第23話





 和宮一門の始祖と言われているのは双生児の兄妹である。


 和宮の始祖が兄の月夜。


 一条の始祖が妹の奈規。


 ただしこのふたりの両親は不明となっていた。


 一門の者も今では知っている者もほとんどいない。


 生き字引である「紫子」だけが知っていると言われていた。


 知ることに意味があるのかどうか、静也にはわからない。


 知ることで現実が大きく変わってしまう可能性もあるし。


 義父に言われて遠夜の誘拐を仕掛けた静也は電話で義父に報告を重ねていた。


「義父さん。やっぱり無理だって。彼の誘拐は。樹は学園でも護衛を置いているみたいで彼はひとりにならないし」


『それでもなんとかするのが、きみの役目だ』


「義父さん」


『宗主と離れ離れのときを狙いなさい。護衛だって学園内や近辺だけのことだろう。夕方以降宗主と離れ離れのときを待ちなさい』


「そこまでして義父さんは……」


『それが一門のためだ』


 病的な執着だと静也は思う。


 そこまで一条に拘る義父が憐れだった。


「わかった。できるだけはやってみる。でも、樹にバレたときはどうなっても知らないからな」


『一門の宗主としては当然の行動だ。それを思い出して頂くしかあるまい?』


「義父さんは樹を甘くみてるよ。それが通用するなら、あいつは生き神になんてならなかった」


 それだけを言って静也は携帯電話を切った。


 愚痴った後で熱々のおかゆを、ふうふう言いながら食べていると、海里が優しい笑顔でそんな遠夜を見ていた。


「海里先生って料理が上手だよな」


「そうかい?」


「できないことってあるのか? なんか海里先生ってなんでも適当にこなしてる気がするんだけど」


「そうだね。君のお兄さんよりはできることが多いかな? 君が倒れた初日の出来事にはさすがに呆気に取られたからね」


 樹の身元を知っていても彼が起こした惨事には、海里は呆れるばかりだったのである。


 そう。


 遠夜が寝込むと恒例の行事。


 樹はまた料理や洗い物にチャレンジして、見事に失敗したのだ。


 遠夜は誘拐劇が起きた当日の夜には意識を取り戻していたが、やはり薬の影響とか、色々と不安な要素もあったので、その当日は海里も大地もふたりが暮らす家で一夜を過ごした。


 当然のこととして遠夜の傍には海里が控え、樹の傍には大地が控えていた。


 食事を終えて遠夜と樹が対面した後で、そういう割に振りになったのだが、その後にあの惨事が起きたのだ。


 大地の説明によれば、こういうことだった。


 遠夜の意識が戻っているのを確かめて、薬の影響など気になることに関しても情報を入手した樹は、しばらくのあいだはリビングでなにか思考に沈んでいたらしい。


 おそらく伊集院家に対する報復について、思案していたのだろう。


 そうしてふと「気分直しに珈琲でも淹れるね」と、大地に言って恐縮して自分ですると言った大地を宥めた。


 そうして樹は台所へと姿を消したわけだが……その数秒後に、とんでもない大音響がマンションに響きわたった。


 あまりの大騒音に遠夜の部屋に引きこもっていた海里までもが、慌てて台所に飛び込む結果になった。


 なにをどうすればああなるのか、海里は樹に訊ねたい衝動を、かなりの自制心をもって我慢した。


 とにかく悲惨の一言に尽きる。


 床一面が水浸しな上にヤカンはなぜか黒こげ。しかも穴まで空いていた。


 あともうすこし到着が遅れたら、消防署のお世話なるところだったのだ。


 これには呆れて物が言えなかった。


 それを見てからというもの台所仕事や、樹の身の回りの世話は海里と大地が交代でやっていた。


 そのほうが手間が省けて楽なのだ。樹にやらせるよりはずっと。


 皇子として暮らしていた頃ならともかく、ただの御曹司として育った樹が、どうしてここまで徹底して、日常的なことができないのか、海里には不思議だった。


 まあそれだけ和宮家が普通ではないという証明なのかもしれないが。


「美味しかったよ。ごちそうさま」


 両手を合わせる遠夜に、かなりしつけには厳しかったのだなと、海里はそんなことを思った。


 遠夜の両親はかなりしつけに厳しかったのだろう。


 遠夜は今時の若者にしては、驚くほど礼儀正しいのだ。


 それは両親に厳しくしつけられたからだと思えた。


「じゃあ今度は薬を飲もうか? 解熱剤をすこしきつくしているから、すぐに熱は下がると思うよ。飲んだらすぐに眠ること。わかったね?」


「海里先生ってどこまでいっても先生だなあ」


 苦笑しながら薬を飲むと遠夜はまた横たわった。


 おかゆを食べると眠くなったのだ。


 うとうとしはじめた遠夜を見守りながら、海里はため息をつく。


 生前の紫苑がどんな人柄だったのか、海里は例外的に知っている。


 その海里の目から見ても、死の瞬間まで傍にいた1番彼のことを知っている樹に言わせても、遠夜はよく似ていた。


 そのせいか事実を知らされる前から、紫苑に似ている遠夜を邪険にできなかったほどだとまで言っていたのだ。


 なのに何故記憶だけが戻らないのか、海里には不思議だった。


 それを言うなら隼人の記憶が、同じように全く戻っていないことも不思議だったが。


 やはり、あれ、だろうか?


 前世で実の兄を手にかけたことが、紫苑としての覚醒の障害になっているのだろうか。


 実はその頃のことを調べるのに海里はかなり苦労していた。


 実際に事件が起きたのは遥かな昔なのである。


 海里と大地がこちらへ渡ってきたのは樹が産まれてからだ。


 こちらへ渡る際に皇帝陛下から、時間的なロスが問題にならないようにと、海里と大地は成長にも手を加えられている。


 今のふたりは皇族と同じ成長の仕方なのだ。


 だから、17年が過ぎた今でも訪れたときと同じ姿をしていられる。


 今となっては真実を知る者もいない過去を調べるために、海里は幾度となく意識を過去へと飛ばした。


 樹が誕生してから2年ほどの、遠夜が産まれるまでの空白の時間を利用して。


 そうして過去の失われた真実を知ったのである。


 正直、知ったときは戸惑ったし、どうして兄弟で生命のやり取りをすることになったのか気になった。


 それに決戦のときの様子も過去視で知ったが、あれはどちらかといえば一方的な決着だった。


 水樹は紫苑に討たれることを望んでいたのだから。


 逆に紫苑の方は戸惑っているようだった。


 もし水樹にほんのすこしの迷いでもあったら、あの結末は訪れなかったかもしれない。


 紫苑は水樹を殺したいわけではなかったのだ。


 それだけはあの決戦を見て知っていた。


 紫苑は泣いていたではないか。


 幼い子供そのままに泣いていた。


 兄を手にかけた現実に怯えて震えて。


 水樹はそれを承知で消えていく生命を抱いて、紫苑を抱き締めていた。


 まるでそのぬくもりを永遠に連れていくためであるかのように。


 なにかが狂っている。


 現実を知ったときに海里が思ったことである。


 あれほど思いやっている兄弟が、生命のやり取りをすることになったのは、なにかがどこかで狂ったからだとしか思えなかった。


 その過去が紫苑としての覚醒の妨げになっているのだとしたら、遠夜の覚醒は簡単には終わらないだろう。


 それに産まれたときから記憶を持っている惺夜の覚醒も、どうやら簡単には終わりそうにない。


 産まれたときから惺夜としての自覚があったのなら、とっくに覚醒していても構わないはずなのだ。


 それなのに樹は今も完全な覚醒はできずにいる。


 樹には死の前後の記憶はなさそうだった。


 それが紫苑同様、覚醒の妨げになっているのだとしたら、樹の覚醒も簡単には終わらないだろう。


 皇帝陛下からこの任務を命じられたとき、簡単に済む任務ではないから大変だろうがよろしく頼むと言われた。


 その言葉の意味が今更のように身に染みる。


 次代の皇帝とその守護者。


 故郷にとってなくてはならない重要な位置に立つふたり。


 その覚醒を導き故郷へ帰還するための、決意をしてもらうのが海里と大地の仕事だが、どうやらかなり時間がかかりそうだった。

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