行き場のない気持ちの、行き場

 夏休みの、あの日から。

 僕は毎日、サックスの練習をした。練習する理由ができたからだ。

 先輩を応援したい。僕の気持ちが、報われなくていいんだ。僕の想いが、届かなくていいんだ。

 側にいることができれば僕はそれで……

 それで……

 それでいいはずなのに。目じりが熱くなってしまう。

 僕の心が、そうじゃ無いと叫んでる。先輩の一番近くに居るのは僕なのに、どこの誰かもわからない。想い人と先輩を応援するなんて、そんな思いがないわけじゃない。


 でも、思いに蓋をして。僕は練習を続けた。

 僕だって先輩に好かれたいけど、それは全てが終わったあとでいい。

 先輩が幸せなら良いんだ。泣かせたくないんだ。笑ってて欲しいんだ。


 それに……

 先輩が演奏で伝えようとするなら。僕だって演奏で伝えないと不公平だし。演奏で僕は先輩を振り向かせたいんだ。

 正々堂々と。

 あれやこれやと策を練るのは、僕にはできないし。でも正面から告白もできないしで。結局演奏することでしか伝えれなくて。先輩も同じ気持ちなのかな。


 悶々とした思いと一緒に練習をして。

 サックスも自分の物を買った。夏休みに頑張ってバイトをした。もちろん……お金足りなくて誕生日プレゼントに強請ったんだけど。兎にも角にも、自分のサックスを手に入れて練習にも熱が入った。

 そして気が付いたら文化祭の日になってた。


 2日ある文化祭のなかで、ステージ発表は1日目のお昼頃。

 体育館のステージ裏。僕はサックスを、先輩をフルートを持って待機していた。


 先輩は『そわそわ』『もじもじ』と、落ち着かない様子で。何度も何度もフルートと最終確認とかしてて。


「落ち着かないんですか、先輩」

「あはは……これからみんなの前で演奏するって思うと。ね?」

「大丈夫ですよ。先輩なら」


 だって僕は知っている、


「先輩の演奏なら、みんなに届きます」


 演奏中の先輩を僕だけが知っている、


「先輩の気になる人にも届くはずです」


 フルートに息を吹き込めば、雰囲気が変わるのを知っている。


「そうだと、良いな」


 今やっていたステージ発表が終わったみたいで。司会の生徒が僕たちを呼んだ。


「それでは次の発表に参りましょう。お次は我が校の吹奏楽部の演奏だ。たった2人だと侮ることなかれ、二人の奏でる音に酔いしれることは間違いなし!」


 大袈裟すぎる謳い文句に、先輩がさらに震えだして。『ピタッ』と止まった。先輩の顔を覗き込んだら、その顔は演奏中の綺麗な先輩に変わっていて。


 僕と先輩はステージに立った。


 演目は【黒いオルフェ】

 見せ場はもちろん先輩の独奏。だから、僕がすることは先輩をサポートすることだけ。

 体育館にいる他の生徒からすれば、サックスの音は脇役で。でもサックスの音全てに、僕は気持ちを載せる。

 臆病な僕が、演奏に想いを入れる。話すことのできない本音を、音に乗せる。先輩には気づかれない。集中してる先輩には、届かない。

 届かなくていいんだ、僕の想いなんて。


 体育館にはサックスと、フルートの音が響き渡る。天井、壁、床。反射するもの全てに反射した音は、体育館を音の波で埋め尽くす。

 ステージより下にいる人は皆、溺れる。苦しみの無い、音の波に。瞼を閉じて、瞳を光から覆い隠し。

 音の波にたゆたう姿は、揺りかごで寝る赤子のようで。


 先輩の旋律から、好きだという思いを感じ取れる人は。先輩の想い人は、体育館に居るんだろうか。


 演奏の全てが終わり、静けさに包まれた体育館。

 その静けさを破ったのは拍手で。

 それを眺める先輩の顔は、喜びとその裏に悲しみを滲ませて。

 この体育館に、先輩想い人が居なかったのだと。そう語っていた気がして。


 先輩の想いが込められた音は、余韻を残して体育館から消えていった。

先輩の想いと一緒に、行き場を失って。


僕の脳裏に残響という形で、こびり付いたまま。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る