第3話 ヤバイ。今、ゾッとした


 魔改造と闇研究の成果がそこかしこで山積みになった部室に、気の利いたティーテーブルやソファーなどある訳が無い。俺は垢抜けない木の椅子をふたつ持ってきて向き合わせ、片方をオリヴィアに勧める。オリヴィアは緊張した様子ながら美しい所作で腰かけて——相変わらず物言いたげな瞳で俺を見つめた。

 その視線に耐えられず、俺はまた目を逸らす。

 思えば、ほんの二か月前まで、オリヴィア嬢はセオドアの婚約者だった。俺はなるべく彼女に近づかないようにしていた——その彼女と他ならぬ俺がこんなふうにプライベートで向き合うことになるとは、いったい誰が想像できただろう。

 少なくとも俺にとっては、あの夜会の前日、オリヴィアが涙ながらに助けを求めてくるまで全く思案の外だった。

「ねえサイラス様。どうしてそんなにためらうの?」

 オリヴィアがぽつりとつぶやく。

「……私じゃ、嫌?」

 俺は横を向いたまま、がしがしと頭を掻く。

「嫌とか、良いとか、そういうことじゃない」

 俺は床に目を向け、机の脚の裏側に隠れていた黒水晶の珠を目敏く発見しながら説明した。

「俺は真実の愛なんか信じない。だから誰とキスをしてもどうせ呪いは解けないと思うんだ。だからせっかくオリヴィアに身体を張ってもらっても、無駄に終わる可能性が高い。それじゃあ君に悪い」

 そもそも真実の愛かどうかなんて、アフロディーテが気まぐれで判定するんだし。

 俺がそう答えれば、オリヴィアは膝の上で両手をきゅっと握り、決意も露に言い返してきた。

「確かに『真実の愛』なんて胡散臭いと私も思うわ。でも、心の底からどうしようもなく好きになることは実際にあると思うの——私にも、サイラス様にも。だから試してみません?挑戦して失敗したなら諦めもつくけれど、挑戦すらしないで諦めるのは……あまりにも臆病だわ」

 臆病。その一言が俺の図星を突き、肩がピクッと揺れた。……あと一歩踏み出しきれない原因が俺にあるのを、オリヴィア嬢は見透かしているのだろうか。

 だいたいさぁ、彼女は筆頭公爵家の娘で父親は元・王族。一方、俺の父は一介の地方長官から才覚ひとつで宰相まで登り詰めた元・平民だぞ?王族に次ぐ栄誉と贅沢な生活に恵まれたご令嬢が、敵が多く不安定な成り上がりの息子をわざわざ選ぶか?

 しかも俺は風と炎を操る魔導士だ。主に戦闘・攻撃に特化した、いわば人間兵器。しかも王の犬。交際相手としては完全にイロモノだろう?俺が女なら確実に避ける相手だ。

 だから、オリヴィア嬢が俺に気のあるそぶりを示す度に、本気か、もしも本気なら正気かを疑うのは至極当然だと思う。

 そしてたぶん、オリヴィア嬢の想いはどうであれ、彼女に手を出したら俺は公爵に消される。マジで即刻。間違いない。

 俺たちの現状はこのとおりなのに——恋愛感情だけで深い関係に踏み出せる訳がないじゃないか。そうだろう?

「……自分を安売りする必要はないんだぞ、オリヴィア」

 溜め息と一緒に吐いた何気ない一言が、まさか

「安売りですって!」

 彼女の怒りに火を点けるとは思わなかった。

 ガタン!血相を変えたオリヴィア嬢が立ち上がる。俺は慌てて言い訳を並べる。

「だって君は王妃の器だ。血筋や家柄だけじゃない。気高く聡明で、視野も視点も人の上に立つ者に相応しい。正直こんな、しがない王の犬に執着している場合じゃない」

「第一王子を廃嫡に追い込める犬なんていませんわ。サイラス様こそ、ご自身の真価をわかっていらっしゃらないのね!」

 オリヴィア嬢はおおいに憤慨し、俺を睨んだ。

「もしかして——私がセオドア様の婚約者だったから?他にもっと良縁があるとか、まだ彼に想いを残しているんじゃないかとか考えていらっしゃるの?」

「それもある」

 かるい詰問に、俺は正直に頷く——途端に、まばゆく輝く淡い瞳が俺を射抜いた。

「サイラス様、あなたのその目は何を見ていらっしゃるの?!」

 怒りを向けられているはずなのに、オリヴィア嬢の瞳が美しすぎて視線を逸らすことができない。

「私の、この真心がわからない?セオドア様とは従兄弟として、義務的に結婚する相手としては仲良くしていた方だと思いますけれど、会えなくて焦がれたことは一度もありませんでしたわ。でもあなたは違う!」

 胸が詰まる。オリヴィア嬢に一歩迫られ、都合の良い期待に鼓動が乱れる。

 薔薇色の唇が開いた。

「サイラス。私はあなたが好き。どんな窮地に嵌められても、あなたなら私を助けてくれるわ。誰よりも頼もしいあなたが好きなの」

 真摯なまなざし。凛と締まった頬。決然とした口調……嘘やでまかせを疑う余地はどこにもない。

 本気か、オリヴィア。本気で正気で俺が好きなのか。

 歓喜が——紛れもない喜びが爆発した。え。ちょっと待て俺。ここまで嬉しいのか俺。

 オリヴィアはさらに俺の顔を覗き込む。

「サイラスだって、今、自分がどんな表情で私を見つめているのかご存じ?ああ、ここに鏡があればいいのに」

 ここでオリヴィアは鏡を探して周囲を見回したため、俺はこっそり息を整えた。

 すまんなオリヴィア。鏡はそこに在るだけで魔道具になるから、ややこしくて身の回りに置かない主義なんだ。

 オリヴィアは鏡が見つからずに拗ね、小声で愚痴をこぼす。

「……本当に面倒なひと。素直じゃないんだから……」

 それから彼女は何を思ったのか、瞼をしっかり閉じ、深呼吸を一回大まじめにやった。おい、突然どうした?

 そして態勢を整えた彼女は、腕組みして顎をツンと上げた。自然と俺を見下すことになる。

「そう。わかったわ」

 冷たく意地悪な笑み。おお、そうすると悪役令嬢らしく見えるな。

「サイラスは……本当は自分が真実の愛を感じていることが恥ずかしいんでしょ?」

 その発言に、俺はまるで頭を棒で殴られたような衝撃を受けた。

 オリヴィアは畳みかける。

「無駄に理屈っぽくて面倒くさいあなたのことですもの。真実の愛なんか信じないなんて言ってきたくせに、私に夢中になっちゃって、それがバレるのがカッコ悪くてグズグズなさっているんでしょ?そういうところ、余計にカッコ悪いと思いますわ」

「なんだと!」

 無性に腹が立った。

 これはそんな単純な話じゃねえ!俺はいろいろ考えて——マジであれこれ思い悩んで、それで堂々巡りしてきただけで——

「それともキスは初めてかしら?」

 オリヴィアはさらなる爆弾を投げ込んできた。

「まさかド下手?」

「そんなワケあるか!」

 予習もシミュレーションも万全だ!

「じゃあ、キスくらい簡単よね?」

 売り言葉に買い言葉だ。もう引っ込みがつかない。

「……わかった。やってみようじゃないか」

 俺はオリヴィアを睨みながら立ち上がった。

 《愛の試練》によって女に変えられたせいで、いつもよりずっと互いの顔が近い。内心の戸惑いを強気で隠しながらオリヴィアの顎に指をかけたら、彼女の長い睫毛がゆっくり下りた。

 いざ。頼むから震えるな俺。勢いでなんとかするぞ。……この位置で合っているか?合っているよな??

 この上なく柔らかく温かいものが唇に触れた。

 甘い。香りも気分も極上の甘さだ。

 ちゅ、とリップ音がして、それで事足りたと思ったのか、オリヴィアが身を離そうとする。

 惜しい。この程度じゃ満足できない。手放したくない。

 細い腰に腕を回して抱き留めたら、オリヴィアは白磁の頬を朱に染めて恥じらった。

 どうしようもなくグッときた。

 強引にオリヴィアの唇を求める。彼女はすんなり俺を受け入れた——もう止まらない。もっと、貪るように、深く。そうして心の底から互いを欲した瞬間、

 リーンゴーン♪

 祝福の鐘が鳴り響いた。

 なんだ?!うるせえ!邪魔するな!

 リーンゴーン♪ リーンゴーン♪

 しつこい!

——おめでとうございまーす!真実の愛が認定されましたぁ!!

 ハア?!

 驚きのあまり、二人ともキスをやめる。

 抱き合ったままキョロキョロ見回せば、鳩サイズのキューピッドが呆気に取られる俺たちの頭上をくるくる回っていた。

 ……なんだ、この茶番。

 思わず文句を言いかけた俺の身が、ふと、狭苦しい型から解放される感覚がした。みるみるうちに肩が、手足が伸びる。おいおい待て!いきなりかよ!

 俺は急いで衣服にかけたサイズダウンの魔法を解く。なんとか破れずに済んだ。ホッ。オリヴィアの前で脱ぐのはまだ早い。

 だが安堵したのも束の間、

——愛し合う二人にわたくしの祝福を授けましょう。

 神々しい声が響いて左の小指が痛んだ。

 かざして見れば、左小指の根元にまるで赤いリボンを結んだような痣ができている。オリヴィアも自分の左手を確認し、同じ痣を見つけた。

 これって……。

——末永く幸せに。

 ウフフ♪ウフフフフ……♪

 一方的にやりたい放題やらかして大満足したのか、能天気な笑い声とキューピッドは突然消える。

 俺たちは呆然として互いの顔を見合わせ——我に返った俺は、死にたくなるほどの羞恥に襲われた。

 うわああああ!ナニをやらかしてんだ俺!恥ずかしすぎる!!!

 顔が熱い。一瞬で耳まで赤面したのがわかる。

 俺は反射的に腕を放し跳び下がろうとしたが、オリヴィアが逆に抱きついてきた。

「ほーら、サイラス!やっぱりあなた、私のことが大好きなんでしょう?」

 ウッ。俺は言葉に詰まった。……ドウヤラ、ソノヨウデス。

 オリヴィアはいつもの百倍キラキラした瞳で俺を見上げている。さっきのキスでその唇が濡れている……またグッときてしまいそう。

「ねえ。好きなら好きって言って」

 彼女の声まで甘く蕩けて聞こえる。恋愛が五感に与える効果ってエグいな。

「……ああ、うん。そうだ」

「そうじゃなくて!」

 唇を尖らせて拗ねる顔まで可愛くて、つい食べたくなる。

 もうどうなっているんだ、俺。狂ったか。この狂乱も愛の呪いか。理性はどこへ消えた。それでもオリヴィアが欲しくて、愛おしくて堪らない。

 このまま俺がオリヴィアに手を付けた場合に起きる不都合を推測する。まずは公爵をどう懐柔するか。俺たちの仲を裂く者、俺を疎む者、オリヴィアを狙う奴、迷惑をかける相手を洗い出し、各々対策を考えてから——ああ、もういいや。優先順位を変えよう。

 俺はオリヴィアが欲しい。それが最優先だ。最悪、彼女を攫って国外へ逃げよう。三つ四つ国境を越えれば、王も公爵も追っては来ないだろう。邪魔者も妨害も全部まとめて灰にしてやる。

 俺は再度オリヴィアの腰に腕を回し、今回はそっと抱き寄せてささやいた。

「好きだ」

 オリヴィアは幸せいっぱいの笑顔をさらに輝かせて答えた。

「嬉しい……私も好き」

 それから俺たちは思う存分唇を重ねた。

 本日午後の授業はまるごとサボる。決定だ。


 ◇◆◇◆◇


 初夏を感じる緑風が大通りの木立を爽やかに揺らす休日。猫もまったり居眠りする午後。

 俺は王宮のすぐ傍に陣取る広大な公爵邸に招かれ、瀟洒なティールームで、ついに公爵閣下の御前に引っ張り出されて大量の汗をかいていた。

 あー俺、今日死ぬかもしれない。家族は誰も付き添ってくれないし。

 オリヴィアがぴったり隣にいてくれるのだけが救いだ。

 さほど待つことなく、公爵閣下が現れる。

「やあ。やっと会えたね、サイラス君」

 俺は慎重に下手に出る。

「何度かお手紙をいただいておりましたのに、ご挨拶が遅くなって大変申し訳ありません」

 深く下げた頭を上げれば、にこやかに笑むマクフィールド公爵は俺に手を差し出していた。おや、意外。第一関門はクリアか?

 公爵閣下は現国王陛下の異母弟だ。王位継承権より幼馴染の恋人を選んでマクフィールド家に婿入りしたが、愛妻は早逝してしまい、以来再婚もせず忘れ形見の愛娘を溺愛しておられる。

 苛烈な太陽のごとき陛下と比べれば、月のように穏やかで物静かな御方だが、さすがは兄弟。ひれ伏したくなる威圧はひしひしと感じる。……オリヴィアを怒らすと怖い理由がよくわかった。俺にとって幸いなのは、公爵が例の加護を持っていないことだ。

 俺は公爵と握手を交わし、勧められて席に就いた。香り高い東国の茶が振る舞われる。

 公爵はご機嫌で話を切り出した。

「君には感謝している。二度も娘を救ってくれたらしいね」

「いえ。私は当然のことをしたまでで」

 ひたすら恐縮する俺に、公爵は笑みを深めた。

「安心したまえ。君たちは神に祝福されたんだ。もはや誰も君たちの仲を裂くことはできないよ。なによりオリヴィアが幸せそうだから、私も嬉しい」

「お父様……ありがとうございます」

 俺の隣でオリヴィアが微笑んだ。彼女は最近また一段と綺麗になって目が離せない。

「で——話は変わるが」

 頑強な執事が近寄り、公爵閣下にベルベットの書状ケースを恭しく手渡した。

「来月、娘の誕生日があるんだ」

 さすがにそれは俺も知っている。

「そうですね。それは皆で盛大に——」

「そう、その日は盛大に結婚式を執り行うから、これから忙しくなるよ」

「は?!」

 結婚?婚約期間も経ずにいきなり?たった今、交際を認めてもらったばかりなのに?!

 混乱する俺の目前で、公爵は書状ケースを開いて見せた。

 そこに収まっていたのは、仰々しい署名がずらりと並んだ結婚証明書だ。

 貴族も魔導士も、正式に結婚するには王の裁可が要る。だから陛下の署名と玉璽から始まり、仲人を務める法務大臣の署名、マクフィールド公爵の署名そして宰相の……あんの冷血クソ親父、息子を公爵家に売りやがったな!!!

 何も知らなかった俺は言葉も出ない。

 そんな俺を尻目に、子煩悩な公爵は愛娘に溺愛のウインクを送る。

「どうだい、オリヴィア。今年は最高の誕生日プレゼントを用意できたかな?」

「ええ、本当に最高よ!ありがとう、お父様♪大好き!」

 高貴な父娘は手を取り合ってキャッキャとはしゃぐ。

 おいおいおい、俺は?知らぬ間に、勝手に誕生日プレゼントとして花婿にされてしまった俺の立場は?!

 すっかり嵌められた事実を無理やり呑み込んだら、頭がスッと冴えてきた。

 ちょっ……これ、もしかしなくても、この父娘に敷かれた道を走らされた感がハンパないな?!

 まるで朝目が覚めるように、考えがまとまってゆく。

 陛下は今のところ唯一生存している異母弟を大目に見ているが、それもいつ気が変わるかわからない。着々と力をつけているジェレミア殿下が即位する際、王族を離れたとはいえ血統的に邪魔な公爵を排除するかもしれない。だからこそ不出来なセオドアを引き受けることで延命を図ったが、それはセオドア本人の失態でおじゃんになってしまった。

 そこで次に公爵が目を付けたのが俺——敏腕宰相の長子であり、陛下の長年の懸想相手である魔女イネスの息子、次世代最強の魔導士だ。

 俺は我が国の安全保障上欠かせない《炎の巨人》イフリートを使役するし、陛下も特に目をかけている(コキ使っているとも言う)。そんな俺を婿に抱き込むことができれば、陛下は公爵家を処分しにくくなる。少なくとも俺とオリヴィアには手が出せない。なにせイフリートと母が激怒するからな。そして魔力の強い魔導士の血を継ぐとなれば、子孫も安泰だ。王に飼われる身になるとはいえ、従順にしていれば地位も生活も保障されて命は取られない。

 なるほど。腑に落ちた。

 実のところ、とにかく延命を図りたい公爵家にとって俺は旨味のある婿だったのだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。てっきり、公爵はたった一人の愛娘を俺なんかに下げ渡す気はないだろうと思い込んでいた。

 二人の自称「ヒロイン」が起こした二つの事件。どちらにも「悪役令嬢」と名指しされ、俺を巻き込むことで俺に護ってもらったオリヴィア。結果、周囲は俺たちを親密な仲だと勘違いし、俺は彼女にほだされた。そしてアフロディーテに仕える予定のジャスパーがなぜか俺たちに《愛の試練》を課し、それをクリアした俺たちは女神から祝福を与えられ、ついに陛下もこの結婚に口を出せなくなった。

 どこまでが偶然で、どこからが必然なのだろう。

 ……背筋がゾクリと冷えた。

「ねえサイラス」

 オリヴィアが俺の腕をとる。

「ウェディングドレスは一緒に選んでね?」

 これまでの経緯に疑念は湧いてしまったが、それでもオリヴィアが俺に向ける愛に満ちたまなざしや、幸せそうに輝く笑顔は全て本物だ。たちが悪い。

「ああ、いいよ」

 俺は快く頷いた。

 たとえ仕込みがあったとしても、俺たちがうっかり本気で愛し合ってしまったのは紛れもない事実なのだ。こうなったら互いの胸に在る真心を信じよう——ああ、今の俺はさぞかし幸せそうな間抜け面をしていることだろう。

 俺の思考を見透かすように、公爵が俺へ語りかける。

「サイラス君。真実の愛はね、ある日突然目覚めたり、自然と成ったりしない。たゆまぬ努力で作り上げ、懸命に維持するものなのだよ……オリヴィアを幸せにしたければ、精進しなさい」

 公爵閣下が左手を挙げる。

 その小指には、まるで赤いリボンを結んだような古痣がくっきりと残っていた。


<了>

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ハア?俺が攻略対象者?!4 ~「真実の愛」その真相は  饒筆 @johuitsu

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