日村家の悲劇 問題編

 日村 弘(31)⋯カフェの雇われ店長。

 日村瑞奈(31)⋯弘の妻。コールセンター勤務。

 日村 悟(5)⋯日村家の子。おとなしい。

 宗田隆二(30)⋯日村弘の友人。剪定師。

 岡本茂樹(31)⋯日村弘の友人。自転車屋。

 持田 茜(28)⋯弘、宗田、岡本の高校の後輩。ブリーダー。




 この小説は犯人当てを主題においている。したがって読者の皆様には物語のなかで起こる殺しの犯人一人と、その方法を推理しながら楽しんでいただけると嬉しく思う。

 またその犯人は先の紹介に記されている。外部からやってきた狂人の犯行ではないこと、それから書いてある文章には犯人の証言を除き、虚偽の記述が混じっていないことも保証しておく。



 とある土曜日。日村家のキッチンは慌ただしさを増していた。友人達が訪ねてくる午後七時が迫っている。現在の時刻は午後六時四十五分だ。

「弘、盛り付けるの手伝って。間に合わなくなっちゃう」

 リビングの片づけを一通り済ませ、ソファで一息ついている日村弘に妻の瑞奈が呼びかける。得意な事を任されることは気分が良いらしく、「仕方ないなあ」などと言いつつ嬉しそうにキッチンの方に歩いてくる。焼きあがったバケット、スライスしたトマト、生ハムなどを品よく盛り付けていった。デパートで買った、おすすめだと言われたワインも冷蔵庫の中で良く冷えている。

 オーブンの中のラザニアが牛肉とセロリと玉ねぎがよく煮込まれたソースと共に色よく焼きあがるころインターホンが鳴った。キッチン横に据えてあるモニターで確認すると、知った顔がマンションの玄関ロビーに並んでいるのが見えた。

「おーい、着いたぞ。開けてくれー」

 先頭に立っている岡本茂樹が方メラに向かって話す。短く刈り込んだ頭は高校生の頃から変わらないなと弘は思った。変化といえば髭を生やすようになったことくらいだろうか。

「おう、今開けるよ」

 モニター横の開錠と書かれたポタンを押し、ロビーの自動ドアを開ける。三人の男女が画面の左端に消えていった。

 手土産とともに部屋の前にやってきた三人は、久しぶりの再会を口々に喜んだ。宗田隆二は今日の会を特別楽しみにしていたようで、酒の瓶を二本も持参し「今日は飲むぞお」などと上機嫌だった。

 リビングに通され、瑞奈とも挨拶を交わす。持田茜はこのメンバーでは二人だけの女性ということで、どちらかといえば瑞奈に顔を合わせたときの方がいくらか賑やかな様子だった。

「おっ?そういえば悟は?姿が見えないな」も

「ああ、奥の部屋にいるよ。ちょっと連れてこようか」も

 隆二の問いかけにそう答えると、弘は悟をリビングに連れてきた。

「おお!悟、ちょっと見ない間にでかくなったなあ」

 そう言って隆二はにこにこと悟の頭を撫で、彼の焦茶色の地毛を大きな手でかき乱す。しかし当の悟は怯えと困惑が混じった風な様子で弘の後ろにサッと隠れてしまうのだった

「ははは。いきなりでびっくりしたかな」

 それからまた直ぐに奥の部屋に引っ込んでしまった。大人が酒を飲んで昔話をする騒音に関心はないようである。

「お腹が減ったら後で悟も食べにおいで」

「さあ、せっかくの料理が冷めないうちに始めようぜ。ワインも買ってあるんだ。隆二のウイスキーも開けて乾杯にしよう」

 それからは思い出話に花を咲かせ、料理に舌鼓を打ち、賑やかな夜は更けていった。途中茂樹が持ってきたリンゴのチップで燻製されたチーズや茜が持ってきたレーズンをチョコレートで包んだお菓子が開封され、大いに酒の席を盛り上げた。

 弘はラザニアを大いに気に入り、残った分を食べちゃっていいかな?などといいながら綺麗に食べきってしまい、途中空腹になったのかリビングにやってきた悟に謝る始末だった。その姿も周りの笑いを誘った。悟も酒臭い匂いを嫌そうにしながらもまだまだ残っていた料理やチョコレートを食べた。といっても彼は酒を飲むことはできないので飲み物は牛乳だった。

「瑞奈さん、あたしも牛乳飲みたくなっちゃった。カルアって置いでます?」

「あるわよ。ちょっと持ってくるわね」

 瑞奈がキッチンへ向かう。その背中に

「俺の分のグラスと氷も頼むよ。俺も甘い酒が欲しい」

 と弘が言う。

「なんだ珍しいな。何年か前は甘いカクテルなんか飲めない、なんて言って粋がってだのに」

 茂樹が茶化すと、なんとなく照れたように

「俺も大人になって色んな味がわかるようになったんだよ」

 と返した。和やかな笑いが起こり、結局俺も俺もと全員がカルアミルクを飲んだのだった。

 夜はさらに更けていき、日付が変わって午前一時を過ぎていた。悟は部屋に戻って寝てしまい、かなりの量の酒を飲んだため、メンバーの中では酒に弱い方(といっても一般的にはなかなかの酒豪である)の茜もソファで横になりうとうとしていた。茂樹と瑞奈は用意していワインとウイスキーの瓶が一本空になったあたりから飲み物を水に切り替えていたが、弘と隆二は相変わらずもう一本のウイスキーを舐めていた。

「今日は はみんな泊まっていくのよね?そろそろ布団を用意した方がいいかしら」

「いや俺はタクシーでも呼んで帰るよ。自分ちのベッドじゃないとどうにも眠れないから」

「なんだ、茂樹。帰っちゃうのか。遠慮しなくてもいいんだぜ?」

 弘が引き止める。

「そうそう、自分ちだと思ってゆっくりくつろいでいったらいいんだよ」

 と隆二が続ける。かなり酔っぱらっていた。

「いやいや、遠慮してるわけじゃないよ。俺も大人になって繊細になったのかもしれないな」

 そういって笑うと茂樹はトイレに立ってから、携帯電話でタクシーを呼んだ。タクシーが到着して茂樹が日村家を後にしたのが午前二時前だった。

 それからさらに一時間ほど後、瑞奈がトイレに立ったついでに悟の様子を見に行った時、彼の異常に気が付いた。寝付けていないらしく、起きてはいるもののぐったりとした様子で吐き気も催しているようだ。発熱はしておらず、時間も遅かったため病院には夜が明けて連れていくことにした。しかし不憫に思え、弘と隆二の団をリビングに用意し、茜に毛布を掛けてやったあと、悟の体調が良くないようだから一緒にいてやると二人に伝えて奥の部屋に引っ込んだ。この判断を瑞奈は後悔することになる。

 それを聞いて二人も少し落ち着いたせいか酒盛りは終わった。




 翌朝午前九時、深い眠りの中にいた茜、弘、隆二の三人は色を失った瑞奈に起こされ、その脳は戦慄の報告によってさらに激しく覚醒させられることになる。

「悟が冷たくなっている。息もしてない」

 一同は直ぐに悟と瑞奈が眠っていた部屋に向かった。そこには一切の動きを無くしてしまった悟が横たわっていた。弘が名前を呼びかけ、悟の体をゆすったが全くの無反応だった。すぐに救急車を呼んだがもはや絶望的だということは素人目にも明らかであった。

 十分ほど経って到着した救急車に乗せられ専門の病院へ運ぼれていったが、やはり既に命はなくなっていると言う宣告がなされただけだった。



 物語はここまでだが、ここで気付きにくい部分もあるだろうため補足をしておく。読者の皆様の推理の手助けとしてほしい。三人それぞれが持ってきたウイスキー二本、煙製のチーズ、レーズンのチョコレートは当然新品であり、悟以外の五人の目の前で開けられた。その際如何なる細工もなかったことを明示しておく。その後リビングにやってきた悟も含め、牛乳を飲まなかったもの、煙製チーズとチョコレートを口にしなかったものはいなかった。

 また燻製チーズとチョコレートはすべて同じ見た目で同じ箱に収められており、牛乳は同じ紙パックから注がれたものである。ただし、悟以外はカクテルとして飲んだだめ、グラスにコーヒーリキュールと氷が入っていた。

 また部屋の中のあらゆるもの、所持品、料理、菓子類、酒などの飲み物(氷も含む)内に毒

 物、金属等人体に致命的に有害な物質は存在していなかった。

 登場した人物は常識程度の知識、職業に関ある事以外の専門的知識、技能以外は有しておらず、例えば無害な物質AとBとを組み合わせて毒物Xを生成するというようなことはできなかった。

 最後にそれぞれの証言を記しておく。


 日村弘⋯何度かトイレには立ったので一人になる時間はありましたがものの数分です。

 それにそのくらいの時間ならみんな一度はトイレに立ったので一人になる時間はありましたよ。そもそも悟を殺す理由がありません。


 日村瑞奈⋯悟が部屋に戻ってから、三時ごろ様子を見に行ったときまで部屋には入ってい

 ません。朝は九時前に目が覚めるまで一度も目を覚ましていません。起きた時には既に悟は冷たくなっていました。


 岡本茂樹⋯午前二時ごろ日村家を後にしました。タクシーのレシートもありますし皆に見

 送りもしてもらいました。トイレに立った時も悟がいる部屋には一度も入っていません。帰る時も今言ったように見送ってもらったので、悟の部屋に入ることはありませんでした。


 持田茜⋯先に寝てしまったので事件を知ったのは全部が終わった後でした。なので何もわかりません。悟と会ったのは昨日は食事の席に顔を出してくれた時だけです。その時も私は席の位置的に直接触れることはありませんでした。


 宗田隆二⋯確かに悟の頭を撫でましたがその時に何かしたということは一切ありません。弘が目の前で見ていたので嘘ではないと言ってくれるはずです。その後はトイレ以外に席をはずしていませんし、悟のいた部屋にも入っていません。



 さて、犯人は誰か。またその方法は如何なるものか。

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