奏でる意味とは
そんな生活を3ヶ月過ごして7月の終わり。夏休みに入ってから、僕はサックスに触れていなかった。
近所迷惑になるから、練習ができない。と、言うのは言い訳で。
僕がサックスを始めた理由が、先輩に近ずきたいからって。醜くて穢れた、不純な動機だったからだ。欲望の先にある行動って。欲望を満たすための手段の時、長続きしない。
だから、学校に行かなくなったら。楽器を持たなくなった。楽器自体はそもそも、学校から借りてるのなんだけど。
きっと先輩はもっと綺麗で、崇高な理由で楽器を手にしてるんだろうなって思う。欲望の種類が違うんだ。
音楽が好きだとか、もっと上達したいとか。そんな欲望なんだ。だって先輩だから。
僕の知らないところで先輩は、今日もフルートの練習をしてると思う。
自分の部屋で先輩のことを考えていたら、スマホに連絡が来た。夏休みだし、友達と連絡を取り合うことも多いけど。
今回は、先輩からだった。連絡先を交換したのは、部活のためという。事務的な理由だったけど、それでも僕は嬉しかった。
「おはようございます、先輩どうしたんですか?」
「おはよ、後輩くん。今日一緒に練習しないかなと思って」
先輩から練習の誘いが来るなんて、思って無かった僕は驚いた。自分でも分かってるんだ、あくまで僕は部活の後輩止まりの存在だって。
だから先輩から、夏休みに連絡が来ることは無いと。そう思い込んでたから。
「練習ですか」
「忙しかったら無理にとは言わないけど」
「練習しに行きます。場所どこですか?」
少しかぶせ気味に僕は言った。嫌がってるふうに聞こえたんじゃないかって思ったから。嬉しい気持ちを抑えるのに必死で、嫌そうに言った僕が悪いんだけど。
練習場所は学校の音楽室だった。サックスが自転車の籠に入らないから、歩きで学校まで行くのは大変だったけど。先輩に会えるならと、僕は欲望に忠実だった。
高校に着くと、校庭では運動部が忙しなく動いていて。途中歩道を走る生徒ともすれ違った。
本当に運動部は活動的だとおもう。
音楽室の方からはもうフルートの調べが聞こえてきていて。先輩はひと足早く練習してると気づいて、急ぎ足で音楽室に向かった。
『ガラッ』と戸を開けると、その音に気がついた先輩が演奏を止めて微笑んでくれた。
「待ってたよ、後輩くん」
「おはようございます」
その笑顔はやっぱりかわいくて優しくて、好きだと思う僕がいる。
「練習前に話したいことあるんだけど良いかな?」
「いいですよ」
何の話だろうと、考える時間はなかった。そもそも考えて分かる自信もなかったんだけど。
「文化祭に、二人で出し物しない?」
「文化祭って、出し物するんですか」
新入生の僕は、文化祭の事なんてよく分からないから。何をするのか先輩に聞かなきゃいけなかった。
「えっとね、ステージ発表があって、そこで一緒に演奏がしたいの。吹奏楽ブラシ活動もしてないから、文化祭くらいは何かしたいと思ったの。ダメ……かな?」
ダメ……かな? って好きな人から言われて断れるのかな。僕には無理だった。
「はい、先輩のお願いならなんだって」
「ありがと、後輩くん」
先輩の優しい笑顔を見るためなら、僕はなんだってする。そう思う僕はやっぱり、欲望に忠実で。
どんな曲を演奏するのかも聞かないで、先輩にお願いされたからと言う理由で安請け合いした。でも、後先考えない選択って言うのは。やっぱり後悔するように世界はできているらしくて。
「曲は私がいつも引いてる曲なんだけど、ちょっと事情があってね」
「事情ですか?」
僕の心の中で「ガンガン」と鐘がなる。良くないことが起きる予感がして、熱いはずなのに寒気がして。鳥肌が『ぞわっ』と、肌に浮き上がってきて。
だって、いつもの曲ってことは。もしかしたら、想い人を思って奏でているかもしれない曲のことで。
「曲を聴いてほしい人が居るの。でも、私一人は度ちょっと恥ずかしくて。だから後輩くんに、一緒にステージに立ってほしかったんだ」
曲を聴いてほしい人って、つまり……
僕は意を決して、先輩に聞いてみることにした。
「曲を聴いてほしい人って、先輩の……」
「うん、やっぱりわかっちゃうかな。好きな人。私が吹奏楽部に入った切っ掛けの人なんだ」
やっぱり、そうなんだ。最初はそう思って話を聞いていた。でも、最後まで話を聞いたら。そうなんだ、なんて思えなくなっていて。
「初めて彼の演奏を聴いたとき、凄くドキドキしたの」
僕の中の先輩という印象にひびが入って。『ガラガラ』と崩れ落ちる音がした。
だって、先輩が吹奏楽部に入った切っ掛けってことは。
「わたしね、これが恋なんだって知って。すごく舞い上がちゃって」
僕とおなじような理由だってことで。
僕は先輩は綺麗なんだって、勝手に思ってただけで。僕が勝手な理想を、先輩に押し付けていただけなんだって。
「彼に近づきたくて吹奏楽部に入ったの。後輩くんみたいに、新しいことに挑戦したいって言う。綺麗な理由じゃないんだ」
僕の入部理由なんてただの嘘で。先輩にただ近づきたくて、
「失望しちゃったかな」
失望されるのは僕の方なのに、
「ごめんね、やっぱり忘れて。文化祭の事は」
先輩はやっぱり優しくて、
「やります!」
柄にもなく僕は、大きな声を出していた。
砂のように崩れた、心の中の先輩の像は。風に吹かれて消え去った。
代わりに、僕の心の中には。目の前にいる先輩がいた。
僕の勝手で生み出した像じゃなくて。今見えている、聞こえている。先輩そのものが、僕の心の中に立っていて。
「いいの?」
「いいんです」
だって僕は、
「部活と関係ない理由だよ?」
「構わないです」
どんな先輩だって、
「本当に、いいの?」
「僕なりに応援したいんです」
好きだって、気づいたから。本当の隙を見つけられたから。
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