墓標
論より硝子
第1話
恋人は、私と一緒に煙草を吸う人だった。
恋人と別れてからしばらくして、煙草の吸える喫茶店で砂丘律を読んでいる時に再会した。お金と時間にだらしなく、給料日の1週間前に金を無心するような人だったけど。
金を無心している時の恋人は酷く情けなくて愛しかった。
金を無心できるような友人のいない恋人は、私に頼らないと生きていけない、どうしようもない人なんだと思うととても愛しくて、私は毎月15日が待ち遠しかった。
「別れよう」いきなり言われたそれに対して、少し意地悪を言って見たくなって二つ返事で了承してしまった。
最近よく耳にする、愛を確かめるための呪文ではなかったらしく、恋人は私の前から姿を消した。
態々喫茶店に来て煙草を吸うような人ではなかったのにどうしたのだろうと思って尋ねると、少し小さな声で「恋人の前では吸わないんだ。」と言った。付き合っていた頃、千草創一の「たばこへ火さし出すことの、ゆっくりとあなたを殺してあげてるんですよ」
という歌がお気に入りだと言っていた事をふと思い出して、もしかして恋人の健康とか気にしてるの?と尋ねてみると、その人ははにかみながらうなづいて見せた。
私の前では吸っていたのに、今の恋人の健康は気にするんだ。
そう思ってしまう程度に私はその人の事がまだ好きらしい。
「好きだったっけ、千草創一。」
あなたが 置いていったものじゃない、そう言うとその人はそうだったっけと笑う。嘘、私が荷物からこっそり抜いて隠しておいたものだ。本当に別れてしまうことをようやく察した感の鈍い私が、いつか取りに戻ってきてくれることを願って抜いたのだ。
暇を持て余してそれを読んでみたところ好きになってしまい良く読むようになった。
千草創一の話をふってみたところ、思いのほか盛り上がってしまい喫茶店に少し長居してしまった。
その後の予定があることを思い出した私は話を途中で切り上げて2人分の代金をテーブルに置いて店を出た。
その日の夜、ベランダで煙草を吸いながらぼーっとしているとLINEが1件届いた。あの人からだった。喫茶店で貰ったお金は多すぎるからお金を返したい、との事だった。
私が付き合っていた頃のその人なら少ないことに文句は言っても多い分には黙っていただろうが、どういう風の吹き回しだろうか。そう疑問に思いつつも了承し、会う場所と日程を決めた。
その日、その人は時間通りに現れた、以前なら絶対遅れてきたのにどういう事だろうと思い尋ねると今の恋人は時間に厳しい人なんだと言った。
真人間に近付けて良かったね。私がそう茶化すとはにかみながらありがとうと礼を言われた。
これも以前ならば自分は元から真人間だと屁理屈を捏ねて私を納得させにかかっていたところだが、何から何まで変わってしまっているらしい。
そうだ、と言ってお金を渡してきた。これは?と尋ねると2人分のお金置いていったでしょ?だから半分返すよと言ってきた。
珍しいね?自分の分払うなんて、と言うと今の彼女はお金に几帳面なんだ。と言っていた
じゃあ、確かに渡したからね、そう言って帰ろうとするその人を私は呼び止めた、すぐそこに本屋が併設されている喫茶店があるんだ、どうかな。と言うともう自分には恋人がいるんだ、だからダメだよ。ごめんね。そう言って雑踏の中に姿を消してしまった。
そこからどうやって帰ったかはあまり覚えていない。
覚えているのは、車窓から景色を眺めていたらいつの間にか流れていた、涙の冷たさだけだ。
嗚呼、私の前に現れたあなたはもう知らない人だった。以前のあなたとは比べ物にならないほどに真人間で、甘やかすだけの私と付き合っているよりも、今の恋人と付き合っている方があなたのためになる、だのに、私の心はあなたを欲している。
その日は大量の酒と味のしない夕食を胃の中に流し込んで、風呂にも入らずに寝てしまった。
結局、依存していたのは私の方だったのだ。
今でもLINEのやり取りは続いている、続いているというか、私が送ったメッセージに簡単な相槌だけというコミュニケーションとは到底呼べないような文章のキャッチボール、それでも私はその時間が幸せだった。
ある日LINEが1件届いた。あの人からだった、結婚する。恋人に悪いからもうメッセージのやり取りはしない。という内容だった。それに対してわかった。と打ち込めたのは僅かばかりのプライドからか、それともいつものかっこつけてしまう悪癖からか私にはわからなかった。
こんなことなら返せばよかったな、砂丘律。そう言って本棚に目をやる、本棚には一冊の本が寂しげに置いてあるだけだった。
墓標 論より硝子 @ronyorisyouko
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