Corner 1

 やがて霧の向こうに引かれていく道が曲がり角に差し掛かった。

 僕は桜色の道が示す通りに右へと折れる。

 するとその刹那、どこからともなく桜吹雪が舞い来たりて僕を包み込み、それからゆっくりと回転を始めた。

 僕を取り囲んだそれは最初、表面に不規則な影がある大きな円筒のようにしか見えなかった。

 けれど回転のスピードが増していくにつれ、影は次第にぎこちないコマ送りのような画像に変わった。

 小学生のとき、夏休みの工作課題で作った走馬燈みたいだなどとぼんやり思っているとさらに回転はさらに速くなり、やがて古めかしいサイレントムービーのような映像になった。

 するとそこにはひとりの女が映し出されていた。


 白いノースリーブに水色の薄いアウター。

 センターパートに大きく開いた額と流れるような長い黒髪。

 そしてはっきりとした目鼻立ちに少々アンバランスな薄い唇。

 その不思議なスクリーンの中から彼女が上目遣いにこちらを見つめている。


 僕は思わず顔をしかめた。

 それは三ヶ月前にインカレサークルのコンパで知り合った女だった。

 ハッとする。

 僕は思い出している。

 そうだ。

 これは紛れもなく僕の記憶。

 そして映像とその記憶とが溶け合うようにシンクロしていく。


「あのさ、子供ができてた」


 待ち合わせていた駅前のカフェで彼女は僕と向かい合うと早々とそうカミングアウトした。


「え、……って冗談だよね」


「冗談を真顔で話せるほど私、役者じゃないのよ」


「でもさ……」


 映像の中の僕はその三ヶ月前の夜を無理やり思い起こす。

 すると場面はまた別の記憶に変わった。


 酔った勢いといえばいいのだろうか。

 飲み会で意気投合した僕たちはそのままホテルに行った。


 輝度を落とした薄暗い照明。

 円形のベッド。

 僕の肩に両腕をかけるスレンダーな彼女の裸身が映し出され、芝居じみた喘ぎ声が聞こえてきた。


 再び場面が切り替わる。


 鮮明でカラフルな映像。

 彼女の背後には他の客が見え、ボサノバ調のBGMまで微かに聞こえてきた。


「それ、本当に僕の……」


 呟くように言葉を漏らすと、彼女はその薄い唇を歪めた。


「あら、ひどいことを言うのね。それじゃまるで私が娼婦みたいじゃない」


 僕は口を噤む。

 たしかに適切な憶測ではなかったかもしれない。

 少なくとも僕が彼女と関係を結んだのは事実だ。

 けれどその後、僕たちは一度として連絡を取り合っていなかった。

 僕は彼女の存在などほとんど忘れていて、だから昨日、彼女から電話がかかってきた時はわりと本心から驚き、同時に訝しんだ。

 そして話を聞いてみればこれだ。

 当然ながら信用に値しない。

 けれどその不審を胸に留めて僕は訊ねる。


「それで……つまり、僕はどうすればいいんだろう」


「安心してよ。別に父親になって欲しいなんて望まないから。シングルマザーになる覚悟はできているの。ただね、知ってると思うけど子供を育てるって大変なのよ。精神的にも、体力的にも、そしてもちろん経済的にもね」


 彼女の魂胆が見え透いて僕は黙り込んだ。

 なるほど、金目当てというわけか。

 彼女はおそらく僕がある組織の金庫番を任されていることを聞きつけたのだ。

 もしかするとその情報をつかんだからこそ僕に近づいた可能性もある。

 いや、そうとしか考えられない。

 迂闊だったと悔いたが、いまさらだった。

 そしてそうなると妊娠そのものに大いに疑念が持たれるが、この場でそれを問い詰めたとしてもきっと水掛け論になるだけだ。

 そこで僕は少しばかり考えを巡らせてから言葉を綴った。


「分かった。なら一緒に病院に行こう。話はそれからだよ」


 そう言えば彼女が多少なりとも狼狽えるだろうといていた僕の予想は、しかしながらあっさりと裏切られた。


「そうね。それがいいわ。次の産婦人科の予約はもう入れてあるの。ねえ、最近のエコー検査ってすごいのよ。赤ちゃんの身長はまだ親指ほどしかないけれど顔の輪郭だってはっきり見えるんだから」


 微かにほころばせた彼女の表情に僕は辛うじて硬い笑みを返す。

 それは嘘をついているようにはとうてい思えない声色だった。

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