歩けるようになんてならなくていいのに

論より硝子

第1話

私を支えるその手、私を見守る目、何時私が転んだっていいように準備しているその脚、貴方を貴方たらしめる全てが愛おしかった、車椅子から立ち上がる時貴方は手を貸してくれる、まるでダンスに誘う紳士のように、子供に手を貸す母親、或いは父親のように。

私が酷い悪夢を見た時、貴方を呼び出せるナースコールのようなものがあればいいのにとすら思う。悪夢を見る時は大抵1人だ、あの時だってそう。買い物をした帰り道、車に撥ねられて倒れる私を本当の意味で心配してくれる人なんていなかった。私のことを遠巻きに見る人達、目を背ける人、みんなが私を心配しているようで心配していなかった。病院を退院して学校に行き部活動に顔を出した。車椅子に座る私を見てみんな口々に心配や同情をしてくれる。でも私にはわかる、部活動の顧問は部内で1番記録の良かった私がこんな姿になって大会を勝ち上がることが出来なくなったことを嘆いているし、部員達はリレーと中距離の枠がひとつ空いたことに安堵していた。嗚呼、やっぱり貴方だけ、貴方だけが心配してくれる。リハビリが辛いのだと言えば困った顔で笑いながら、ゆっくりやっていこう。なんて遅効性の毒みたいな優しさで私を少しずつ殺してくれる。この微温湯みたいな地獄に私はずっと浸っていたかった。それでもやっぱり好きでしていたことを出来なくなったのは辛いし部内で1番記録が良かった、というのは私のアイデンティティ足りえたので、それを失った私は酷く不安定な存在になった。希死念慮に襲われる度に外傷という形で残して見せびらかしたり、ヒステリックに喚いたりした。その度に貴方は傷跡を撫ぜて、辛いよね、大丈夫、大丈夫だから。なんて甘い毒を飲ませてくる。私はその毒が欲しくてまたヒステリーを起こしていた。何度目かの甘い毒の処方箋を貰った時貴方は私の事を両の腕で抱きしめながら留まっているから辛いのだと、そろそろ前に進まなきゃ行けないよと言った。いきなりそんなナイフで刺してくるなんて予想をしていなかった私はついつい貴方を突き飛ばしてしまった。ああ。違うのよ。だって酷いじゃない、いきなりナイフを突き付けて来るなんて。今までトルコ菓子みたいな甘い甘い毒で私を殺してくれてたのに、いきなり生かそうとしてくるなんて。蹲って泣いていると貴方はいつもみたいに手を貸してくれるそうして私を車椅子に座らせてくれる。私に鎖をつけたのは他でもない貴方なのに、どうしてその状態で進めと言ってくるの、そう問うと貴方は何時もの困ったような笑みを浮かべてはくれなくて、酷く悲しい表情をしながらこういった。やっぱり君はそうなんだね。そう言うと今日は帰りなさい。リハビリの予約だけして行ってと冷たく言い放って奥に引っ込んでしまった。言われた通りにリハビリの予約だけ済ませて家に帰る。次のリハビリの日、私を担当したのは知らない人だった。私のことを嫌いになってしまったのかと思った。貴方に来て欲しくて子供みたいにヒステリーを起こして見たけど貴方は訪れてくれなかった。その日から病院にも学校にも行っていない。ねえ、貴方、待っててね。すぐに歩けるようになって貴方の近くに行くからね。ああ、私、歩けなくなって本当に良かったわ。

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