第3話




 もしも……あなたを殺すときがきても、おれは殺すよ。


 迷うことは許されない。


 でも、そのときは……おれも生きてはいないから。


 あなたをひとりで逝かせはしないから。


 どうせ残り少ない生命なら、この生命をあなたにあげる。


 なにもできなかったおれにできる唯一のことだよ。


 手を差し伸べてくれたあなたに、おれはなにもできずに殺すんだ。


 あいつが不安がっているのも、全部おれのせいだよ。


 おれの身勝手だよ。


 ごめんな?


 そんなに泣くなよ。


 おれは決して後悔していないし、おまえの笑顔が好きなんだから。


 生命の火が消える。


 目の前が暗くなる。


 だけど、頬に、瞼に落ちてくる雫。


 泣くなよって言いたくて、もう、言えなかった。


 謝りたくて泣くなよって言いたくて、もう瞼も開けられない。


 ごめん、な。


 おまえをひとり残すこと……許してくれよな?





「っ!!」


 泣きながら目が覚めた。


 条件反射的に飛び起きてしまっている。


 片手で眼を押さえても涙が溢れる。


 どうしてだろう。


 どんな夢かも覚えていないのに、子供の頃から物心ついたときから、泣きながら飛び起きるような夢をみる。


 カーテンの隙間から差し込む陽射しは、夏の香りを漂わせている。


 眩しい陽光。


 なのに涙が止まらない。


 この家にきて2年。


 もうそんなになるのかと振り返る。


 両親が事故死した後で現れたのが、今、義兄を名乗っている和宮樹だった。


 当時、樹はまだ15だった。


 だけど父の遺言だから遠夜を引き取ってくれると言った。


 最初は戸惑った。


 父から遠夜に宛てられた手紙もみせてもらった。


 それはたしかに父の筆跡で、間違いなく遺言だと認めてもいた。


 だが、抱えている事情が普通ではなかったので、彼の厚意に甘えることにためらった。


 中学の制服に身を包んだこともない。


 どんなに特殊な環境で育ったか、だれにも言えない。


 両親の事故だって普通の事故ではない。


 追いつ追われつのカーチェイスをやっていて、ハンドルを切り間違えたのか。


 車がスリップして谷底へと落ちて炎上したのだ。


 当然の話だが遠夜も同乗していた。


 とっさのことにだれも反応できなかったくらいの、悲惨な事故だったのに、何故か遠夜は助かった。


 しかも無傷で。


 憶えているのは気絶した遠夜を抱き上げてくれた「だれか」の腕の感触。


 支えてくれたぬくもり。


 そして夢うつつに聞いた「声」だけだった。


『ごめんね? ぼくにもっと力があったら、ご両親も助けられたのに。でも、無事でよかった。きみを助けられてよかったよ』


 耳許でそうささやかれた科白。


 あれはだれだったのだろうと今でも思う。


 遠夜をホテルに寝かせ、父と母の葬儀の手筈も整え、すべてが終わってから姿を消した。


 遠夜が目覚める前に。


 だから、だれなのかは知らないのだが、逢って一言でいいから礼を言いたかった。


 それが今の遠夜の夢なのである。





 乱暴に涙を拭うと、いつまでも起きてこない義弟を気遣ったのか。


 それともいやがらせか。


 ノックもせずに扉が開いた。


 開いた扉に背を預け、優雅に両腕など組んでいるのは、とんでもない美少年である。


 色素の薄い髪と瞳をした大人びた容貌の。


 背は高く細身だが、抜群のプロポーションをしている。


 職業やバイトがモデルですと言われても、だれも疑わないだろうと思えるほどの美貌を無造作に持っていた。


 いつもなら嫌味や皮肉を言って、からかってくる性格の悪い義兄なのだが、今日は遠夜の様子が変だったからか。


 ため息をついてから、そっと近づいてきた。


 無言で見上げる遠夜の前まできてから目許を拭う。


「また泣いて飛び起きたの? いったいどんな夢をみてるんだろうね、きみは」


「わかんない。夢の内容だって覚えてないんだ。なんで泣いてるのかなんて、おれの方が知りたいくらいだよ」


 泣いていたことを見抜かれ、恥ずかしくなった遠夜が、パッと飛び降りた。


 その瞬間、グラッと上体が揺れる。


「遠夜?」


 倒れる前に受け止めた樹が心配そうな声を出した。


「あれ? ごめん。目が回って立てないよ、おれ」


 15の少年にしては軽い身体を抱き上げて、樹がため息をつく。


「気候のせいかな? きみは夏と冬に身体が弱るみたいだから」


 そういって気遣うようにベッドに横たえた。


「いやだなあ。今日は転入第1日目だったのに」


「諦めるしかないね。熱があるよ、きみ?」


 額に手を当てていた樹が呆れたように言う。


 この体調で学校に行くつもりだったのかと。


 が、遠夜には通学の問題以上に気になることがあった。


「なあ、樹」


「なに?」


 看病の準備をしようと部屋を出ていこうとしていた樹が振り返る。


「おれのことはいいから本宅へ帰れよ。おれが寝込んでいたら、だれも樹の世話ができないしさ。そうなったら食べるのも難しいだろ?」


 実は樹には日常生活能力なるものがまったくない。


 何度教えられても身に付かない。


 失敗して散らかして、悲惨な状態を招くだけなので、遠夜も諦めて久しい。


 今まで身の回りの世話なんて、放っておいてもやってもらえる王子様的境遇だった樹である。


 本人がそれを自覚したのは、遠夜とふたりでこのマンションに移り住むようになってからだが。


 5階建てのこじんまりとしたマンションなのだが、その設備などは最高級の億ションのひとつだった。


 呆れることに樹はそれをマンションごと買い上げて、なんと遠夜とふたりだけで住んでいる。


 おかげで何軒もの家が空き家のまま眠っている。


 なにを考えてそんな無駄なことをしたのか、遠夜には謎である。


 やはり金銭感覚が違うのだろうか。


 遠夜にしてみれば、そんな無駄なことをされるより、一軒家でも買ってくれた方がよかったのだが。


 が、本宅に帰れと言われたとたん、目にみえて樹の機嫌が悪くなった。


 ムスッとしつつ彼曰く。


「本宅になんて帰らないよ。それは本宅に戻れば、なに不自由なく暮らせるだろうけど、あんなの牢獄と同じだよ」


「おいおい。それが財団の当主の発言か?」


 呆れる遠夜から目を逸らし、樹はそっぽを向いている。


 まだ17歳の少年だが、樹は和宮一門と呼ばれる大財閥を率いる当主である。


 一族のあいだでは宗主と呼ばれるが。


 13歳のときに父親が亡くなり、宗主の座を引き継いだ正真正銘の財界のプリンス。


 が、何故か彼は一門をきらっており、遠夜を引き取ってからは、遠隔的に指示を与えるだけで、一門の者と逢おうとしなかった。


 どういう意味で一門なのかすら、遠夜は説明も受けていない。


 樹ははっきりと自分の一族をきらっていた。


 理由は知らないが。


「とにかくきみはぼくのことは心配しなくていいから、元気になることだけを考えてほしいな。きみが一度体調を崩すと長引くからね。あんまり心配させないでほしいよ、遠夜」


 それだけを言って樹は出ていった。


 高熱が出ているため、額を冷やす物を準備しに行ったのだろう。


 さすがに一緒に暮らすようになってから、日常茶飯事的に倒れる遠夜の世話をしているあいだに、看護についてだけは人並みにできるようになっている。


 が、扶養家族という負い目のある遠夜は、なんとも苦い気分になるのだが。


「あの頑固者。食事どうする気だよ?」


 片手で前髪を掻き乱す。


 自分では食事の支度どころか、掃除すらできないくせに、いったいどうする気なのか。


 まあ言っても無駄だとわかっていても、一応言っているだけなのだが。


 どんなに言っても樹は本宅には戻らない。


 和宮一門。


 家系図を遡れば、ほとんど神話の時代よりも古くまで行き着けるという、由緒正しい大財閥である。


 今では架空の王国に近い、邪馬台国の女王、卑弥呼の時代が天照大御神が登場する神話よりも前に実在をしたとされている。


 一説では天照大御神のモデルになったのではないかと言われている時代。


 和宮一門には日本最古と言われる古文書があるという。


 その古文書が卑弥呼の時代よりも古く、歴史的には原始人の時代とされている謎めいた時代のものらしい。


 実際のところ、文字すらなかった時代の文書など、どこまで信用できるのかと、遠夜は疑っているが。


 しかし、それを否定するには、一門にだけ備わっている異端の力について説明できない。


 陰陽道、神道、鬼道、白魔術、黒魔術。


 力の流派は数々あれど、すべての力には制約というものがあり、例えば白魔術をよくする者に黒魔術は使えないのである。


 万が一うっかり使ってしまったら、術返しにあってしまう。


 それが力を持つ者の宿命である。


 だが、和宮の力にはその揺り返しがない。


 どんな流派のどんな力も自在に使いこなせる。


 それは歴史を踏まえて考えると不自然なことだ。


 それでも可能だというなら、それはもう彼らが日本で1番古い、術者の集まりであることを意味する。


 といってもここまでは遠夜の推測に過ぎないが。


 和宮一門はその規模も世界的なものである。


 だが、中心となるべき人々はいて、それが御三家と呼ばれる一門の中心だった。


 宗家を名乗る和宮家。


 系図的には比較的新しい家系である伊集院家。


 そして影の宗家とまで呼ばれていた宗主の側近を代々努めてきた一条家。


 頭の中にすでにインプットされた情報を思いだし、遠夜はため息をつく。


 遠夜は和宮一門については、樹からはなにも知らされていない。


 また彼からもよけいな好奇心はもたないようにと、クギを刺されたことがある。


 あんな世界に関わらせたくないのだと、樹はそんな言い方をしていた。


 自分が統べている一族を卑下するような言い方だった。


 が、彼の世話になる以上、そういった情報収集は遠夜には不可欠なものである。


 厄介な事態にならないように、財閥関係をさけられるように、樹にも内密に情報を集める必要があった。


 今思い出しても拍手喝采したいくらいだが、一門の情報は何重にもブロックされていて、引き出すまでに時間がかかった。


 普通にハッキングしたのでは、どうしても情報が手に入らなかったのである。


 おそらく一門特有の力を使って情報を封じているのだろう。


 人為的なものを感じたが、遠夜はそれをわずか2時間で破った。


 そうして知った。


 和宮一門とはいわゆる術者の集団であり、そういった力を使って、財界に名を馳せているのだと。


 神代の昔から和宮一門は政財界の情報源だった。


 古来からなにかあれば、和宮一門の力に頼るのが常識となっていたのだ。


 それゆえにガードが固かった。


 そういうことである。


 和宮が普通の財閥ではなかったから。


 なんらかの力を使っていたのだと、ハッキングに成功した後で気付いたが、そのときにふと疑問をもった。


 どうしてなんの力もない遠夜に、特殊なガードを破れたのだろうと。


 考えたところで答えは出なかったが。


 それでも一門の核ともいえる樹の情報については、まったく得られなかった。


 樹の扱いがそれだけ特殊なのか。


 どう調べても出てこなかったのである。


 この辺りが怪しいなと遠夜は睨んでいる。


 樹が一門をきらう理由が、その辺にあるような気がしたのだ。


 尤も。


 ハッキングして情報を掴んだなんて言えないので、樹に問いただすことはできないが。

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