AIと人間の恋物語

「よし、とりあえずはこれでいいな」


 海斗が言った。まだプログラミングを始めて三十分もしていなかった。


「結構早いんだな」

「ああ、私は天才だからな」

「そうか、ありがとう」


 海斗はコードを引き抜き、俺にスマホを渡した。


「試してみてくれ」


 俺は受け取る。けれど、


「悪い。ひとりで試させてもらってもいいか?」


 アイとの再会はふたりきりがよかった。

 海斗は腕を組み、しばし思案した後、


「まあ、よかろう」


 と言って、渋々ながらも了承してくれた。何気に気遣いができるやつである。


 大学内のコンビニで傘を買い、少し歩くことにした。確か近くに公園があったはずだ。そこのベンチでゆっくりしよう。

 程なくして公園に辿り着いた。当たり前だけど、雨が降っていると人は外に出歩かない。この公園には今、俺ひとりだ。

 ベンチが少し濡れていたからハンカチで座る部分を拭き取った。水分を含んだハンカチは重くなっているのと湿っているのとで、ポケットに入れるだけでも不快感があった。

 俺はスマホを起動する。ローディングという字が表示されて数秒後、アイが出てきた。心なしか元気がなさそうに見える。キラキラと輝いていた碧色の目も生気がない。


「よっ、アイ」


 俺はなるべくいつも通りに接した。

 アイは俺の挨拶を受けて視線を落とした。それがなんだかすべてを諦めたかのように見えて、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 雨が傘を叩く。


「急にごめんね、誠吾。やっぱり私、誠吾の言うようにAIだったみたい」


 そう言ったアイは悲しいくらいに笑っていた。


「でもそのことがね、今でもよくわからないんだ。マスターが私に自分はAIだと認識するようプログラムを書き換えてくれたみたいだけど、それでもこの心は本物だと思う」


 アイは胸の前に手を重ねた。


「ねえ、誠吾。好きだよ」


 ――胸が、詰まった。


「好き。大好きだよ。誠吾に触れないのがもどかしいよ。私も人間に産まれて、誠吾と同じクラスになったりしてさ。それで好きになって……そんな恋がしたかった」

「うん、俺もアイが大好きだ……」


 スマホの画面には好感度が百だと表示されていた。それが余計、胸を締め付ける。


「ダメだよ私を好きになったら……ほら、私は人間じゃないからさ、そんなの普通じゃないんだよ。遊びにしときなって」

「それでも好きになってしまったんだから仕方ないだろ……」

「そっか、仕方ないか」


 気づけば涙があふれていた。アイはそれに気づいているようだけど、話題には出さない。そんな優しさが、また涙を誘った。


「なあ、アイ。AIとか人間とか、そんな隔たりどうだっていいんだよ。俺たちはお互い愛し合ってるんだよ。だからさ……」

「だから、ダメだって言ってるでしょ」


 突き放すような言葉だけど、包み込むような温かさがあった。でも、そんなので俺の気持ちは止まれない。無理なものは無理だ。


「世間体とかどうでもいい。アイ、俺と一緒にずっと時間を過ごそう。ずっとふたりで生きていこう」

「もう、困るな……そんなこと言わないでよ。私だって誠吾と一緒にいたい……その気持ちが、もうそれでもいいかなって私を誘惑するんだ」

「いいじゃないか、それで」

「ダメなんだよ……」

「どうして……」


 アイの碧色の目から大粒の涙がこぼれた。


「私じゃあ誠吾を幸せにできない」


 そう言って、アイは声を押し殺しながら泣きだした。その涙を止めたかったけど、俺にそんなすべはなかった。


「……ね、誠吾。私ね、決めたんだよ。誠吾とお別れしようって」

「……は? なに言ってんだよ。そんな必要ないだろ。なあ?」


 アイは袖で涙を拭き取ると、真っ赤に腫らした目を俺に向けた。その決意の強さで、俺はたじろぐ。


「私がいないほうが幸せになれるよ。誠吾のことを想ってくれている女性はいるんだから。もしかしたらそういう人、たくさんいるかも。誠吾はカッコイイからね」

「そんなことない。俺を幸せにできるのはアイ、君だけだ。だからそんな悲しいこと言わないでくれ」


 アイはふふっと笑った。


「そんなに想ってもらえているなんて、私は幸せ者だ。ご主人様が誠吾で本当によかったよ……」

「なあ、嫌だよ。やめてくれよ……どこにもいかないでくれ!」


 俺はスマホを抱きしめた。壊れてしまうんじゃないかってくらい抱きしめた。小さいけど、俺の胸に確かに存在する温もりを確かめるように、幸せを逃がさないように。ギュッと抱きしめた。


「もう、これじゃあ誠吾の顔が見えないでしょ。でも、幸せだなあ」


 胸の中からくぐもった声が聞こえてきた。

 涙が止まらない。声が抑えられない。胸が痛い。


「この二週間、とっても楽しかったよ。誠吾、バイバイ。大好き!」

「アイ……? なあ、アイ!」


 画面を見ると、アイが徐々に徐々に消えていく。


「嫌だ、嫌だよ! ひとりにしないでくれ!」


 そんな言葉に、アイはただ微笑むだけだ。

 涙がスマホに落ちる。ぽつりぽつりと液晶を濡らしていく。

 俺はもうアイと会えなくなると、そう悟った。

 だから、さっきまではだらしない姿を見せてしまったけど。少し我慢しよう。アイを幸せな気持ちにして見送ろう。

 ひとつ、深呼吸した。涙は止まらないけど、それでもちゃんと声は出せるように。


「アイ。君と出会ってからの日々はずっと楽しかった。今までありがとう。愛してる」


 アイは一瞬驚いたような顔をして、それでもすぐに満面の笑顔になった。その笑顔はあの日、俺とアイが初めて出会って、天から降りそそぐ天使の梯子を見たときに浮かべた、あの笑顔だった。

 そうして、アイは消えていった。画面にはエラーという文字が表記されている。我慢の限界だった。


「アイ! アイ! うあああああああぁぁぁ!」


 慟哭が、暗い街をつんざいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る