第二膳『カレーの冷めない距離』(お題)

 ―― えええ? 来たの??


 雪が融けはじめて、森の中にようやく茶色い部分が見え始めた早春。

 森の中でお茶に入れる加密列カモミールを摘んでいると、向こうからが大きな袋を背負ってやってきた。着ている上着がところどころ破けているから、また森の中をさまよったのは確実だ。


「やあ! 森の中にいてくれて助かった」


 金色の目を細めて、が私の前に立った。走ってきたのか、ばふばふっと鼻息が荒い。私はというと、走ってもいないのにドキドキがとまらない。


「こ、こんにちわ。えっと……」

「えっ? 俺のこと、覚えていないのか?」


 がとても困った顔をした。頭の上の耳がしょんぼりしている。


「覚えているわ。でも、あの時、名前も言わなかったから、なんて呼べばいいのかって思って……」

「それはすまなかった。俺は、天蓬テンポウの国の……、いや、それより、お前の名前は? あの時聞きそびれてしまって、あのあと皆にかなり怒られた。俺もかなり混乱していたらしい」

水蓮スイレン

「すっ? へ? ああ。水蓮スイレンか。それでは、水蓮スイレン殿、今日は、先日の礼を持ってきた。米に鳥に……」


 つまり、雪が融け始めて森の中をさまよっても大丈夫だろうと考えて、先日のお礼にと、お土産持参で、わざわざ訪ねてきたというわけね。律儀だこと。


 ―― もしかして、私のこと忘れられなかった? 


 もしそうだとしたら私の人柄というよりは、料理のせいだろうな。コンソメってこの世界ではあまりメジャーじゃないもの。それに、あの時、天蓬テンポウさんすごくおいしそうに食べていたしね。


「それはありがとう。まあ、立ち話もなんだし、うちにくる?」

「それは助かる。かなり歩いたから、とにかく座りたい」

 

 そう言うと天蓬テンポウさんは嬉しそうな顔を浮かべて、私の後をついてきた。この前は迷わずに無事に帰れたこと、春待草スミレが咲き始めたからもう大丈夫だろうと思って森にはいったこと、などなどいろいろ話はつきなかった。


◇◇


 家にはいるなり、突き出た鼻をひくひくとさせ、何とも言えない笑顔を浮かべた。


 ―― だろうね。


 部屋の中いっぱいに香辛料スパイスの香りが広がっている。 


玉葱たまねぎがいっぱい手に入ったから、咖喱カリーを作ろうと思って、グレイビー、あ、咖喱カリーの素をたくさん作ったんだよね。一緒に食べない?」


 私の言葉に、天蓬テンポウさんがちょっとびっくりしたような表情を浮かべた。


「いや、それはその……、今日は、先日の礼であってな……」


 すごく内面で葛藤しているのか、やたらと足元と天井で視線を往復させている。私はそんな天蓬テンポウさんの仕草を可愛いと思いながら、咖喱カリーの支度を始めた。


 ―― 今日は、朝にご飯を炊いておいたから大丈夫だと思うけど、足りなかったら、麦の粉があるから薄焼餅チャパティを焼けばいいや。


 そんなことを思いながら、咖喱の素グレイビーの入った器の蓋をあけた。自然と笑みがこぼれてくるのが自分でもわかる。


 ―― 誰かのために料理を作るって楽しい。


 ふわっと香る香辛料スパイスのいい香りに、天蓬テンポウさんの鼻がピクピクしている。


「しかし、それでは、誤解をまねく。しかし、森の中でもかすかに匂い続けていたこの香料が俺の腹を……」


 定まらない視線のまま、天蓬テンポウさんが一人でごにょごにょ言っている。でも、グゥグゥグゥ グゥ――っとびっくりするような豪快な音が天蓬テンポウさんから聞こえてきた。


 私はくすりと笑った。


 ―― そんなつもりで来た事じゃないのは分かってるわよ。

 ―― 図々しいと思われるのが嫌なんだろうなぁというのも分かっている。

 ―― でも食欲をそそるような香辛料スパイスの香りの誘惑に勝てる人間はそうそういないよね?


 天蓬テンポウさんは鼻がいいと言っていた。森の中でも、この香辛料スパイスの香りをかいだに違いない。随分おなかをすかせているのはそのせいね。でも、香辛料スパイスの香りがあったからここまでたどり着けたのかもしれない。

 

「私、咖喱の素グレイビーを一度にたくさん作る主義なんだ。でも、今回は張り切りすぎて、作りすぎちゃったの。香辛料たっぷりだから口に合えばいいんだけど、よかったら食べるの手伝ってくれる? それに、一人で食べるより二人で食べる方がおいしいと思うの」

「し……、しかし、それでは、申し訳ない……」


 天蓬テンポウさんがスパイスの誘惑に抵抗する。


「じゃあ……、おもたせで悪いんだけど、天蓬テンポウさんが持ってきた鳥をさばいて、それを具にしても作るのはどう? 鳥、たくさんあるんでしょ?」

「ああ。ここへ来るまでに十羽ほど仕留めてきた」


 天蓬テンポウさんが自慢げにふんと鼻息を鳴らした。


「十羽も私ひとりじゃ食べきれないよ。だからと言って、腐らせちゃったらもったいないじゃない?」

「そういう話なら……グゥグゥグゥグゥ――」


 自分のお腹のグゥグゥグゥグゥと鳴る音に天蓬テンポウさんの言葉はかき消されてしまった。それって、『いただきます』という意味だよね?


 

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