「白き雌狼」亭から 3

 青年が形容したとおり、街はすぐ、だった。

 晩鐘の最後の響きは静かに大気に溶け、彼らの背後で街門が重々しく閉じられていく。間一髪というところだ。街の規模の大小を問わず、扉は翌朝まで開かれないと物心ついたばかりの子どもでもわきまえている。時間以外で門を開かせるものは、よほどの権力か異常事態である。

 街壁の上で、巡回する警備兵が提げたカンテラの灯りが揺れている。

 恐らく、先に掛け合っていたのだろう。門衛は青年を認めて頷いて、それからガイツを検分するように眺めた。

「こっちが連れかい? 」

「そうだ。古傷のいたみが漸く薄らいで、何とかここまで歩けた。」

「今日は午後から妙に冷えてきやがったからな。まだ秋の終わりで、寒さが来るには早すぎる時節だろうに、まるで雪でも舞いそうな冷え込みだ。」

 制服も当然冬仕様ではないから、肩をすくめるようにしながら年かさの門衛は愚痴る。

「まさか雪は降らんだろう?」

「まあな! いくら寒いったって、さすがに早すぎるさ。」

 そんなやりとりをしつつ、青年は渡された書類にサインをし中金貨を一枚付けて返却した。

「はい、確かに。こっちが入市証な。分かっているとは思うが、失くすと金はまるまる没収になっちまうからな。ちゃんと返せば、税分を引いて小金貨八枚の返却だ。」

「ああ、了解している。」

「しかし、物入りになっちまったな。雇い主は経費おとしてくれそうかね?」

 入市税は旅券があれば、銀貨数枚が相場だ。

「ん----どうかなあ、護衛から脱落ちまったわけだしな。そっちの賠償と相殺かもな。」

 ふたりは旅券を所持していない。どう説明したかのか見えてきて、自分の設えを傭兵にしたかった理由に得心する。

 昔よくやったような商団の護衛。旅券はまとめて預けていた。すぐ追いつけると思っていたが、思いのほか自分の具合が悪くて今日はとても合流できそうもない。

 荷物がないのも、とても自然だ。

「そりゃ気の毒に。」

「ま、こういうこともあるさ。もう少し暖かければ、野宿もありだが、こう冷えてる中、調子を崩しているおやじに無理はさせられねえよ。剣も辛いっていうくらいだ。」

 手に持ったままだった自分の剣を振って示す。

「持ち込みの武器は、各自剣一振りずつだったな。」

 青年の剣帯にはなにもない----はずなのに、いま、そこにはたしかに剣が一振りあるように

「あと、俺は短剣も一振りだ。」

 門衛の一人が申請書を再度確認し、頷く。

「----腰はなあ、突然くるからなあ。」

 腰を悪くしたことはない。不自由なのは脚だ。

「そうらしいな。おやじも、足前は、熊と相撲取っても勝つだろうと万人が断言する頑健さだったんだが。」

 無駄に良いガタイのガイツと杖にしている枝を等分に見比べて、門衛は気の毒そうに頷いた。

「一つ悪くすると、雪崩みたいな具合にあちこち痛くなるもんさ。あんちゃんも、そのうち分かる。」

「分かるかなあ。」

 若さがずっと続くと疑わない、よくいる若者の口調それだ。

「労わってやれよ!」

「妹か弟が、今度できるしな! 遊んでやれないのはかわいそうだ。」

「おお、あんちゃんと随分離れてるな。」

「母親が違うからな。」

 正確には父親も違う。

「お、若い嫁さんか?」

「俺のいっこ上----だよな?」

「やるな、あんた!」

 生暖かさと羨ましさが入り混じったような視線が飛んできて、ガイツは口元を引きつらせた。が、この会話はいったいどこまで行くのだろう。

「あんちゃんも、親父に負けてる場合じゃないだろ。」

「俺も、・・・だけど」

 青年は左手をひらつかせた。

 見間違いではなかった。いまはもう遠い昔に思ったように感じるが。

「まあ、先はこされたな。」

 目を見開いたガイツに、きっちり目を据えて圧を寄越し、

「そんなわけで、いろいろ物入りになりそうだから、うまい飯が食えて、おやじがゆっくり寝れそうな寝台がある宿を紹介してほしいんだけど。」


 「ゆっくりな!」

という、友好的このうえない声に送られて、二人は内壁の中に歩き出す。 

 勿論すぐに街並は見えない。内壁に沿って歩きながら、おおよその街の様子を予測する。

 メインの大通りと、その左右に並行するサブの通り。間を多くの小路がつなぐ典型的な城塞都市だ。広場はおそらく三つ。大門から内門に抜ける位置に噴水広場、中央付近に市場、最奥に庁舎や聖堂がある大広場。

 果たして噴水を中央にした広場に出る。

 どっと、夕暮れ時特有の喧騒が押し寄せてきた。

「----達者になったもんだ。」

駆け出しにから抜け出したばかりの、まだまだ擦れていない若い傭兵が、不慮の事態で駆け込んできたと、一つの違和感も抱かなかったに違いない。

「そうかな?」

 ゆったり微笑んだ青年の剣帯には、いま、何も下がってはいなかった。



 










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