狩り禁止の町でのことⅡ

 フードを深くかぶったハスキー声の誰か。

 二階のバルコニーで、丸テーブルを挟んで向かい合う。

 山菜と魚のムニエル、リンゴのソルベ。

 フォークとナイフが綺麗に並ぶ。

 赤ずきんはフードの奥を観察するように眺めた。

 

「大きな目ですね」

『そりゃお嬢さんのような美しい女性を見る為に大きくしてるのさ』


 大きな口へ魚を運ぶ度に、太く鋭い牙が光る。


「大きな口ですね」

『んぁ、それはな……』


 赤ずきんは続きを待たずに魚をバクバク食べ始めた。

 誰か、は前のめりになって大きな口を開けたが、空振りしたように酸素を噛む。


『お前を喰う為だーって言わせてもらえんかね? お嬢さん』

「出来立てが一番美味しいですから、どうぞ続けてください」


 赤ずきんは微笑んだ。


『ふん、まぁいい、外の世界はどんな感じだ?』

「軍が国を統治しています。人食い狼さんは人を食べて、狩人と軍は心労が絶えない、といったところです」

『……人食い狼ねぇ』


 バルコニーから町を眺め、鼻息を出す。


『お嬢さん、名前は?』

「赤ずきんです」

『それはニックネームだろ、本名は?』

「さぁ……忘れました」

『はぁ? あーそうかいそうかい。変わったお嬢さんだ』


 フォークをそっと皿に置いて、赤ずきんは質問をする。


「アナタが例の取引をされている方でしょうか?」

『……この森は元々オレ達の縄張りだ。勝手に町を作ったのは人間共だろうよ』

「喋る狼さんなんて、珍しいですね」


 鼻で笑う。


『詰所にいる若い狼クンだって喋るだろう? なにも珍しくはない、いたって普通だ』

「ご存知でしたか」

『見ていたからな、縄張りに踏み込んできたよそ者を監視していた。少しでも変な真似をしたら群れで襲わせて喰い殺してやろうかと思っていたが……ちゃんと躾をしているようで何より。奴の種族とは、数百年前からの因縁があるんだよ』

「……因縁」

『奴の種族と人間が交配したのさ。そしてオレ達が生まれた。ずっとずっと睨み合っていたんだが、最近姿を見ないからてっきり絶滅したかと』


 赤ずきんは立ち上がった。

 穏やかな青い瞳で見下ろした後、もう一度微笑んだ。


「そろそろ失礼します。お食事、ありがとうございました」

『もう少しゆっくりしてもいいんだぞ、お嬢さん』

「いえ、戻らないと機嫌を損ねて」


 爆裂音が町どころか囲む森中に響き、赤ずきんの声も遮られてしまう。

 騒ぐ町民と駆け出していく兵士達。

 土煙が舞う地上を眺め、赤ずきんは口を紡ぐ。


『おいおい、何かやらかしたか? お嬢さんの相棒かい?』


 鼻で笑いながら訊ねられた赤ずきんは何も答えずに二階のバルコニーから立ち去った。


『赤ずきん!』


 幼さが残る声で赤ずきんを呼んだ。

 群衆を掻き分けて入れば、町の出入り口、詰所前が見えた。

 土に付着した赤い飛沫と、返り血を浴びた若い狼、倒れている兵士。

 兵士は首付近から出血し、虚ろな目で空を見ている。


「狼クン、一体どうしたの? 何が、あったの?」

『いきなり兵士さんが倒れたんだ! すごい音で』

「そんなわけないだろう!」


 言葉を遮る町民の声。


「こいつが、詰所の兵士を噛み殺した!!」

『あぁーなんてことだ!』


 笑いを堪えるようにやってきたフードを深くかぶった誰か。

 背丈は二メートル近く、首を痛めるほど見上げないと顔が分からない。


「ヴォルフさん!」


 町民は声を揃えて、恐怖で顔を引き攣らせながら名前を呼ぶ。

 大きな存在に驚く狼は縮こまって声が出せず、赤ずきんの足元へ逃げ隠れる。


『あぁ赤ずきん、お前さんの相棒は兵士をやっちまったようだな。これはれっきとしたルール違反だ。町や森での狩りは禁止、破ったものには相応の罰がある! そうだろ? なぁ皆!!』

「殺せ!」

「撃ち殺せ!」

「旅人も殺せ!」

「ルール違反には死だ!!」


 同調するような町民の言葉に、大きな口で牙を剥き出しに笑う。


『赤ずきん。ボク、何もしてないよ……』

「知ってるよ」


 赤ずきんは微笑む。

 背負うボルトアクションライフルを抜く。

 ボルトハンドルを引き、装弾されている弾を確認したのち、再び押し込んで倒す。

 手慣れた速さで構えた。

 囲む町民達の微かな悲鳴。

 ヴォルフは、ただ赤ずきんの行動を観察している。

 一発、町全体を騒然とさせる爆裂音が、一気に町民の士気を削ぎ落とす。

 屋根から落下したスコープ付きのライフル銃、それから遅れて血が滴る。

 兵士がずるずると重力に引き摺られて、骨が潰れる音を立てた。


「わ、わ……わぁあああああ!!」


 町民達は雪崩のように逃げていく。


『お嬢さん、本当に何者だ?』

「ただの何でも屋です。大切な相棒に手を出すなら、次はアナタのお腹が裂けるまで撃ちます」


 穏やかに赤ずきんは答える。


『オーケーオーケー、今ので分かった。お嬢さんに死角なし、下手に仕掛けても返り討ちに遭う。オレも馬鹿じゃないんでね……今回は見逃してやる』

「それはどうも」


 ホッと安心した表情を見せた若い狼は、ふさふさの尻尾を横に振る。


『そこの若い狼クン』

『な、なに?』

『自分の存在を不思議に思ったことがないか? なんで人間の言葉を喋れる? なんで人を喰わなくてもいい? なんでオレには感情があるんだと』


 流れるように訊かれ、狼は尖った耳をぴくり、と動かす。

 琥珀の両眼で不思議そうに見上げた。


『能天気な頭でよーく考えな。そんで、次に会ったら骨まで全部噛み潰して食ってやるからな……覚悟しろよ』


 底から唸るように牙を剥きだしたヴォルフ。

 毛が逆立つほど震える狼を嘲笑う、笑い声が静かに町中に響いた……――。






 深い森を抜けると、平地の景色が続く。

 茜色の空を見上げた赤ずきんは、ふぅと息を吐いた。


「今日はここで休もうか、狼クン」

『……うん』


 大人しい返事が届く。


「考え事かい?」

『うん……』

「自分が何者かなんて、考えていても答えなんて出ないものだよ」

『じゃあ赤ずきんは、ボクが何なのか知ってるの?』

「さぁ、分からない。でも君は狼クンだから、それ以上のことなんて私はどうでもいい。君が私を喰いたいと望むなら喜んでこの身をあげる、生きてほしいと言うなら私はいくらでも生きる…………私が君にしてあげられることは、それだけだから」


 狼は喉を鳴らしながら赤ずきんの足元で伏せる。


『死なないで、赤ずきん』


 寂し気に訴えた。

 温もりのある手を伸ばし、頭を撫でてそっと右目に口づけをする。


「もちろん」


 赤ずきんは穏やかに微笑んだ。

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