第20話

「仕方ねえなあ。どこへ移れっていうんだよ?」


「そうだね。後ろの扉の1番奥が空いているみたいだから、そこへ移ってくれないかい? 申し訳ないけど。窓際で暖かいから気持ちいいよ、きっと」


「それは授業中に昼寝しろって意味か?」


 呆れて蓮が問うと海里は「そんなことないよ」と笑って否定した。


 蓮が道具を片付けて席を移動すると、ようやく結城隼人が遠夜の隣に移動してきた。


 なにか思い詰めた瞳をしている。


 遠夜にはそんな瞳で見られる心当たりがなくて、どうやら蓮の予想が当たっているようだと解釈した。


「初めまして、宮城君。これから面倒をかけるだろうけど、よろしく頼むよ」


 言いたいことは他にある。そんな感じの言い方だった。


 遠夜がおざなりに返事をする間にも、彼は遠夜のことをじっと見つめていた。


 身の置き所がなくなるまで。


 なにか自分にもよくわからない因縁がある。


 このとき遠夜はそう確信した。





 その日の体育をいつものように遠夜が見学すると、隼人のほうも気分が悪いとかなんとか理由をつけて、見学組に回った。


 遠夜はこれはどうやら自分に近づくための方便だと見抜いた。


 案の定、みんなが暑い日差しの中で汗を流しているのを、木陰から眺めている遠夜の元へ隼人がやってきた。


「もうバレてるみたいだね、和宮遠夜くん。兄からはきみに近づいて、和宮樹さんに近づくための足掛かりを作れと言われたけどね。今はそんな気はないよ。元々そういう裏工作はキライだし」


「みたいだな。あからさまだったもんな。おれの正体を知っているって、態度で示してた。普通ならあんなミスはしないよな。相手のテリトリーに近づくことが目的なら。警戒されるだけだ」


「うん。苦手だから期待はしないでほしいって、兄にはきちんと言ってあるんだけどね。どこまでわかってくれてるかが心配だよ」


 言いながら遠夜が腰掛けている隣に、自然な態度で腰掛けた。


 遠夜は一瞬、面食らったが、それがなぜか自然なことに思えて、特に文句は言わなかった。


「どこかで逢ったことないかな?」


「え?」


 今度の問いには本心からびっくりした。


 長いあいだ外国で暮らしていたという隼人と、日本全国を流転して生きていた遠夜と、接点はどこにもない。


 どうしてこんな問いが出るのだろう?


「きみを見ているとね。なんだか無性に懐かしくなってくるんだ」


「結城」


「隼人でいいよ。君にはそう呼んでほしい。本当に逢ったことないかい? ぼくはどこかで逢ったような気がして仕方がないんだ」


「正直に言うよ。それはおれの問いでもある」


「きみも同じ既視感を感じてるって?」


「ああ。だが、おれたちには接点がなにもない。おれは樹に引き取られるまでは、日本全国を転々として生きていたし、海外なんて行ったこともない。隼人はそのあいだずっと海外で暮らしていた。ずっと小さい頃に海外に行ったんだろう?」


 訊ねると隼人はこっくり頷いた。


「それでおれと逢うのは無理だ」


「そうだね。自分でもよくわかってるんだよ。ぼくはわりと記憶力がいい方だから、逢った記憶がないってことは、本当に逢っていないんだ。でも、それでも懐かしいんだよ。どこかで逢った。大切なだれかだった。そんな気がしてたまらなくなるんだ」


「あんまり深く考えないようにしようぜ」


「でも」


 両腕を組んで頭の後ろに持っていくと、遠夜は大樹に凭れかかった。


「本当に逢ったことがあるんなら、そのうち放っておいても思い出すさ。ふたりともが感じている既視感なんだから」


「それもそうだね。ずっとこのことばかり考えていると、イライラしてしまいそうだったし」


「そういうこと。人間、呑気に構えてるのが1番だぜ」


 ニコッと笑った遠夜に隼人は懐かしいものでも見るような眼を見せた。


「ずいぶん仲がよくなったようだね、ふたりとも」


 陽気な声にびっくりして振り向けば、海里が立っていた。


 いつそこにきたのか、なにも感じさせない登場だった。


 思わず遠夜と隼人がびっくりして、身体を後方にずらしている。


 そんなふたりの態度に傷ついたと言いたげに、海里ががっくりと肩を落とした。


「転校生同士が仲良くしてるのを見て、嬉しくなって声をかけただけなのに、その反応はないだろう? ぼくは妖怪かい? 魔物かい?」


 魔物と言われたときに、隼人がすこし表情を陰らせた。


 なにかに引っ掛かっているような表情を浮かべている。


 だが、海里はそのことに気づいていても、追求するような真似はしなかった。


「妖怪よりタチが悪いぜ。いつきたのか全然わからなかった。海里先生は武道でもやってるのか? 気配を消せるってことは、なにかやってるってことだろ?」


「そうだね。剣術を少々」


 剣道ではなく剣術と言った。


 その言葉の意味の違いが理解できなくて、遠夜がしきりに首を捻っている。


「それより転校生同士親しくしてくれて嬉しいよ。やはり同じ境遇の者が1番打ち解けやすいからね」


「そこまで読んでおれの隣に移動させたのか?」


「いや。そういうわけでもあるんだけど」


 照れくさそうな肯定に遠夜は呆れとも感嘆ともつかない声を出した。


「掴みどころのない教師だなあ」


「それはどうも。褒め言葉として受け取っておくよ。手の内読まれまくりな男なんて言われたら最後だからね」


 海里という青年は思っていたよりずっと狡猾なようだった。


 肉食獣が内に潜んでいるような、そんな感じ。


 少なくとも遠夜の敵ではないようだが。


「いつおれが無鉄砲だなんて知ったんだ?」


「さて。いつだろうね。そろそろぼくは行くよ。次の授業の準備があるから。それから宮城君。帰り道には気をつけなさい。いいね?」


 いやに真剣な目つきでそう言ってから、海里は背中を向けた。


「なんだか変わった先生だね」


「うん。この学校には変わった先生が多いんだ。でもあれほど行動の読めない教師は初めてだな」


 家での海里ともまた違う。


 樹が海里を気に入って彼の弟共々マンションに住まわせるようになって、彼とも親しく付き合うようになったが、そのときの彼とも違うのだ。


 樹はまだ送り迎えをしているが、海里の進言でもうすこししたら、遠夜の送り迎えは海里がやることになりそうだ。


 そういう意味で遠夜はこの学園で、1番海里について詳しいのだが、それにしても手の内の読めない人だ。


 でも、懐かしいのだ。


 どうしてかわからないけど。


 そんな彼を見ながら隼人は海里の警告の意味を考えていた。


 彼が危険な目に遭う?


 そう思うと落ち着けない自分を知り、隼人は戸惑った。


 出口のない迷宮の中にいるようだ。


 遠夜たちから離れて身を隠すと、海里は指先でなにかを描いてみせた。


『大地』


  遠く離れて惺夜の護衛に当たっている双生児の弟に呼びかける。


 これは海里が持つ魔術の力が可能にしてくれている術だった。


 一般に心話と呼ばれるもので、地球風に解釈するとテレパシーというのが一番近い。


 声に出さずに相手に思念を伝える術なので。


『どうかしたのか、海里?』


『今、手は空いているな? 惺夜さまに異変が見られないようなら、ちょっと調べてほしいことがあるんだけど?』


『なんだ?』


 余計なことは言わず要点だけ問いかける。


 これは急いでいる身には大変ありがたい。


 質問されるだけで時間を割かれるからだ。


 大地はそういうときの対処の仕方を心得ていた。


 尤も。


 指摘したところで自覚することはないだろうが。


 反問がない。それが大事な会話もある。


 重要であればあるほど、その傾向が強くなる。


 相手に信頼されたいならそういう特徴も必要なことだった。


『結城財閥の次男、隼人という少年について調べてほしいんだよ』


『理由は? 惺夜さまの護衛の任を外れる以上、正当な理由がなくては動けない』


『うん。上手く言えないんだけどね。ほら。公爵は皇家の血の濃い御方だろう? 惺夜さまやあの御方だけが転生され、復活して公爵は例外だとは、ぼくには思えないんだよ』


『つまりなにか? その隼人という名の人間の少年が公爵だと?』


 驚愕が直接、心に響いてくる。


 無意識に頷いて海里は視線を投げた。


 木陰で会話している遠夜と隼人の姿を視界に収めて。

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