」


 赤ずきんは空っぽの穏やかな瞳を店主に向けた。

 髭面の山男のような体格をした店主は首を傾げる。


「んー別に困っちゃいないな」

「人食い狼さんの駆除でも、片付けでも、買い物でも」

「人食い狼駆除は都の兵団にまかせちまったんだ。他も特に困ってない」

「そうですか。失礼しました」


 赤ずきんは何も買わずに立ち去る。

 食料雑貨店を出たところで、向かいの牧場にいる農夫が2人立ち話をしている。

 彼らの声が簡単に聞こえた。


「親戚のシェリアから手紙がきてな、この前何でも屋に旦那の形見を取ってきてもらったんだと」

「良かったじゃないか、なんだっけ? 人食い狼も恐れぬ何でも屋、是非会ってみたいもんだ」

「狩人が使うライフル銃を自在に操り、勇敢で謙虚でとても美しく、赤いフードをかぶった少女……って書いてあったけど」


 赤ずきんはその横を通り過ぎた。

 農夫は話を止めて、赤いフード付きコートを着た美しい背中を覗く。

 ボルトアクションライフルを背負い、腰ベルトにはダブルアクションリボルバー。


「……まさかな」

「あ、あぁ、まさか」


 お互い軽く笑う。


「失礼します! 都から参りました兵団のワイアットと申します!」


 元気の良い、少し震えが交じる声が町に響いた。

 軍隊のポケットが所々についている制服と、前に鍔がついた帽子をかぶったワイアットが町にやってきた。

 10代後半ほどのワイアットは背筋を伸ばして軍隊式の敬礼をする。

 食料雑貨店から顔を出した店主は首を傾げた。


「アンタ、兵団の人? 1人?」


 店主は思わず指す。


「はい! 人食い狼の駆除の件ですが、森の広さと頭数を調べた結果です!」

「はぁそれはそれは……で、リボルバーで戦うのか?」

「へ?」


 ワイアットは間抜けな声を出しながら背中に手を伸ばす。

 見事に空を掴み、ライフル銃のラもない。


「あ……わ、す、大丈夫です! リボルバーだけで駆除できます!!」


 豪語した。





 俯き肩を落としてブツブツとワイアットは森に向かう。


「どうしよう……ライアン隊長に手紙を……いや忘れたなんて知られたら今度こそ軍から追い出されるかも」

「どうも新米兵士さん」

「はぁーなんでいつもこんな、え?」


 赤いフード付きコートの美しい少女、赤ずきんがボルトアクションライフル銃を手に森の入り口で立っていた。

 ワイアットは口を丸く開け、数秒ほど考える。

 帽子越しに頭を掻き、大きな目で赤ずきんを映した。

 そして、彼女の名前を声に乗せようと息を吸う。

 ほぼ同時に掌がワイアットの口を塞ぐ。


「むぐっ!?」

「約束、忘れましたか?」


 解放されたあと、ワイアットは何度も頷いた。


「でも、どうしてここに君が」


 赤ずきんは空っぽに微笑んでボルトアクションライフルを差し出す。


「え、あの、えーと?」

「前に、人食い狼さんの駆除でお借りした分、貸します」

「あ、あぁ! いいの?!」


 間抜けな声がよく通る。

 赤ずきんは静かに頷く。


「あ、ありがとう」


 ライフル銃を受け取ったワイアットは離すまいと握りしめ、真剣な眼差しで森を見つめた。





「え、えぇーと、赤ずきん?」


 森の中の茂みを掻き分けながら進むワイアットの後ろをついていく。


「はい」

「駆除は俺1人でも平気だよ」

「いえ、大切な銃ですから壊されたり、失くしたりされると困るので」


 赤ずきんの微笑みに違和感を覚えつつ、人食い狼が巣食う場所まで進む。


「なぁ、あの狼はどうしたんだ?」

「……さぁ……どうしたんでしょう」


 淡々とした返しに、ワイアットは帽子の鍔を摘まんだ。


「そ、そっか」


 茂みの中を進んでいくと、途中から獣道に繋がり、草が折れ、足跡がいくつも残っている。


「人食い狼の足跡にしては小さい、他の獣が居るかもしれないから気をつけて」

「縄張り争いをしている可能性もありますね、あとは、そうですね」


 赤ずきんは喋りながらダブルアクションリボルバーを掴む。

 淡々とした動きに、ワイアットは不思議そうに傾げた。

 獣道の外れ、草同士が擦れるような騒がしい音にワイアットは遅れてライフル銃を掴んだ。

 音は一瞬、次には太い牙を剥きだしに涎を垂らした人食い狼が姿を現し、赤ずきんに向かって一直線。

 穏やかな瞳のまま破裂音を轟かせた。

 大きな口に撃ち込まれ、人食い狼は仰向けに転がる。

 ビクビクと痙攣を起こして、数秒も経たないうちに動かなくなった。


「あ、あ……すご、いね」

「自分の命は守れますのでお気になさらず」

「う……うん」


 気を取り直して獣道を辿る。

 すると、所々に急所を噛みつかれて息絶えている人食い狼がいて、ワイアットは状況を掴めずにいる。

 道が広くなり、目の前に他の木々より太く伸びている樹があった。


「血が、たくさん飛び散ってる」


 土や草を濡らす黒にちかい血液と、樹の根元にぶるぶると震えている何かが見えた。横には、腹を噛み千切られて倒れている四足歩行の狼。

 赤ずきんは穏やかだった瞳を大きくさせる。


「なんだ、狼? 小さい……あ、赤ずきん? 無暗に近づいたら危ないって」


 吸い込まれるように近づいていく。

 ワイアットは辺りを警戒しながら赤ずきんの行動を見守る。

 震えているのは毛が赤く汚れたまだまだ小さな狼だった。


「…………元気そう、親は」


 隣で口を半開きにして微かな息を漏らす親狼。

 切なく喉を鳴らす小さな狼。


「私も素直に憎んでいればよかったの、かな……」


 琥珀の瞳が大きく開き、突然起き上がった親狼。


「赤ずきん!!」


 次には赤ずきんの右腕に太い牙が沈んだ。

 離すまいと噛みつき、我が子を見つめる親狼の瞳孔に、赤ずきんは呆然と目を合わせる。

 遅れて爆裂音が森に響き渡り、親狼の首に穴が開く。

 だらん、と顎の力がなくなった親狼。

 衝撃で仰け反る姿勢になり、小さな狼の悲痛な鳴き声が耳に残る。

 ライフル銃を背中にかけ、急いで駆け寄るワイアットは声色高く慌てた。


「す、す、すぐに止血する!」


 救急道具が入ったポケットからガーゼと包帯を取り出す。

 小さな狼はワイアットに向かって吠えた。

 右腕にガーゼを当てたいワイアットを邪魔するように暴れる。


「どけって! 赤ずきんが、彼女が死んじゃう!! どけよ!!」


 涙目になり、震えた喉で必死に叫んだワイアット。

 真っ赤に染まるガーゼをテープで押さえ、きつく締めるように包帯を巻いて赤ずきんを前に抱えた。

 その間も赤ずきんの胸にいる小さな狼はワイアットに吠え続けた……――。






 町の診療所へ駆け込んだ。

 他の患者を押しのけて受付もせずに診療室に突入。

 驚いた医者と看護師だが、すぐに赤ずきんの怪我を把握して治療に取りかかる。

 縫合し、血まみれのガーゼと包帯を交換。

 感染しないよう薬も注射してもらう。

 その間、小さな狼はワイアットに抱えられているが、暴れて何度も噛みつこうとしている。


「もう大丈夫なんですか!? 死なないですよね⁉」

「まぁ落ち着きなさい、軍人なら毅然としてなさい。で、怪我だけど経過も診たいからもう少し町に滞在してくれ。いいね?」

「はい……分かりました」


 空っぽで穏やかな瞳をした赤ずきんの返事に医者は、ふぅ、と息を漏らす。


「何があったか訊かないが、泣きながら迷惑かまわず突っ込んできたボーイフレンドに感謝しなさい。命を大切にするんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 静かに感謝を零し、赤ずきんは立ち上がる。


「あ、おい、こらっ」


 ワイアットの腕から離れ、赤ずきんの胸に飛び込んだ。


「まぁいいけどさ、とにかくホントに良かったぁ……」


 力が抜けたように安心する。

 診療所を出た後、町の宿屋に確認を取ると、


「ダメダメ、うちは野生動物禁止。どんな病気持ってるか分からないし、危険すぎる。悪いけど野宿してくれ」


 すぐに拒否されてしまった。


「狩人の部屋に、いや、テントの方がいい?」


 ワイアットは腕を組んで軽く唸りながら提案する。


「そうします。あとは私ひとりで大丈夫ですから、ありがとうございました」

「いやいやいや! 元はといえば俺が武器忘れたからこうなったんだ、完治するまで責任持って一緒にいる!」

「と、言われても……ねぇ」


 胸でぐるぐる唸る小さな狼に、ワイアットは悲し気に見下ろす。


「この子の親を、撃った責任だってある。許してもらえないだろうけど森で暮らせるまで面倒見る。でも、本当に君が生きていて良かった」


 鍔を摘まんで俯いた。

 赤ずきんは穏やかに微笑んだ。


「そう言ってくれる人がいるだけで嬉しいです。ありがとう、ワイアットさん」

「本当のことだから! あと、怪我良くなったら一旦都に、来なよ。この子のこともあるしさ、俺も……その、あれだし」

「…………少し考えさせてください」


 小さな狼の顎を指先で撫でると、軽く唸りながらも喉で鳴く。

 キラキラと光る琥珀の両眼。

 赤ずきんは唇をキュッと締めた……――。

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