和泉響子先輩の放課後倶楽部

まる・みく

第1話 和泉響子先輩、推理する。

 「おい、後輩。何か面白い事件はないか?」と和泉響子先輩はいつものぶっきらぼうな声で言った。場所は文芸部とは名ばかりで、図書室の一角を陣取っている部長一人、部員一人の同好会だ。

 「面白い事件と言っても、先輩のお眼鏡にかかるような奇妙な事件はありませんね。」と図書室に装備されている新聞を読んで、僕は答えた。

 「いや、何でもいいよ。後輩。『9マイルの道を歩くなんて、しかも、雨の日に』でも良いし、地下鉄ですれ違った男がジャケットを着ているに拘わらず、背広とスーツを抱えていた、なんていう雲をつかむような抽象的なもので構わない。今の私には謎が必要だ」


 僕の事を後輩呼ばわりする和泉響子先輩の方がもっと、謎だと思う。ぶっきらぼうな物言いを除けば、長い髪に白い肌、うりざね顔にセーラー服、大昔の少女漫画みたいな容姿にぞんざいな性格が謎だ。何度か、その容姿に騙されて告白なる手紙を出した輩がいるが、和泉響子先輩は出した奴の目の前で破り捨てた事が何度もあり、それを目撃した僕は、この人、一生、トラウマになるなと同情した。

 その和泉響子先輩に金魚の糞みたいにくっ付いている自分は一応、異性のつもりだが、名前で呼ばれた事が一度もない。呼び名はいつも「後輩」だ。

 周囲の連中の噂では、僕は交際相手ではなくて、和泉響子先輩という猛獣の飼育係りのように思われている。僕としても、文芸部(仮)の部長として、敬ったりはしているが、それ以上の感情が芽生えない。奇妙な共同体として、今日も図書室の片隅でボソボソと世間様の塵芥を新聞を読みながら探っている。



 「先輩、こんな記事があるんですが」とようやく和泉響子先輩が興味を引きそうな記事を見つけた。「隣町の小学校周辺に変質者が出没すると言うので、自警団を結成した所、自警団の一人であるPTAの役員が暴行を受けて入院したそうで。」

 「ふん。それで、どうした?」と和泉鏡子先輩は形のいい眉を片方上げて聞き始めた。

 「すると、数日後、挙動不審の大学生が警邏中の警官に職務質問された所、いきなり、逃亡したので、検挙されたようです」

 「警邏中の職務経歴書を拒否して逃げたら、公務執行妨害だな。謎でも何でもない。」

 「ですよね。でも、その大学生の名前が和泉京太郎と言う人で。ご親戚ですか」と僕は聞いた。

 「京太郎か。そいつは兄だ。困ったな。何とかしてやるか」と不機嫌そうに眉をしかめた。


 こうして、和泉響子先輩の推理が始まった。

 「先ずは、事件を整理しよう。事件の概要を説明してくれ、後輩」といつもの和泉響子先輩の調子に戻り、僕はスマホを操りながら、一か月からのこの事件に関する情報を語り始めた。

 「事件発端はその小学校に通う小学五年生(氏名:非公開)が挙動不審の人物に追いかけられた事に始まります。それを発端に、度々、同校の児童が追いかける事が頻発して、警察による巡回、PTA有志による自警団が結成されます。そこに、自警団のPTAの会長のBさん(仮名)が夜半の見回り中、暴行を受ける事件が起こり、事件は正体不明の傷害事件として発展、警邏中の警官が職務質問中に逃亡した和泉京太郎さんを昨日、確保した、と言うのが一連の流れです」

 と、一気呵成にまくし立ててみたが、和泉響子先輩の機嫌は一層、悪くなった。



 「何やってんだ、京太郎の馬鹿は」

 「先輩、お言葉ですが、お兄さんを呼び捨てにして馬鹿呼ばわりはいけないと思います」

 「京太郎は京太郎だ。私の兄である以外、その事実が変わる訳じゃない。問題は、その被疑者として、引っ張られたという事実だ」

 「あの、先輩。お兄さんには、その手の御趣味はあるんですか?」

 「ないな。先ず、ない。挙動不審なのは認めるが、女子供を追いかけるような度胸はない。多分、地域猫に餌付けでもしていたんだろう」

 「優しい方じゃないですか」

 「だよ。それを説明すれば良かったんだ。何をキョドって逃げるかね。馬鹿か、京太郎は」

 「それがですね。あの地域、この頃、猫が増えすぎて、糞被害が酷いそうで。地域の住民と地域猫を守る会で紛争があったようで」

 と、スマホで調べたブログ主は和泉響子先輩の兄の京太郎さんの物であった。

 「どうやら、今度、怪我をされた地元のPTA会長、Bさんとも揉めたみたいですね」

 「そんな事も書いているのか。京太郎は」

 和泉響子先輩の対応を見ながら、地域猫に愛情を向ける京太郎さんの気持ちが何となく、判って来た。多分、愛情が欲しかったんだろうな。

 「その紛争、糞で争うから、糞争だな。それがあったのは何時だ?」

 見た目が清楚がお嬢様がオヤジギャグを時と場所を選らず言うのが和泉響子先輩の持ち味だな。


 「それがあったのが、二か月前ですね。日付によると」

 「そして、隣町のあの地域に挙動不審の人物が現れたのが、一か月前か」

 「そうです。時系列には、そうなります」

 「そうか。それにしても、こまったな。」と和泉響子先輩は頭を搔きながら、言った。

 「後輩。これは仮定の話だ。推測の域が出ない。判るかい?」

 「もう、謎が解けたんですか?」僕は正直驚いた。

 「謎も何もあったものじゃない。これは地域の人間が異質なものを見つけた時の一時期的なヒステリーが起こした『幻影』に過ぎない」と和泉響子先輩は続ける。「先ず、地域の猫の問題があって、京太郎と地元のPTAの会長が言い争いをした。それから、氏名非公開の小学校五年生の名前を仮にA君としよう。多分、地域の迷惑になっている地域猫、まぁ、野良猫だな。それに石をぶつけるなりして、遊んでいた。それを京太郎が止めに入った」

 「それじゃ、最初、出現した挙動不審の人物と言うのは…」

 「うん。誰がどう考えても、私の兄の京太郎だな。A君の関係性が見えないが、PTA 会長の親族、息子か何かだろう。あくまで、仮定の話だ。そして、地域の子供たちに、何処かに集めて、猫はいけない動物だから、石でもぶつけて追い払えとでも言ったのだろう。新聞にPTA会長の職業は書いていないか?」

 「学習塾を経営している講師となっていますね。」

 「あー。やっぱりな。子供は従順で残酷だからな。小学校でもよく言われただろう。『先生の言う事をよく聴きましょう』ってな。そして、残酷な良い子は猫を虐め続けて、その度に京太郎が止めに入る」

 和泉響子先輩は続ける。「多分、その止めた子供の一人に何で、こんな事をするのか?と問いただしたんだろう。そして、PTA会長の言質を確認、抗議をした。それに、地元のPTA会長が動物虐待を先導したなんて事が公けになったら…」

 「多分、かなりな非難の声が上がるでしょうね」

 「そう、それで、PTA会長は一計を案じて、狂言の傷害事件をでっち上げた。ただし、これには、証拠はない。あくまで、仮定の話だ。そして、猫の虐待問題が解決した思い込んだ京太郎が野良、じゃなかった、地域猫に餌をやりに行って、警邏中の警官に職務質問されて、逃亡、公務執行妨害で確保された」

 「それじゃ、京太郎さんは…」

 「弁護士次第だな。ちょっと、すまない。座を外すぞ」と和泉響子先輩は図書室を出て行った。多分、状況確認を家に電話をかけに行ったんだろう。

 帰って来るなり、「大体、私の推測が当たっていたみたいだ。京太郎は問い詰めた子供の言質をレコーダーで録音していたらしい。後は、PTA会長と我が家専属の弁護士さんと『大人の話し合い』だな」

 「専属の弁護士さんがいるんですね。先輩のお家には」

 「まぁ、我が家も色々あるのさ。それにしても、今日の案件は『純粋な謎』じゃなかった。ドメスティックにも、程がある」

 と、今回の事件を批評した和泉響子先輩の顔は安堵に満ちていた。


 「なぁ、後輩。心がときめくような、不思議な事件がないもんだろうか」

 こうして、文芸部(仮)の一日は終った。

 帰りに、図書部員の部長の佳賀里千里先輩に挨拶をすると「今日も、響子ちゃん、百面相が面白かったわね」と言われてしまった。

 「あはは」僕はと乾いた声を出して、図書室を後にした。

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