「白き雌狼」亭から 2

 今度はなんなんだとガイツは、再会してからこちら溜まり続ける疑問符をまた一つ数えて、

「まあ・・元気なこった。」

 と、なげやりに独りごちつつ言い置かれた言葉に従って、いま自分たちが抜けてきた森を左手に歩き出した。

 彼らが出てきたのは森がゆるいカーブを描いてせりだしていく起点のよう地点で、木立が視界を制限していた。この農地はどこまで続くのかという不安をガイツに抱かせたが、半ば----弧の中央まで進むと、視界はいっきに広がった。

 つまりそこが農地の果ておわりで、3セートメートル半ほどの段差の下は道だった。農道ではなく、踏み固められた街道だ。しかも大型の馬車がすれ違える大道。街道の整備保全は領主の義務だが、どんなに大きな財布の主でも、鄙びた村と大都市を通る道を同じに整えたりはしない。より維持費が嵩む大道を設置いているのは相応に交通量がある表れだ。

 大道のむこうはまた畑で、なだらかな丘陵にぶつかるまで続いている。藍色の布を一枚また一枚と被っていく丘の斜面は、木立ではなく、背の低い、整然と列組みされた影が埋め尽くしている。葡萄畑と検討をつけた。

 ガイツは足元に目を落とし思案顔になった。切り立っているというわけではないのだが、片足が不自由な彼には躊躇いのでる傾斜だ。腰を下ろして滑り降りるのが無難かと思いながら、少し先に視線を投げて有難いと胸中で呟いた。家畜や荷馬車を上げるためのものだろう。段差を崩して坂にしている箇所があるのだ。農地へひとがあがってくるのを抑止するために街道との境には柵が拵えられていたが、のどかな地域なのだろう。錠前はなく、柵と支柱は紐で結わえられているだけだった。青年は柵など目もくれず段差を駆け下りた違いない。固いままの結び目を、いよいよ深くなった藍色の中で目を凝らして解きにかかった。複雑な結び目は、知るものならするりと解ける地域独特の代物とは気づいても、ガイツには時間をかけて解いていくよりない。

 柵を押し開いた時には、すっかり指先は凍えていた。街道側に出て、柵の位置を元に戻し、苦労して解いた紐を今度はどう結ぶかに悩んでしまう。同じに結ぶのは不可能だ。不可抗力とはいえ(むしろ、だからか)不法侵入の痕跡をあからさまにしていくのはどうにも抵抗感があった。

 紐を片手に、とりあえずは先に出ている筈の青年を探すことにした。

「・・・おい、」

 数歩先の道端に長剣が突きたてられているのを発見して唖然となった。柵から降りてくると見越しての、ここで待てという意味だと伝わったが----。

「てめぇの相棒だろうが。」

 眉を顰めながら、杖代わりの枝を置き剣を引き抜いた。乾いた地面だから抜いた拍子に土は殆ど落ちたが、手の甲で鞘を丁寧に拭う。

 柄に巻いた革の巻き方は昔のままで、だが少し重く、やや長い。

 実用品らしく飾気はない鞘は、上質の鋼の感触に加えて薄闇にもゆがみのない見事なしつらえだ。はりぼてということはなく、鞘のそのまま軽く振っただけでも抜き身のバランスが整っていることが判る。街角の刀剣屋が店先に並べるような、軍が兵士に支給するような汎用型ではなく特注の、恐らくは銘入り一品だ。いまを時めく朱玄公爵の軍でかなり上層に身を置いているのだから、いまの彼にとっては身の丈にあった業物を意外に思うことはない。おかしいのは、道の端に愛剣をつったてていく青年の神経だ。

 往来だ。時間的(季節的という言葉は振り払った)に可能性は低いと判断したかも知れないが、自分が着く前に誰が通りかかるやも知れない。ひと財産だろうに、いや何より戦士として生きている身が、命の化身たる剣を置いていくとは何事か。

 しかも、こんな異常事態の中で剣を手放して、何かあったらどうするのか。

 森に沿って湾曲した道の向こうに人影が現れ、こちらを認めると大きく手を振って駆け寄ってきた。

「待たせたか?」

 と、さっきの動揺は影も無く、穏やかに青年は微笑んだ。

「もうちょっと歩いてもらうよ。すぐ街に入れる。」

 ガイツの手にある二品を見、掌に巻きつけていた紐を抜き取った。

「・・・まずこっちだろう?」

 ガイツはぐい、と長剣を青年の胸元に押し付けた。

「非常時に獲物を放りだすなぞありえん。」

「武器は長剣それだけじゃないし。」

 確かに短剣は帯びているが、

実戦ものの役には立つか!」

「----ということで、そいつはあんたに預けておく。杖代わりにしてくれ。」

 苦言は聞こえないように受け流し一方的に宣すると、青年は杖代わりにしてきた枝を拾い上げると、柵の向こう側に投げ込んだ。そのうえ、支柱に柵を素早く結わえてしまう。

「これから街に入る。傭兵と名乗るにしても、丸腰じゃあ不審だろう?」

「だったら、そっちの短剣を貸せ。いざというとき、いまのおれにこいつは手に余る。」

 青年は苦笑した。

「これから戦場に乗り込むんじゃないんだぜ、ガイツ。」

「む・・・?」

「当たり前の旅の傭兵として、注目されず、意識されないかたちが必要いるんだ。あんたは短剣使いにはみえん。悪目立ちしかねない。」

「同様じゃないか?」

「まあね。でも、あんたと組んでるのならば、パワー速度スピードで取り合わせ的にはありだと思うぞ。それから-----この短剣はひとに貸さないことにしている。悪いな。」

 問答は終わりとばかり青年は歩き出した。そのまま付いていくのも業腹で、杖を取り戻すべく柵に寄ったガイツは目を瞠った。

 自分が解いたのと同じ結び目がそこに結ばれていた。


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