「白き雌狼」亭から 5

「やあ、くつろぎのところを突然申し訳ない。」

 地位と身分を笠に着た輩が、無理を押してもいいだろう対象に向けて発する、あるある台詞の一つに分類さる・・・のだが、この男ににこりと笑みを湛えられると、まあいいか、と、胸に落ちてしまう。

「----…ほど、全開…。」

 小さく小さく、青年の唇が呟きを落とす。それから、青年もまたにこりと笑った。

「構いませんよ。食事はだいたい終わりましたし。」

「この店の料理は美味いだろ。俺もときどき無性に食べたくなる。いろんなスパイスが効いているからな、中毒性も高いんだろ。」

 男が片目を瞑ってみせたのは、麦酒のジョッキを三つ抱えてきた店主らしき人物だ。

「やめてくださいよ、人聞きが悪い。」

 まんざらでもないというか、嬉しそうに頷きながら、彼らの卓にジョッキを置く。

「ワインが有名だが、麦酒も美味いんだ。ワインは遠隔地に運べるが、こっちはそうもいかん。だから、わたしはまず麦酒を勧めることにしている。どうぞ、お近づきにしるしに。」

 男はさっそく一口飲み、満面の笑みを浮かべた。店主はまた嬉しそうに笑って、給仕が急いで運んできた皿を、いつものですよ、と言いながら置くと一礼して離れていった。

 傭兵稼業しごとがら、こういったやり取りは特別なことではない。用心棒ひとすじならともかく、愛想は標準装備だ。人にうまく交わり情報収集もできないようでは、はっきりいってちゃんと稼げないものだ。

「では遠慮なく」

 暫く喉越しを楽しんで、押しだという男のつまみを一切れもらったりもして。

「東ラジェとは珍しい。」

 ジョッキを空にしたところで、男が口火を切った。

「そう、ですかね?」

 そもそもここはどこなんだ、と思いつつ、曖昧に流そうとしたが、青年は明確に答えを返した。

「折り紙付きの治安を誇るこのあたりに、東ラジェの傭兵を呼びつけるような求人はないだろう。」

「お誉めいただいて。経費コスト度外視の君たちはよほど得難い傭兵というわけだ?」

「こちらの方に私用があったから、食費と宿代をもってもらうかわりに護衛をする契約が経済的だっただけだ----俺の書いた書類に何か不備でも?」

「そうだなあ、…わたしは、個人的な理由からここに来たんだけどね。それは別に君たちが特別だから、ではない。わたしは、この街に初めてきた、遠来の人にはなるべく会うようにしているんだ。門衛にその旨を通達しているから、君たちは国外だろ? もう直ぐに知らせが来たから、夕食をちょっと遅らせてもらってとんできた。」

 ニコニコと笑っているが、言っていることが普通じゃない。門衛に通達とか、報告とか-----本当に、なんだ? 

 青年をちらと見たが、青年は何も応えない。緊張しているのは分かった。余裕のなさは、出会ったばかりを思い起こさせて、可愛かったな、と妙な懐旧の情につながる。

「…異国のお話がお好きか?」

 そんな金持ちもいる。

「いや?  ただ、わたしを知らないかを尋ねたくて。」

「----は?」

 あんなに賑わっていた店内は、いまや静まり返っている。だれもが男を見ている。男もそれはよく分かっているのだろう。ぐるり、と店内を見渡して、大きく肩をすくめてみせた。

「ここに居る、というか街の者で知らぬ者はいないことだが、わたしには記憶がない。もう十数年前にもなったが、わたしは川辺に倒れているところを発見されたのだが、それ以前のことは何も思い出せず、近隣にはふれも出されたが、身内だと知己だと名乗る者は現れなかった。」

「それは----ご苦労成されましたな。」

 頭に強い衝撃を受けて、一時的に記憶が混乱したり、前後を喪失した者を知らない訳ではないが、十数年戻らない、というのは重過ぎる話だ。

「ありがとう。皆親身にしてくれるから、不自由はなにもないのだけれど、やはり気にはなるからね。これだけはわがままを通させてもらっている。」

 人気の舞台の看板役者の、その見せ場を見守るごとくに、だれもが男の次の言葉を待っている。

「君たちは、わたしを知らないかな?」

「----初めてお会いする。」

「----これが最初だ。」

 ふたりの言葉に、周囲の空気は一気に溶けた。男も、もう慣れっこなのなのだろう。特に残念そうでもなく、

「また空振りだ。」

と、誰ともなく陽気に言って、周囲をどっと安堵の喧騒に揺らす。

「…お戻りを。」

 護衛つきびとが、動き始めた店内を縫うようにして男の背後に立った。

「ああ、そうしよう。----ところで、あなた方は今夜はここにお泊りされる予定かな?」

「ああ、先ほど店主に申し出てところ、空き室があるということなので、」

「そうか。では、ラグ!  すまんがキャンセルだ。」

 男は店主に向かって声を上げ、

「今夜は我が家に泊まられよ。」

と、ふたりに言い渡した。

「…突然なんです?」

「傭兵の二人連れ、とがあったけれど、」

 皮肉ぽささえ、色気が上がるのだから、

「あなたは確かに傭兵だ。、かも知れないが。」

 存在感が凄まじい。

「あなたの息子さん----届け出はそうなっていた、…は、傭兵とは思えない。」

 

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