第2話
その肖像画は普通の者はみられないように、ひっそりと隠されていた。
50年近く前に故郷を捨てた高貴なる方々の絵姿。
それは想像していた以上に印象的だった。
これからの任務のためにみせてくれた皇帝は、やりきれない瞳でそれを見上げている。
愛しさと悔恨の情が混ざった表情で。
「これがわたしの世継ぎと弟皇子の肖像だ。顔も知らなければ、どうしようもないからな」
「「はい」」
光栄さに硬くなりながらも、ふたりがそう答えたとき、皇帝がふっと笑った。
どこか翳りのある笑みで。
「これから大変だとは思うが、どうかふたりを見つけ出して護り、そうして帰還させてほしい」
皇帝からの命を受け、ふたりは首肯した。
決意を瞳に浮かべて。
「わたしは二度も世継ぎを失いたくない。猶予の時は生前と同じ姿まで、だ」
「承知致しております。ですがこのお姿は人間で言えば、どのくらいの年齢にあたるのでしょうか。見つけ出してから覚醒されるまで、おふたりは人間として成長されるでしょうし」
それがわからないと判断の基準がないという双生児の兄に傍にいた弟も頷いた。
言われて未だ年若いと言われる皇帝は、すこし悩んだように首を傾げた。
「そうだな。基準となるのは世継ぎの方だから、それでいくと15、6といったところか?」
皇子が出奔してから宿命の時を迎えるまで、どのくらいかかっているか、それは皇帝にもわからない。
わかっていればそのときに連れ戻している。
それが悔やまれてならない。
「もしあちらで過ごした時間が予想よりも長くて、皇子のお姿が変わってしまっている場合の基準はどうなるのでしょうか?」
もう一度訊ねられ、皇帝はかぶりを振った。
「あのときの様子では長くもって人の世で300年が限界だ。300年ていどでは皇帝は変われない。成長できないのだ。だから、基準はこの頃でいいだろう」
皇帝と一般の人間との時の流れは一致しない。
肉体的な作りも違うのだ。
それはしかたのないことである。
頷いたものの引き受けた任務はかなり困難で、ふたりはそっと顔を見合わせた。
「難しい任務を頼んで済まないが、ふたりなら上手くこなせると信じている」
「ありがとうございます」
「それから時の流れが任務に影響を与えないように、ふたりに術をかけようと思う」
「「え……」」
びっくりするふたりに皇帝は笑ってみせた。
「15年と仮定して、まだ世継ぎが生まれていないから、更に2年から3年を足して、約20年近く。普通の人間であるふたりには、時の流れが障害になるだろう?」
「それは……確かに」
任務にそんなに時間をかけて帰還したら、ふたりとも中年である。
さすがにそれはいやだった。
「それにわたしもそなたたちほどの逸材を、この任務ひとつで失いたくないからな。ふたりの成長が皇族と同じになるように、わたしが永久的な術をかけよう。そうすれば多少の無理もできるはずだ。皇族は皇帝以外は呆れるくらいに健康だからな」
苦々しい顔の皇帝に、ふたりは答えるべき言葉がみつからなかった。
皇帝の血の影響ですべての皇族は、たぐいまれな肉体を手に入れることができる。
不老長寿という特質と共に。
なのにその根本とも言われる皇帝だけが、その規定から外れるのである。
皇帝になれば多少、条件が変わるのだが、世継ぎのあいだはその影響が色濃く出てしまう。
つまり病弱で虚弱な体質をもっていることを意味する。
そのくせ寿命は皇家で1番で、またその力の強さも1番ときている。
あまりに身に宿す力が強すぎて、健康を害するくらいに。
つまり皇帝を継ぐ者が病弱で虚弱なのは、生来、身に宿しているその強大な力故、ということになる。
その守護を任された方が、皇帝の弟皇子の守護を任された方より、肩にずっしりと負担を感じていた。
生半可な覚悟では護れない相手なので。
それぞれに皇帝から術をかけられたふたりは、お互いの顔をみてみたが、特に変わったところはみつからなかった。
身体にもなんの影響も感じない。
ふしぎそうな顔のふたりに皇帝は静かに笑っている。
「ひとつだけ守ってほしいことがある」
「「はい?」」
「これは主に海里に言っている」
名指しされ、海里と呼ばれた優しそうな青年が、背筋を伸ばした。
年の頃は18、9といったところだろうか。
青年と少年の狭間といった外見の持ち主だった。
「わたしは世継ぎの死因を知らない。確かに身体は虚弱だが、普通はあそこまで育てば、簡単には死ねないものだ。それなのに何故そんな事態になったのか、わたしはそれが知りたい」
憂鬱そうな眼の色は、世継ぎは自決したのではないかと恐れる色があった。
「頼む。危険は承知しているが、その力で、その魔術の力で時を遡り調べてほしい。世継ぎの身になにが起きたのかを」
「承知致しました。必ずやご命令どおりに致します」
「世継ぎが生まれれば、それは中断していい。世継ぎを護り抜く方が大切だからな」
「はい」
そのあいだにどのていどのことが調べられるだろうかと、海里はそっと胸の内で呟いた。
「それから、大地」
「はっ」
一礼する大地と呼ばれた青年は、海里と似通った顔立ちだったが、彼よりも大人びてみえた。
背もすこし高いらしいし、体格も一回りは大きい。
どうみても兄にみえるが、実は海里の方が兄だった。
そしてまた実力でも海里の方がはるかに上なのである。
その優しげな容貌には似合わず。
勝手に舐めてかかって、海里にひどい仕返しを受けて、勝手に自滅した連中を大地は大勢知っている。
まあ少なからず兄が優秀すぎたため、巻き込まれた大地も、被害を拡大させた傾向にはあるのだが。
が、海里はすごい。
海里は力で叩きのめすのではなく、相手にどうしても勝てないと思わせる。
そうして自滅させるので、実際には事件は起きないという1番敵に回したくないタイプだ。
その点で海里の恐ろしさは、大地が1番知っている。
手を出さずに相手に自信を喪失させて自滅させる。
怒らせてこれほど恐ろしい者も、そうそういないだろう。
気性は大地よりよほど社交的だし、本当に優しく人好きのする性格の持ち主だ。
だが、そういった意味では厳しい兄だった。
そのせいか大地はかなり無口である。
今まで質問していたのも海里だけで、大地はダンマリを決め込んでいた。
それなのにいきなり皇帝に声をかけられて、ひっくり返りそうなほど緊張して飛び上がってしまった。
表面的にはそうみえないのが、大地の悲劇なのだが。
隣に控えている海里は「また焦ってるよ」とでも言いたそうだ。
不器用、口下手、無愛想と三拍子揃った双生児の弟をみながら。
「これから関わるようになれば、いやでもわかるだろうが」
「はい?」
「わたしの年の離れた弟は、ちょっと厄介な気性をしていてな」
これにはふたり揃って顔を見合わせてしまった。
肖像画をみるかぎりでは、多少、中性的だが優しそうな皇子にみえるのだが。
「これが気に入った相手にしか心を許さない。人と打ち解けるということが、ほとんどないんだ」
「はあ」
そんなに気難しい皇子だとは思わなかった。
上手くやっていけるのだろうか。
大地だって人と付き合ったり打ち解けるのは、ものすごく苦手なのに。
それがふたり揃ったら、ただ黙って向かい合っている沈黙の図、なるものが頭に浮かぶ。
さすがの海里も青ざめたが、大地の方がよほど困っているだろう。
対極に位置する性格の持ち主も大地は苦手だ。
だが、どちらもが相手が話し出すまで待っているような状況も絶対に苦手だろう。
大地の前途も多難なようだ。
「特に同性には冷たくつれないんだ。これでは護衛も難しいだろうから、ひとつだけ手段をやろう」
「手段……ですか?」
「そうだ。これをやれば絶対に無条件で打ち解けるから安心するといい」
「いったいどんな?」
「とにかく徹底的に世継ぎを護れ」
「は?」
言われた言葉の意味がわからなくて、大地がきょとんとした顔になる。
「あれが1番この世で大事にしていて、価値基準となっているのは世継ぎだ。世継ぎの敵にさえ回らなければ、あれは簡単に受け入れるはずだ。ただし上辺だけでは無理だろうが」
つまり自分に好意的とか、そういう動機では心は動かされないということだ。
彼にとってすべての価値基準、判断基準は大切な世継ぎの皇子である。
彼を優先するため、受け入れる相手も、彼にとって敵にならない相手、となる。
言い換えれば一度でも世継ぎの君を傷つけたら、彼は絶対に許さないということだ。
簡単なようでいて難しい条件の提示に、大地は黙り込んでしまった。
何故ならそのふたりが近くに生まれて、生まれたときから付き合いがあれば、そういう方法も有効だろう。
だか、その保証がない。
それに上辺だけではダメだと言った。
それだけ人をみる目が厳しいことを意味している。
うかつに人を信じていれば、どんなことになるかわからないと、常に自分を律しているのだろう。
彼は護るべき者だから。
先帝の第2子で生まれながらの皇子ではあるのだが、このとき大地はふとこう思った。
「皇子は生まれながらの戦士でいらっしゃるのですね。護るべき者をもつ」
「そうだ。そういう意味ならふたりと似ているな」
言われてふたりも誇らしい気分になる。
「信頼を手に入れるのは難しいとは思うが、くじけずに頑張ってほしい」
ふたりがやるべき第一歩だ。
皇帝の弟皇子の信頼を勝ち取ることは。
「あれは真摯に接してくる者を敵視できる気性ではないから」
「はいっ」
「海里」
「はい」
「世継ぎは身体が弱い。だから、絶対に護り抜いてほしい。世継ぎは……わたしの宝だから。彼の生命をわたしがもぎ取ったのだから」
やるせなく瞳を閉じる皇帝に、ふたりはなにも言えなかった。
皇帝から必要な情報はすべて提示されている。
だから、今の言葉がどういう意味かは、ふたりにもわかっていた。
しかしうかつな慰めも言えない問題だったため、ここは見守るだけにしておいた。
本当に傷ついているときは、人はそうっとしておいてほしいものだと、ふたりはその境遇的に知っていたので。
「さあ。次元の扉を開けようか。海里と大地がふたりを連れて戻ってくる日を待っているよ。どんなに些細なことでも、すぐに報告してくれ。元気で」
皇帝の手で開かれた次元の扉を潜ってから、ふたりは彼に向かって頭を下げた。
その姿が歪んで滲んで消えていく。
完全に消滅してしまうと、皇帝は深々とため息をついた。
彼らが帰還するのはいつだろう?
その日を夢見ながらも、不安な気持ちを打ち消せなかった。
何故、死なないはずの世継ぎが死んだのか。
それが気にかかる。
仮の器で転生し、赤ん坊からやり直している弟皇子の姿を脳裏に思い浮かべて、皇帝はため息をつくのだった。
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