第7話
それは遠い昔。
今となっては和宮一門が所有する「和宮文書」にしか伝わっていない現実。
昔、日本には魔物がいた。
鬼族。
幻族。
魔族の3種族の魔物が。
彼らは協力し合うということがなく、個々のやり方で人間たちと対立していた。
そのために脆弱な人間たちを完全に支配できなかったのである。
そんな頃に魔物たちの前にひとりの青年が現れる。
素性は知れないのだが、彼は魔物たちに団結をとき、協力することの重要性を訴えた。
そして後に鬼女王を妃に迎えることになる。
その結果、彼は魔物たちの王と呼ばれる立場へと変わっていった。
人間たちの運命は風前の灯かと思われた。
そこへ天から降臨したのが、紫苑と惺夜のふたりの少年たちである。
紫苑は少年らしい顔立ちのまだ幼い少年で、15、6といった外見だったと伝えられている。
対する惺夜は黒髪を長く伸ばし、顔立ちは少女的でとても中性的だったという。
が、瞳は鋭く気性は外見に似合わない激しいものだったらしい。
ふたりは神と呼ばれていたが、ふたりがそれを認めたわけではないらしかった。
その証拠に彼らが神と名乗ったという伝承は残っていない。
彼らが人間たちの守護をするようになって、人間たちは一応の平安を得た。
魔物と対等以上に渡り合える紫苑と惺夜の活躍によって。
しかし実際に戦闘に及んでいたのは、紫苑だけだったとも言われている。
惺夜は自分からは戦闘には参加しなかったと。
彼が戦闘に出るのは決まって、紫苑がその優しさ故に窮地に陥ったときだった。
紫苑を護るためだけに彼は闘うのである。
つまり人間たちが生きていくために欠かせない存在は紫苑だが、その紫苑の個人的な守護神は惺夜だったということだ。
しかしそれに矛盾する現実がある。
現存する和宮一門の祖は紫苑と惺夜が身を寄せていた部落の者たちである。
だが、その先祖と言われているのは紫苑ではなく惺夜なのだ。
人間にも魔物にも寛容な紫苑と対照的に、人間にも魔物にも寛容ではなかった惺夜。
その彼が始祖だと言われているのだ。
その理由を知る者は現在ではいない。
しかし「和宮文書」はある意味で予言書でもあった。
『いつの日か我らが宗主蘇らん。
そのときこそ我らの裁きのとき。
滅びか救済かは自分たちの目で確かめるがいい。
遙かなる未来に宗主が蘇りし、そのときに』
これは「和宮文書」を開いた最初のページに刻んである予言だった。
我らが宗主とはこの場合、一門の祖となった惺夜のことである。
「和宮文書」は惺夜の復活を告げていたのだ。
一門は惺夜の復活を恐れてきた。
そしてそのときは訪れてしまった。
17年前に。
「本当にきみが生徒会長をやってるなんてね。酔狂にもほどがあるよ、紫」
対面して遠夜が今日あったことの報告をすると、真っ先に樹が告げた言葉がそれだった。
もっときつい言葉を想像していた紫は苦笑するしかなかったが。
「きみも元気そうでよかったよ。これでも気にしていたんだよ」
「きみに気にされるようじゃ、ぼくもおしまいだよ」
きつく眼をつり上げてそう訴える樹に、「やっぱり扱いはぞんざいなんだな」と、紫は諦めるしかない。
元々、樹と紫は天敵だった。
今こうして1台の外車に同乗している現実の方が異例だろう。
蓮と紫は後部座席に並んで座っていて遠夜は助手席だった。
それを指示したのも樹である。
健康とは縁遠い遠夜は、疲労からトロトロと眠気を覚えはじめている。
それをみて樹は優しい笑顔を浮かべた。
「眠いんだろう? 眠っていいよ、遠夜。家についたら起こしてあげるから」
「でも」
「無理して起きていても、きみには百害あって一理なしだよ。いいから眠って。ね?」
「うん」
答えたときには、すでに半分以上眠りの国に旅立った後だった。
遠夜が完全に寝付いてしまうのを待って、樹は車を近くの歩道に寄せて停車させた。
わかっていた紫と蓮も多少身構える。
「どういうつもりでぼくのテリトリー内にいたんだい、ふたりとも?」
運転席からバックミラー越しに睨まれて、紫と蓮は顔を見合せた。
「敵対する身には1番安全だろう?」
「それに俺たちはもう昔の俺たちじゃない。幻将や魔将の名は捨てたんだ。今さら惺夜と敵対する気はない」
「ぼくが惺夜だって知ってるんだね、ふたりとも」
「気配が変わってないからな。今朝逢ってすぐにわかった。だから、ごまかさなかったんだ」
「噂を聞いてる段階から、そうじゃないかなとは思っていたんだよ」
「和宮樹の噂はちょっと異常だったからな」
「いくら歴代の宗主すべて が表に出るのをきらっていたとはいえ、一門がここまで徹底して隔離したのは、きみが初めてだし」
「知っているのはそれだけかい?」
なにかを探るような問いだった。
ここは性根を入れて答えるべきだと、ふたりは悟った。
今、樹をごまかしたら殺されても文句は言えないだろう。
「それは彼が」
紫の視線が今はぐっすりと眠っている遠夜に向けられる。
「一門の直系であることを言っているのかな?」
そう指摘した瞬間、車内の温度が一気に下がった気がした。
やはりこれは樹にとって見過ごせない問題らしい。
「そう怖い顔をしなくても口外する気はないよ」
「ごまかさなかったのは、知っている事実を伝えたかった。それだけの意味しかないんだ」
「まさか惺夜もわたしたちをごまかせるとは思っていなかっただろう?」
「魔将や幻将をごまかせると思うほど、ぼくは愚かじゃないよ。それに思い込めるほどきみたちを知らないわけじゃないんだ」
「だが、俺たちが指摘しなければ、ずっと惚けていたはずだ」
指摘されて樹は押し黙った。
「そうなれば粛清されても文句は言えないからな。これは俺たちの保身のためでもあるんだ。俺たちだって無用な争いは起こしたくない」
「綾乃とは逢ったかい?」
「いや。ぼくが現世になってから再会したのは、きみたちが初めてだよ。鬼女王とは逢ってない」
「逢わない方がいいよ。綾乃はきっときみを赦さないからね」
「紫苑が水樹を殺したからかい?」
やっぱり憶えていたかと紫は身構えた。
それは紫苑の死因も憶えているということだったから。
「だったらぼくがきみを赦す道理もないね」
「惺夜」
「ぼくはね、紫。これでもずいぶん忍耐強くきみと接しているつもりだよ。正直なことを言えば、きみの息の根をすぐに止めたいくらいなんだから」
「だろうね……」
「でも、それは紫苑の望むところじゃない。紫苑ならきっときみを許すように言うだろうから」
紫苑の意志を尊重しているだけで、樹が納得しているわけではないのだと、ふたりとも思い知らされた。
「だけど、きみたちを完全に信じたわけでもない」
「惺夜っ!! 俺たちはっ!!」
「口ではどうとでも言えるよ。きみたちが鬼女王の側の者だという現実は揺らがない」
ふたりが魔物だという現実は変わらない。
そう言われてふたりとも答えられなかった。
それは単なる事実だったから。
「紫苑の遺志を無駄にしたくないのなら、ぼくに信じさせてみせることだね。頭から疑ってかかるぼくを」
「わたしたちを試しているのかい?」
「試さざるを得ない事情が、ぼくの方にもあるんだよ。遠夜の身辺に危険を近づけたくないから」
「試されても俺たちに不都合はない。宗旨がえしたという現実は変わらないからな。俺たちが魔物だという現実が変わらないように」
自分たちの意志は揺らがないと言われて、樹は小さく口許だけで笑った。
それが本当で樹を信じさせるほどのものだとしたら、彼らは本当に変わった。
それも紫苑の影響だろうか。
紫苑は魔物たちにも好かれていたから。
「遠夜によけいなことは吹き込まないように頼むよ」
別れ際、樹はそれだけをふたりに告げた。
遠くなる車を見送って、ふたりはなんとなく顔を見合わせた。
惺夜の復活はこれからなにを変えるだろうと思いながら。
和宮樹。
和宮家の嫡子として生を受けた彼こそ、伝説の惺夜の化身である。
彼には生まれたときから惺夜の記憶があった。
だからこそ、彼は天才と呼ばれたのだ。
惺夜の記憶と能力は彼を天才児へと変えたのである。
それは同時に望んでも得られない紫苑への思慕を、孤独と同時に抱え込むことだった。
だから、昔の樹はお世辞にも人間らしかったとは言えない。
生き神そのものだったのだ。
それは一門が断罪者である樹を恐れ、隔離し監視してきた現実も影響していたけれど。
樹は5歳のときにアメリカに渡り大学へ通った。
そのときも両親は日本にいた。
1番親の愛情が欲しい時期に、自立を強いられたのは事実である。
まして樹には母親に抱かれた記憶すらもがないのだった。
記憶力に関して常人離れした樹の記憶だから確かなことである。
樹は生まれてから一度も母親に抱かれたことがなかった。
それだけではない。
逢ったことも数えるほどである。
父親は13のときに亡くしたが母親は健在である。
それでもなお逢ったことは数えるほどなのだった。
それは一条家の滅亡が絡んだ現実である。
樹の母は滅亡当時の一条の姫君で、現在となっては唯一、一条の遺伝子を握る存在である。
そのため一条家が滅びるのと同時に軟禁されてしまったのだ。
和宮の奥方にも関わらず。
一条家の当時の当主は和明という。
樹にとっては母方の祖父である。
彼には隆司という長男と都という長女がいた。
都は生まれてすぐに和宮家に迎えられることが決定し、兄である隆司の婚姻より1年ほど早く和宮家に嫁いだ。
そうして1年後に樹が生まれたのである。
樹が生まれたとき、都はまだ和宮の奥方として扱われていたが、産後の肥立ちが良くなく寝たきりだった。
そのため樹は母親に抱かれたことがなく、逢ったことも数えるほどなのである。
樹は母親のことを「都夫人」と呼ぶ。
それは息子として愛されたことのない彼のささやかな意思表示だった。
都は一条家滅亡の後もどこかに逃げ延びた隆司を思い、和宮の奥方としてではなく、一条の姫君として振る舞った。
彼女は気高い一条の姫君だったのである。
その誇りはだれにも汚せなかった。
和宮の奥方という地位も、樹という息子の存在も、都を変えられなかったのである。
後に樹はそれは樹のためを思っての、都の母としての思いやりだと言われたことがある。
それでも納得することはできなかった。
樹の生まれた環境は、そういう意味で最悪だった。
大地が17年かけても樹に近づけなかった理由である。
樹自身が一条の血を受け継ぐ唯一の男子であるために、御三家、最後の一家、伊集院家の現当主、伊集院義信は彼の意見に耳を傾けない。
樹が人間不信になっても、だれに責められようか。
樹の運転する車が静かにマンションの駐車場へと入っていく。
それをみていた大地は深いため息をついた。
「大地」
「戻ってきたのか、海里」
「当然だろう? それより学園で意外な情報を掴んだよ」
「なんだ?」
「魔将と幻将があの学園に生徒として通ってる」
「なにっ?」
顔色を変える大地に彼の傍に近づきながら、海里が5階を見上げた。
遠夜と樹は最上階に住んでいるのである。
その部屋に電気がつくのがみえた。
「しかも幻将はあの御方の隣の席なんだよ。厄介なことになったよ。これからはなにが起こるか気を抜けない」
「猶予の時をもうすぐ終えるというのに厄介な」
「本当にね。なんとか近づく術を考えないと」
簡単な方法があるにはあるのだが、海里はそれが成立するかどうかに自信がなかった。
「ぼくね、大地。教師に化けようかと思うんだけど、どう思う?」
「はあ? 冗談は寝てから言ってくれ」
「いや。本気なんだけど……」
「海里。俺たちは19になったばかりで術をかけられ時が止まっている。教師に化けられる外見かどうか、そのくらいすぐにわかるだろう? 無理だ。どう考えても」
「でも、これが簡単に近づける唯一の方法なんだよ。教師として親しくなれば近づけるかもしれないし」
「まあたしかに問題の多い学園内でも、行動は起こしやすくなるだろうが」
「いきなり押しかけて行って、ぼくらは皇帝陛下から勅命を与えられた直属の近衛士官ですと言ったところで信じてはもらえないだろうし」
「惺夜さまは信じてくださるんじゃないか? 素性のことはだれも知らないはずだから」
「なにも憶えていないあの方になんて説明するつもり? それでなくても警戒が厳しいのに」
「うっ……」
言葉に詰まった弟に兄は深々とため息をもらす。
自分の意見が無理難題ということはわかっているのだ。
弟の意見の方が正しいのである。
しかし疑われずに近づく術は、どう考えてもこれしかなかった。
でなければどんな近づき方をしても不審がられるだろう。
樹は信じてくれるだろう。
しかし彼はなにも憶えていない。
他に方法はないのだ。
彼をすべての危険から護るためには。
「まあ上手く懐に入り込めれば、すぐに真実を打ち明けることになるんだろうけど」
「そうだな。帰還に向けて動き出すには、そろそろ潮時だろう」
「そうだね」
頷いて海里は明かりの灯る部屋をみた。
そこにいる人を思い浮かべるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます