「翆炎城」より 5

失敗しくじった…ような気がする」

 火鼠を置いた部屋の扉を閉めた青年は、ぼそりと呟いた。

「いまは、以前まえ----これが、まさか原因とか…いや、だよなあ?」

 やっちまった、と額を押さえて、そのままぐしゃりと髪の毛をかきあげた。

「、! 待てよ、ってことは、」

 辺りの空気が動き出したのは、その時だった。慌ただしく、複数の足音が方々で入り乱れる気配に、二人は顔を見合わせた。

 翌日までこちらで、と言われた部屋を断りなく出てきている。囚人ではないが、客人とも言い難い。

 青年の決断は早かった。というか、腹はもう括っているのだと思う。足音の一つに向かい、険しい表情でやってきた使用人と相対した。

「騒々しい様子だが、どうかしたのか?」

 前置きのない尋ね方は、貴人のそれである。どう伝達されているかは分からないが、領主城の使用人は本能的なレベルで青年を「丁重」というカテゴリーに分類したようだった。青年に向かって丁寧な礼を向けた。火の不始末があった、という報告に頷いて、

「それは人手が要るだろう、呼び止めて悪かった。気を付けてゆけ。」

 と、鷹揚に言い、それでは、と下がろうとしたところに、

「----今夜の客は私たちだけなのかな? 他の方も、同じように落ち着かずにいるかも知れない。こちらに告げに来てくれたそなたのような気の利いた者はいるのだろうか?」

 使用人はただ通りかかっただけだ。が、持ち上げられれば嬉しくないはずはない。

 他の客の有無など、よく躾けられた使用人は口にしたりしないものだが、青年の場違いな貴人オーラ、急いた状態、と重なって、

「大丈夫でございます」

 と。それで事足りた。

 深く深く深く、青年は息を吐き出した。

「----すまない、前言を撤回させてくれ。」

「前言?」

「あんたを優先すると言った。だが、…傭兵の二人連れが、俺とあんたというのなら…、俺は過去を。」

 思いつめた瞳が気になるだけで、ガイツには理解不能である。説明、と思うが、漸く口を開いたと思えば、あの闖入者であった。もういいか、という気が強くなっている。乗りかかった舟、いや毒を食らわば皿まで。

 動いているうちに何とかならないか派だ。そして、わがままを言わないがこうも我を通すというのは、として新鮮で成長を感じられることだ。

「好きにしろ。」

 付き合おう、という響きをのせた言葉に、青年は表情を緩めた。

「必ず還す。」

 ありがとう、という響きが乗って返ってきた。


 「戦の間になことと苦手なことが分かった。」

 ぼやくように青年は語った。しかし、

「俺はがあるところだと、行き先みちを見失う。だから、戦後、自分の通常の立ち回り先は図面を丸暗記している。おれを探す捜索隊が出されるなど----時間と労力の無駄遣いだ。だったら、そいつらに割り当てて済ませたい仕事はごまんとある。」

 続いた言葉は、何かがいろいろおかしい…気がする。どこに焦点を当て問いただすべきか。ただ、細心の注意を払うような横顔と、ガイツを気にしながらも早くなる足取りに、躊躇われた。

 思考は内に向かう。

 いまから、この街は攻め落とされるらしい。せっかく復興したのに、また戦で荒らされるのか、と不運な街だと思い、…どこが、どうやって攻め寄せるのか、と引っかかった。

 サクレは、隣国『凪原』の奇襲を受けて、陥落した。これが『遠海』-『凪原』戦役の先端となる。は『凪原』という国は滅亡く、だから、サクレも国境の街ではない。どこが攻めてくるというのだ? 『凪原』の残党?   

 そも、当時も国境沿いの街とはいえ、北の蒼牙山脈と東の火矢川が天然の防壁となり、地政学的に最前線とはなり得ず物見砦、または補給や指揮統括、そういった後衛を司る機能の城塞だった。それが陥落ちたのは----『凪原』の非常識、いや禁じ手、禁忌を犯したゆえと伝えられている。

 東側の城壁に行くと言う。彼らが居たのは南翼の棟だった。普段なら夜警に切り替わろうかという刻限だが、二人がこの城に入った時より、城内を行きかう人の姿は増している。不安や焦り、恐れ(あるいは総て)に追われて、皆が足早である。だから二人も(外縁部を移動したにしろ)特に誰何されずに、城壁へと上がれる階段の一つにたどり着いた。城内から直接上がれるが、端すぎるのと狭いのと急だから、殆ど使われない、と訳知り顔に人気がない理由が語られた。

 ここで待っていても、と青年は言ったが、ガイツは首を横に振った。何が起きているのかこの目で確かめねばならないと感じていた。

「----ゆっくり行く。」

 青年が急いているのは分かったからそう押してやると、軽く頷いて一気に駆け上がっていった。

「若いなー、」

 定番の呟きが、暗い階段の壁に反響する。

 いったい、ここ、は何なのか----

 思った以上に、キツい。だが、壁に手を縋るように這わせ、重い足を上げるのをやめないのは、とんでもないことだ、という畏怖感か、己が目で見たものが一番大事だという骨に染みた傭兵の性か。

 怒号と悲鳴のようなやりとりが空気を震わせ始めた。かがり火による明も壁にひたひたと伝ってくる。

 終点あがりだ、という喜びはなく、見なくてはならないという胸を押しつぶすような不吉な動悸がする。

 ハッ、と吸い込みそうになり、慌てて吸い方を調節した。肺をやられないよう、細くゆっくりと真冬の峠のような空気を含む。

 城壁を縁どるかがり火の炎と、昏い天から渦巻きながら降る雪と。

 ガイツは、弓狭間近くに身を寄せ、火矢川を覗き見た。

 火矢川は大陸を二つに分ける大河である。河口には二国に跨る東西ラジェが位置し、渡し船で行き来をしている。源流にほど近いこの付近は左右の岸とも切り立った崖で、鹿も降りぬ険しさだ。また不凍の早瀬は、いくつもの淵を抱えて、おいそれとは渡れぬ難所である。

「っ、正気かっ!?」

 それは自分に対してだったのか、相手に対してだったのか。

 












 


 


 



 


 

 

 


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