Front door
気がつくと僕は白く霞む静謐した空間にひとり立ち尽くしていた。
それは音も匂いもない世界。
ともすれば空気さえ希薄なのか少し息苦しさも感じる。
あたりには濃密な霧がかかり、右手に目を向けるとずいぶん離れたところに花も葉もない巨大なしだれ桜がその骸骨のような様相でぼんやりと霧に見え隠れしていた。
もしかするとここはしだれ桜を媒体とした異空間なのかもしれない。
あるいは僕の中にある心象風景が作り出した幻影なのだろうか。
そんな風にいくつかの可能性をひとしきり考えてみたが、もちろん答えを見つけることはできない。
僕の中にはその手掛かりとなる知識や記憶は皆無なのだ。
うつむけば足もとは桜の花びらで覆い尽くされていた。
そしてゆっくりと目線を上げると花びらは薄紅の道を成し真っ直ぐに伸びて、やがて霧に霞んで消えていた。
僕はほとんど無意識に右足を前に踏み出し、その幻影のような道を歩き始めた。
そうしないといけないのだと自分の中の誰かが勝手に判断したみたいだった。
歩いていると不意にあずきの声が甦った。
私を助けないで。
いったいあれはどういう意味だったのだろう。
歩きながら僕はあずきの声を言葉を何度も耳の奥に反芻した。
助けてならまだ理解できる。
もちろんこの状況に至った理由は皆目分からないが、彼女がなんらかの救済を求めて自分を呼び寄せたのであれば、これから先に待ち受けているものがなんであれ僕はこの身を犠牲にする覚悟があると思う。
けれど彼女は助けるなと言ったのだ。
なぜだろう。
僕があずきを救おうとすることで、また別の危難が彼女に降りかかる可能性があるということだろうか。
それともなにか他に僕には考えも及ばないような理由が存在するのだろうか。
僕は薄く目を閉じ、頭をゆるゆると振る。
いくら考えても分かるわけもない。
僕はただこの回廊と呼ばれる場所を進んでいくしかないのだろう。
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