第2話 愛なんかクソくらえ


 アフロディーテの呪いで女になった俺を見て「まービックリ!絶世の美女じゃないのぉ」などとほざいたジャスパーを、俺は無言のまま渾身のアッパーカットで殴り飛ばして噴水に沈めた。(良い子は真似するな)

 何をしやがる!冗談じゃ済まさねえ!このまま水責めしていい?

「殺しちゃダメよ!」

 怒り狂う俺の背に、オリヴィアが抱きついた。女の身体になったせいで、オリヴィアのなけなしの膂力でも抑え込まれてしまう。チッ!

「殺すもんか。死にたくなるほど辛い目に遭わせるだけだ」

「それもダメ!いくらなんでも乱暴すぎるわ」

 荒事に慣れないオリヴィアは涙目で俺を制止する。

 大丈夫。どこまでやれば死ぬか、どこまでなら死なないかちゃんとわかっているって——と言っても無駄だろうな。

 俺は渋々説得に応じ、ジャスパーから手を離した。奴は気絶したまま、ぷかりと浮かぶ。水も滴る色男状態になっているのが余計にむかつく。

 俺はため息をひとつ吐き、風の精霊に服を乾かしてもらった。とりあえず服や靴は魔法でサイズダウンしてそのまま着ているから、他人からは男装の麗人に見えるだろうが——とにかく、一刻も早く元に戻りたい。

 俺はオリヴィアに背を向け、歩き出す。

「生徒会室に行ってくる」

「えっ?どうして——あ、待って!」

 なぜかオリヴィアもついて来た。心配性か?

 温室を出て広い芝生を横切り、各教室を巡る回廊へ。俺は脇目もふらず速足で歩いているのに、盛りのついた野郎どもが次から次へと群がって来た。

「ねえ君。見かけない顔だけど名前は?」

「《Shut up》」(黙れ)

 途端にニヤケ面の上級生は声が出なくなり、酸欠の魚みたいに口をパクパクさせる。

「ちょっと待てよ。話くらい聞——」

「《Ger lost》」(失せろ)

 突如渦巻いた旋風が、俺の前に立ちはだかった三人の馬鹿野郎をまとめて吹き飛ばす。

 そして

「キャッ!」

 あろうことか、俺が背後に庇ったオリヴィアの肩を掴もうとする痴れ者が出たので、

「《Hang him》」

 見えざる手で首根っこを締めて宙へ吊るしあげてやった。

 空中で大袈裟に悶え苦しむ生徒を見、鼻息荒いオス猿どももさすがに怯んだところで——

 俺はオリヴィアの肩を抱き寄せ、険しい一瞥で大見得を切った。

「ついてくるな。燃やすぞ」

 あーチクショウ、声が高いから思ったより迫力が出ない。

 しかし俺の怒りに反応し、火の精霊がここぞとばかりに姿を現したおかげで、やっと、砂糖に群がる蟻のごとく集まっていた色ボケ野郎どもは散り散りに逃げて行った。

 女って廊下を歩くだけでこんな目に遭うのか?めんどくさっ!!

「……サイラスさまぁ」

 良くないショックが立て続いたせいか、すっかり気弱になったオリヴィアは俺に頭を擦り寄せてめそめそしている。いつもなら胸を貸してやるところだが、今は背丈が変わらないので子供のように頭を寄せ合うしかない。

「怖かったか?すまん」

 俺は仕方なく、彼女が落ち着くように輝く銀髪を撫でてやる。

「……こんなときだけ頼りになるんだからぁ……」

「いつもは頼りにならないのかよ」

 俺に守られておいて俺をサゲるな。デコピンかますぞ。

 オリヴィアが涙声で尋ねた。

「どうして生徒会室へ行くの?」(ぐすん)

「そこに、どんな呪いでも解ける人がいるからだ」

「本当!どなた?」

 将来いや、現在でも俺たち魔導士に対して絶大な支配力を揮う御方だ。でもあの方は善意で解いてはくれないだろうな……交渉が必要だし、骨が折れるだろう。まったくジャスパーの奴、とんでもない迷惑をかけやがって。

「……ジェレミア殿下だ」

 ああ、あの殿下には借りを作りたくない……俺はガックリ肩を落とした。



 「生徒会室」と彫られた金のプレートが輝く扉の前で、俺は一旦立ち止まり深呼吸した。

 ジェレミア殿下も当然の如く選挙に圧勝して生徒会長を務めている。しかも、友人を集めて生徒会をティーサロン化させていたセオドアとは違い、抜け目なく手ごわい逸材を集めて生徒会を己の牙城に変えたようだ。

 立ち上げ早々学長の鼻先に質問集と要望書を突き付け、高らかに教育の理想を謳って寄付を募り、あの手この手で教師陣の丸め込みも図っているらしい……この歳で既に権力の掴み方を熟知しているとは。末が恐ろしすぎる。

 しかし背に腹は代えられない。

 虎穴に入るなら、とにかく先手必勝だ!

「失礼します!」

 ドバァン!俺はわざと派手な音をたてて扉を蹴り開け、直後に直角に近いお辞儀をした。

「殿下、先触れもなくお声をかける無礼をお許しください!緊急事態でして——我が身にかけられた呪いを解いていただきたいんです!!」

 顔を伏せているため、頭頂部に一同の視線が突き刺さるのを感じる。当然、護衛騎士たるアレックスの殺気も痛いほど。

「誰だ?」「呪いだと?!」

 ざわざわする生徒たちを制し、沈着な声が届いた。

「……君は?」

「お恥ずかしながらサイラス・ボールドウィンです」

 俺は嫌々面を上げ——複数の生徒が音をたてて息を呑んだ。

 鏡を見る暇はなかったが、ジャスパーによると絶世の美女らしいからな。男ばかりでなく眼鏡女子もうっとり頬を染めてペンを取り落とし、数人から魂が抜け、剣に手をかけたアレックスまで目を丸くしている。

 マジ一生の恥。ジャスパーめ、もう一回殴ってやるから覚えていろよ。

 他方、正面の執務卓に腰かけたジェレミア殿下は至って冷静に、羞恥に耐える俺をしげしげと眺めてから微笑んだ。

「なんだかおもしろいことになっているようだね?」

 嫌味か!俺の不幸を笑うのか、この腹黒め!

 俺は苛立ちを噛み殺し、手短に事情を説明した。殿下は俺や周囲の生徒たちの反応を実に可笑しそうに観察しながら耳を貸す。そしてまとめた。

「なるほど。ジャスパー・ポートランドがあなたにアフロディーテの呪いをかけた、と……それで?どうして無関係の私に解呪を依頼しに来たのかな?」

「とぼけないでください。殿下は既に《王の加護》をお持ちでしょう?」

 俺が憮然としてツッコめば、ジェレミア殿下はニヤリと口角を上げた。

「へえ。あなたにはわかるんだ」

「魔導士なら誰だってわかりますよ。陛下や殿下の目は、魔導士には底なしの深淵に見えるんです」

 だから加護持ちの王族は生理的に嫌いだ。

 ここで、ジェレミア殿下は俺たちの話がわからない生徒会メンバーたちを見渡した。

「《王の加護》の話は、高官の間では公然の秘密だからね。君たちには話しておこうと思う……ただし口外はしないで欲しい」

 出た。秘密の開示と共有——「君だけに本当のことを教える」という甘い言葉に舞い上がるとロクなことにならない。なのに、いつの時代もどの場面でも人はこの一言に弱いのだ。

 実際、そう言われたメンバーたちは身を乗り出し、あるいは瞳を輝かせて殿下の話を待っている。

 ジェレミア殿下はそんな彼らに頼もしい微笑を大盤振る舞いしてから切り出した。

「我が国はかつて魔法大国だったし、今でも所属する魔導士の数は大陸一だ。だから我ら王族は統治にあたって、容易く超常現象を起こす魔導士たちを束ねるための特別な力を授かった。さて、それはどんな力だと思う?」

 書記と思しき男子生徒が手を挙げて発言する。

「隷属の魔法や精神支配ですか?」

「貴重な意見をありがとう、リアム。実はね、そこまで強引な支配はできないんだ。もっと意外な力だよ」

 ジェレミア殿下は発言した生徒を労いつつ、続ける。

「《王の加護》はあらゆる魔法、全ての呪いを無効にする力だ。私には何の魔法も呪いも効かないし、いかなる魔法もその発動を止めることができるし、発動済みの魔法や発効した呪いさえ消し去ることができる。

つまり私にとって魔導士たちは普通の人間と何ら変わらないし、彼らが失敗や暴走をしたときには尻拭いができるんだよ」

 おお、と俺以外の全員がどよめく。

 話が上手いな、この殿下。俺は舌を巻いた。

 一方的に説明するのではなく、問答を挟むことでチームの一体感を醸成しつつ個々の理解度を底上げしている。やるじゃないか。

 ただ——加護持ち王族のシャレにならない能力はそれだけじゃない。もう一つの力については話すつもりがなさそうだ。嘘は吐かないが、真相は巧妙に隠す。そこも上手い。

 まったく、油断のならない王子だな。俺は腹の底で毒づく。

「ボールドウィンはだからこそ、私に解呪を依頼したんだ」

 ジェレミア殿下が話を締めた。だから俺は被せ気味に念押しした。

「そうです。なので、さっそく解呪してください。お願いします」

 ところが、殿下は朗らかに笑みながら首を横に振った。

「しかしね……」

 やはりそうくるか。

 したたかなジェレミア殿下のことだ。加護を行使する代わりに代償を要求するだろうとは思っていた。さあ、何を言い出すか。俺は身構える。

 ところが。

「かけられたのがアフロディーテの呪いなら、《王の加護》は必要ないよ。解き方はたったひとつで簡単だ」

 まったく想定外の、良心的な回答が示された。

 ええっ?無駄足?!

 俺は慎重に問い返す。

「……どうすれば解けるんです?」

 警戒心剥き出しの俺に対し、殿下は今日一番の笑顔をみせた。

「真実の愛のキスを交わせばいいのさ」

 真実の!愛の!キス!!!

 俺は目の前が真っ暗になった。脳が理解するのを拒む。

 なんだソレ!!

 そのまま俺は頭を抱えた。殿下はついに声をあげて笑いだした。

「ボールドウィン、なぜ悩む?そこのオリヴィア嬢に頼めばいいじゃないか。さあ、さっさと空き部屋にでも行きたまえ」

 クックック。殿下の笑いは止まらない。

 何がそんなに可笑しいんだ!他人の不幸は蜜の味ってやつか?!ホント根性悪いな、この殿下!

「それに可及的速やかに解いた方がいい。ボールドウィンは母親によく似ているだろう?」

「……はい。まあ、そうですが」

「父上はイネス殿を微塵も諦めていない。その姿でぐずぐずしていると、父上の目に留まって執着されるかもしれないぞ」

 俺はゾッとして青ざめた顔をあげた。

 確かに母は美しい。なにしろあの国王陛下さえ叶わぬ想いを寄せるほどだ。しかし同時にドラゴンより強く、陛下を文字通り足蹴にして意中の父を射止めた「伝説の猛者」でもある。

 そんな母の代わりに手籠めになるなんて、絶対に嫌だ!

「サイラス様!」

 背後に控えていたオリヴィア嬢が俺の袖を引いた。その顔は雄々しい決意に満ちている。

 お、おいオリヴィア。やる気か?真実の愛のキスだぞ?!本当にやる気なのか?!

 俺の顔からさらに血の気が引く。

 真実の愛のキスとやらを実行するか、この姿から元に戻れず陛下に口説かれるか、なんて——どちらも選びたくない!!もはや貧血で倒れそうだ。

 ジェレミア殿下はまだ収まらない笑いを堪え、俺たちを手で追い払う。

その指示を引き受けたアレックスが、いつもより穏便に俺たちを扉の外へ押し出した。なんだか、調子が狂う。

 普段無口なアレックスが珍しくぼやく。

「……女だと斬りにくい。早く解呪してこい」

「どのみち俺を斬る前提は変わらないのか?」

 俺は鼻白む。本当に友達甲斐のない困った奴だ。

 パタン。俺の背後で、生徒会室の扉が閉まった。

 ええっと、この先どうしよう……廊下に出された俺とオリヴィア嬢は、しばし無言で見つめ合う。

 キ、キスって接吻だよな?俺と?オリヴィアが?キス?——いやいや、無いだろう。え、無いのか。あるのか。わからん。

 なぜか急に緊張してきた。どっと冷や汗をかく。

 黙りこくって俺を見つめるオリヴィア嬢の瞳はわずかに潤んで、頬はほんのり上気している。やけに可愛い。そりゃそうだろう、国宝級美少女だぞ。外見は。

 ところで——そもそも俺たちってどういう関係だったっけ?少なくとも交際を申し込んだ覚えはないぞ?じゃあオトモダチ?お友達はキスしていいのか?

 思考がまったくまとまらない。俺、突然バカになった?

「……と、とりあえず地下の部室に戻るか……?」

 俺はオリヴィア嬢から目を逸らし、ギクシャク歩き出した。



<第三話へ続く>

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