「白き雌狼」亭から 4

 青年は薬草店の脇から右手の小路に入っていった.大きな籠を運ぶ女、工具箱を抱えた男、甲高い笑い声と共に走り回る子ども、夕暮れ時らしい忙しさと結構な密度で小路を人は行き交う。一つ二つと角を慎重に数えて歩を進めている。

 門衛が教えてくれた宿を目指すらしい。

 わずかな間にまた気温がぐっと下がり、息はすっかり白い。

「賑やかだが、落ち着いた雰囲気の街だな。」

 街道同様整備が行き届いた石畳、行き交う民の身なりは清潔で、穏やかな表情だ。現役時代あまたの街を訪れたが、活気を持ちながらも、こんなに和らいだ街をとっさに挙げられないほどだ。

「あんたは、凪原や夏野、砂鈴方面が専門だったから、ここには来たことないか。」

「…お前は知ってる街なのか?」

 街道でも彼はほとんど話さなかった。閉門に間に合うようにと、自由の利かない足で精一杯に急いで来たからガイツにも余裕はなかったが、今に至っても街の名は彼の口からは零れない。

「ここは----俺の知らない場所まちだ。」

 じっとガイツの顔を見た青年は、続けられる言葉を塞ぐように彼らの頭上で小さく揺れる看板を指した。

「ここだ。」

 オオカミの形に造形されたそれを一瞥し黒光りする古い木目をひと撫でして、青年は扉を押した。カランと鈴が鳴る。ガイツの店の三倍もある広い店内は丁度食事時に入っており、二人はようやく大テーブルの端に席を見つけた。

「宿を申し込みながら、見繕ってくる。」

 並べられた大皿の料理から、欲しい分量だけ料理を小皿へ取分けた後、カウンターの左端に立つ店員の処で精算する方式のようだ。ただし大盆に酒杯やスープ皿を載せて運ぶ店員がテーブルの間を巡っているのを見ると、液体系は別に届けられるらしい。 

 青年が選んできたのは炙った鶏肉と数種類の木の実を蕃茄トマトペーストで軽く煮込んだもの、魚と乾し貝、根菜のバター炒め、大蒜の香り漂うかりかりに焼いたパン、取皿と箸を並べているうちには卵を落としたスープも届いた。

「食えるときは食う。あんたの教えだろ? これは現実で――いざという時に動くためにも。」

 働き盛りということなのか、自分の店でも結構な量を平らげていた青年だが、ここでもせっせと箸を動かしはじめた。

 ガイツも仕込みの時に少しつまんだだけで、また賄いをとる時間ではなかったから、口をつければ空腹であったことに気づいて、何となく口を付けたスープをあっという間に飲み干していた。

「なんの香草あじだろ・・・少し癖が強いが、蕃茄に合うな」

「ああ、テゼだな。春に新芽を積んで干して使う。このあたりでは定番のハ―ヴだ。」

「----よく知っているな、そんなローカルな代物。」

 影が差したのと同時に声がかかった。

「東ラジェの傭兵と聞いたが、実はこのあたりに縁があったのかな?」

 失礼するよ、と返事も待たずに、自分の対面、青年の横に座った朱金の髪の男はにっこりと笑っていた。

「こんばんは。良い宵をお過ごしかな?」

 整っているが、美男という訳ではない。鍛えているが、圧倒的な体躯ではない。

 優以上だが、極上ではない----、圧倒的な存在感を放つ、男だった。


 



 

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