木田家ホームパーティ殺人事件
天洲 町
木田家ホームパーティ殺人事件 問題編
夕食のメインの鱈にかけられていた黒いソースは、どの皿もきれいに拭き取られたようになっていた。それほどに木田雪江の料理の腕はよかった。
夫である木田正人はさして感動した様子もなく、口元をぬぐって鼻息を一つついた。若いころに比べると随分出てきた腹をさする。ポロシャツの首元はボタンを一つ外しても少々苦しそうだ。
「いやあ流石ですね、雪江さん。ごちそうさまでした」
雪江の向かいに座った船島和也が言った。正人とは対照的にその表情は驚きと恍惚が混じっている。白のワイシャツにグレーのカーディガンを羽織り黒のスラックスを穿いている。
ふわりと柔らかい髪をセンターわけにした、どことなく人懐っこい印象の顔つきは上司である正人の印象もよい。
「そんな風に喜んでもらえると嬉しいわ。この人ったら何作ってもムスッとしてばっかりなんだもの」
言われた正人はまたふんっと短く鼻を鳴らし、
「それがお前の仕事だろう。仕事なのだからやって当たり前のことだ」
と無愛想に言った。
雪江は苦笑いを浮かべ呆れたように視線を漂わせた後、テーブルの五枚の皿やカトラリーをキッチンに下げ始める。
「まあそう言わずに。お前もたまには感謝の言葉を伝えないとダメだぞ」
正人の右斜めに座った箕輪重行が和ませようと言葉をかける。正人とは新入社員の頃、同期として親しくなり切磋球磨した間柄である。重行自身は親の面倒を見るということで十年も前に転職してしまったが、親交はいまだに続いている。もう二十年以上の付き合いであり、定期的にこうして食事会を開いているのだ。今日は砂色のスラックスに黒いタートルネックを着ている。体型はすらりとしていて若々しさを感じさせるが、細くとがった顎に生やした髭と後ろに流した髪の毛にはちらほらと白いものが混じっていて、正人とはまた違った形で年齢を感じさせる風貌だ。
テーブルのあるダイニングとカウンターを挟んだ先にあるキッチンから、ガラガラと湯の沸く音が聞こえて来る。
「あら、奥様。コーヒーを淹れるつもりでしたらお手伝いします」
そういって雪江が座っていた席の右隣に座っていた花野麻衣が立ち上がる。雪江が趣味で通っている茶道教室の友人である。(と、いっても麻衣は二十代なので親子のような雰囲気であるが)ワインレッドのカットソーに紺の地に花柄のスカートを着ている。緩くカールさせた長い髪の毛を揺らしてキッチンの方へ向かう。
「あら、ありがとう。麻衣ちゃんコーヒー滝れるの上手だから助かるわ」
「いえいえとんでもない。カップはこっちの戸棚でしたよね?」
麻衣が流しの背後の大きな食器棚からカップとソーサーを五つ取り出す。その間に雪江はドリッパーやサーバーを用意する。恒例の会では食後のコーヒーは定番になっており、二人の息はピッタリである。それもまた仲睦まじい親子のように見える理由の一つだった。
さて、現在の状況を整理しておく。部屋には入ってすぐにキッチンがあり、脇を抜けるとダイニングである。ダイニングには長方形のテーブルがキッチンのカウンターに平行に据えられている。奥の短い辺の席に木田正人 キッチンの方を向くように座っているのが箕輪重行と船島和也で、重行の方が奥である。キッチンに背を向けるように座っていたのが花野麻衣と木田雪江の二人で、内麻衣の方が奥である。またテーブルには余裕の広さがある。
彼らはそれぞれの関係性こそバラバラであるが毎月一回ほどの頻度で顔を合わせていてそれなりに親しい間柄である。では物語を続ける。
慣れた手つきで五杯分のコーヒーを淹れ終えた麻衣はサーバーとカップ、ソーサーを盆に載せ、両手で慎重に運んでテーブルに戻る。続いて雪江が角砂糖を粉状のミルクの瓶をもってくる。
「このお家の食器はどれも高価そうで、運ぶの緊張しちゃいます」
無事テーブルに盆をおくと、胸をなでおろして言った。
「麻衣ちゃんの淹れてくれたコーヒーも毎度おいしいもんなあ。僕これも楽しみにしてるんだよ」
和也は無邪気に言って立ち上がると麻衣がカップに注いだコーヒーをそれぞれの席に配っていく。重行は軽く礼を述べたが、正人は「男はどしっと座ってればいいんだ」とでも言いたげだった。
空になったサーバーを端にやり、全員が席にもどる。雪江が砂糖とミルクの瓶をテーブルの中央に置いてスプーンを正人以外の三人に配り、自分のソーサーにも置く。正人が食後のコーヒーをブラックでの飲むのは毎回のことなのでそれを指摘する人物はいなかった。
「良い香りだなあ。自分で淹れるのとはどうも違う気がする。豆が良いのか淹れる人間の腕がちがうのかどっちだろうね」
重行が砂糖の瓶を手元に寄せ蓋を取ると、シュガートングで二つカップに加え、スプーンでかき混ぜる。和也も同じように続いた。
「きっと豆ですよ。旦那様はコーヒーにはこだわってらっしゃるから」
麻依はそう言いつつ砂糖を一つカップに加え、瓶を雪江に渡す。さらに麻衣はミルクの瓶を開き、中の小さじで一杯分加えて瓶に戻す。雪江は砂糖を一つカップに加えてかき混ぜた。
時計は午後八時を回り、穏やかに夜が更けていく。いつもならそろそろ正人がコレクションしているクラシックのCDから何かかけようと言い出すころだった。
異変はコーヒーを飲み始めてすぐに起こった。正人が突然苦しみ始めたのである。
ヒューヒューと喉を鳴らし、胸のあたりを抑える。椅子から立ち上がり窓辺に向かおうとしたものの、足をもつれさせ床に倒れ伏してしまう。異様な様子の男が倒れる音に麻依は短く悲鳴を上げる。
「おい、どうした。大丈夫か」
思わず声を張った重行がそばによると、その口からは泡を吐き出されてた。体は痙攣を始め、生気のない肉体が不気味に激しく震えている。
「おい!しっかりしろ!誰か救急車を呼ぶんだっ」
重行がいよいよ声を荒らげる。麻衣と雪江は恐慌状態に陥り、青ざめて手を握り合って動けずにいる。こわばる手で携帯電話を取り出し、通報したのは和也だった。しかし住所を伝え終えるころには痙攣も止まっていた。重行の必死の呼びかけだけが部屋に響いていた。
以上が事の顛末である。以下は警察が調べた室内の状況と、検死の結果である。
正人の死因は毒物による窒息死。犯行に使われた毒は正人のカップとサーバーに微量に残ったコーヒーからのみ検出され、テーブルのソーサー、盆、スプーンからは毒物は検出されなかった。その他家の敷地内で毒物が検出されたものはなかったが、計画的な犯行と考えられたため警察は他殺と断定した。角砂糖とミルクの瓶及び中身、蓋、シュガートング、ミルク用の小さじからは砂糖とミルク以外の物質は一切検出されなかった。
毒物は強力であるものの、直ぐに市販の解毒作用のある薬を飲めば無害化される程度のものであり、専門的な資格などがなくとも事前に用意することが可能なものであった。また、容疑者の四人はある程度の知識を有しており毒物の入手が事前にできなかったものはいなかった。
またこれらは四人の調書をまとめたものである。
木田雪江⋯お湯とケトル、豆とドリッパー、それからサーバーを用意したのは私ですが、カップには自分の分以外触れていません。それ以外には砂糖、ミルク、スプーンを用意しましたがテーブルに置いたきり麻衣さんに渡されるまで手を触れていません。
箕輪重行⋯彼が使用した食器類には一切触れていません。手を伸ばせばカップに毒物を混入させることはできたでしょうが、不自然な動きになります。そんなことをしていないのは全員が証言してくださると思います。またサーバーには触れていませんし手も届きませんでした。
花野麻衣⋯カップは私が用意しました。サーバーにコーヒーを淹れたのも運んだのも私です。しかしカップを配ったのは私ではありませんし、キッチンからテーブルに運ぶまでに毒を混入させるのは不可能でした。両手がふさがっていましたからね。注ぎ分ける時も皆さんの目の前でしたから怪しい動きをしたならすぐにわかってしまうと思います。
船島和也⋯カップを皆さんに配った時は当然何も異変はありませんでした。一つだけ違うカップだったとか、これがいつも木田さんが使っているカップだったなどとということもありません。渡す瞬間も木田さん、箕輪さんの目の前でしたから毒を混ぜるなんてできませんでしたよ。
サーバーの方も手が触れられない位置ではなかったですが、持ち物検査でも何も不自然なものは出なかったと思いますが。
さて、犯人は誰か。また、その方法は如何なるものか。
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