花束をあなたに

さくら

あなたに贈る私の心

あたしは昔から運動が得意。小学校の時もそうだったし、中学、高校で部活に入ってからは、人数が足りない部活のピンチヒッターになることも多かった。


反対に、美琴(みこと)は、ちょっと……ふふ、いや、だいぶ運動が苦手。苦手どころか、からっきしって言ってもいいと思う。何にもないところでよく転んでたし。

だからいつの間にか、牛みたいに走るのが遅い、って意味で『ウッシー』、って呼ばれるようになった。

でも結局のところは、ずば抜けて可愛かったから、嫉妬されてたのかもしれない。

……正直ね、誰にも言ってないけど……あたしだって見惚れるくらい可愛くてきれいだったよ。ほんと。


その代わり、あたしが苦手な勉強に関しては、美琴はどの子よりもずば抜けていた。それが小さなころ、すごく誇らしかった。あたしがそうであるわけじゃないのに、あたし自身のことのように嬉しかった。


仲が、よかったと思う。うん。すごく仲良しだった。


あたしは美琴に逆上がりを教えてあげて、練習に付き合って。

美琴は私に、通分の仕方から漢字の練習、用語の覚え方まで、たくさんの勉強のコツを教えてくれた。

そして、その後は、決まって二人でゲームをして遊んだ。美琴はあんまり外で遊びたがらないし、あたしはあたしで、美琴んちにあるゲームをするのがすごく楽しかった。今思えば、美琴と一緒だからこそ、あんなに楽しかったんだ、って思う。


あたしも美琴も、きっとお互いに、一番仲良しの友達同士だったんだ。

少なくとも、それぞれの高校を卒業するまでは。



「あーー!また寝過ごしたし!起こせよバカ妹!」


時計を見てぎょっとした。もう出なきゃいけない時間じゃん!!

急いで化粧を済ませて、着替えながら妹に文句を言うと、パンを頬張ってる彼女からカウンターパンチを食らった。


「……『うん、うん、起きるよー』って5回くらい言って、いつも結局起きないのはお姉ちゃんだし」

「く……た、たしかに毎朝このやりとりをしてる……起こされた記憶があるだけに悔しい……」


社会人になっても朝は弱いままだ。低血圧なのがうらめしい。反対に、高校生の妹は朝はめっぽう強い。妹なのに、姉よりもしっかりしてるとよく言われてる。くそぅ。


「……よし!なんとか間に合いそう。行ってきます!」

「いってらー……あーあ、美琴ちゃんがいてくれた時はもうちょっとしっかりしてたのになぁ」


そんな妹の最後のつぶやきは聞こえないまま、バス停に向かってダッシュしていた。



あたしは高校を卒業して、美容専門学校に入った。初めて美容室で髪を切ってもらった時の衝撃が、あたしをこの道へと導いたんだと思う。その時のスタイリストさんの巧みな会話や髪だけ限らない豊富なファッショセンス、どれもあたしを魅了した。

運動だけが取柄で、手先なんかあんまり器用じゃなかったけど、がんばってカリキュラムをこなして、国家試験に通った時の感動は今でも忘れない。頭の悪いあたしでもここまでできたんだ!って思えた。


本当は美琴に一番に伝えたかったけど、高校から別々だったあたしたちは、自然消滅的に互いに疎遠になってしまっていた。なんとか高校まではときどき会っておしゃべりして、スイーツバイキングにいってたりしたけど、美琴が東京の国立大学を受験するんだ、って言ってからは、だんだんお互いの時間が減ってしまった。


美琴は会いたがったけど、会うたびに目のクマが酷くなってた様子を見てると、美琴の重荷にはなりたくない、って思ってさ。

だから、お互い進路が決まったら会おうよ、って、高校2年生の冬かな……その時にあたしからそう切り出した。


美琴の寂しそうな目に、全身を切り刻まれたような感覚がしたけど、それでもお互いに頑張ろう、って決めた。


最後に会ったのはいつだったろう……お互いの高校を卒業して、美琴の合格発表の時だったかな。


あたしの場合は専門学校だったし、合格は年内にはきまってたから。美琴の受験が始まる前に私だけ合格が決まっちゃって、なんだかすごく美琴に悪い気がしたんだけど、美琴はすごく喜んでくれて……。久しぶりに会ってすごく嬉しかったし、あたしの合格を祝ってくれて、一緒にケーキを食べたんだっけ。


それから3月になって、卒業後に美琴の合格発表を一緒に上京して見に行って……。美琴が自分の受験番号見つけて、震えながら、涙を浮かべて私と見つめあってさ。あたしまでもらい泣きしちゃった。


思えば、それが美琴と会った、最後の思い出かな……。

あたしは専門学校で、美琴は東京の国立大学。地元で就職して、美琴よりも早く社会人になったし、専門学校の勉強も髪の練習も、あたしには全然余裕がなくて。無我夢中になってたら、いつの間にか美琴ともこうして疎遠になっちゃった。


あーあ、寂しい。

会いたいよ、美琴ぉ。

美琴の美しさと優しさで抱きしめてほしいよぉ。あたしを。


そんなことを思い出しながら仕事してると、案の定失敗して先輩にめっちゃ怒られた。お客さんにも。はぁー。だめだー。あたし。


今まで、美琴のことなんか思い出さなかったのに、何故か……やけに、彼女のはにかんだ、優しい笑顔を愛おしく思う。


何を今更、なんて思われるに決まってる。

私は地元に残って、一方、美琴は東京のすごい大学に進んで……。


ひょっとしたら、美琴のことをひがんでたのかもしれない。

あたしは、自分で選んだにもかかわらず、あたしと美琴の差を、社会人生活の厳しさを痛感させられる日々の中で、羨んでいたのかもしれない。


「……今日は、冷えるなぁ……ね、美琴……」


帰り道、澄んだ夜空を見上げてそうつぶやいた。




きっかけは突然に。


……なんか、なにかのドラマのセリフかタイトルみたいだな……。


でもその通りだったんだ。



その日、いつも通りに妹に叩き起こされて、珍しく朝食を摂る時間はあって……いつもの日、のはずだった。


でも、何かが違った。

今日の予約客のリストを確認しながら電話が鳴り、何も考えずにいつものとおりに営業トーンで電話を受けたら……それがすごかった。


「お待たせしましたー、ヘアーサロンミキでございます」

「……あ、あの……よ、予約を取りたいんですが……」


緊張が伝わるような、弱弱しい……でもきれいな声。

懐かしいような、聞き覚えがあるような……でもそんなことないか。


誰か知り合いかも、と思いながら確認を続ける。


「時間とお日にちのご希望はございますか?」

「え、えっと……そ、その……」


少し戸惑いっている様子だったけど、沈黙の後、突然私の名前が出てきた。


「す、菫(すみれ)……高坂菫(こうさかすみれ)さん!そ、そちらにお勤めなら、その方にお願いします!」

「え、っと……高坂菫は私ですが……大丈夫ですよ、いつがよろしいですか?」

「……っ!!じゃ、じゃあ、き、今日!!今日がいいです!」

「え、えっと、き、今日だと、夕方4時ごろならあたしが空いてますが……」

「じゃ、じゃあその時間でお願いします!!じゃ、じゃあまた!!」


ガチャン!とそのまま切れてしまった電話に呆然としながら、聞き覚えのある声の主を、記憶を頼りに手繰り寄せる。


「んーー、名前がわかんないや……。まぁよくあることだし、いいか。4時から枠は確保しておいて……あ、カットなのかとかも聞けなかったや……なんかそそっかしいお客さんだったなぁ……ん?」


そそっかしい?

……そういえば……


声色とそそっかしいその性格。あたしの中で、ある人物が思い当たる。


まさか、そんなはず……

だって。だって東京にいるはずだし。


あり得ないはずのことを期待してしまう自分自身を自覚しながら、またぼーっとして仕事でミスをして怒られてしまった。あちゃー……早く来てよ、4時……。




カランカラン……

店の扉が開く音がする。誰かお客さんが入ってきた。


もうすぐ約束の4時だ。

気になるけど、まだ先客のカットの仕上げが残ってて、その作業をしているところ。


ソワソワしてたけど、何とか我慢して、通常モードに切り替えられてる。

ようやく最後の仕上げが終わって、お客さんの会計作業を済ませてお見送りが終わったら、「その人」が来ていた。


……なんというか、すんごい格好で。


少し明るめの色に染めた、きれいなロングストレートのその人は、ニット帽を目深にかぶりすぎて、帽子が口まで覆ってる。

それでいて、服はきれいめなコーデで、私が好きなブランドのヒールを履いていた。イイよね、そのブランド!


ハイセンスだけどちょっと怪しいその人を、念のため私を指名した人かどうか確認する。


「あ、あのー、4時からご予約の方でしょうか?」


するとその人は帽子で顔を隠したまま慌てて答える。


「え?あ、は、はい!!よ、よろしくお願いします!」

「確認ですが……あたし……えと、高坂菫をご指名の方でよろしいでしょうか?」

「は、はい!そうです!!」

「え、っと……ね、念のためお名前を頂戴してもよろしいですか?」


そう尋ねると……彼女は、帽子はそのままに、やっと名前を明かしてくれた。


「ふぇ?あ、わ、忘れてた?あ、あの……み、美琴です!か、『神崎美琴(かんざきみこと)』!」


その瞬間、ようやく目深にかぶりすぎたニット帽を脱いで顔を上げたその人は、間違いなく美琴本人で。

彼女は緊張した顔をのぞかせながらもあたしを嬉しそうに見上げた。


「……えーーーーーー!?」


期待していたのは本当だけど、やっぱりあり得ないよね、って思ってた相手との再会。

それがまさか私のお客さんとしてだなんて、ねぇ。びっくりもするよ。


…大声出したのを、やっぱり店長に怒られた。だってさ、何年ぶりの再会だと思ってんの。



動揺する私は、美琴をとりあえず席に案内した。コートと手荷物を預かって、奥へと誘導する。

女性誌を何冊か置いて、改めて美琴と話した。


「……ご、ごめんね急に……ひ、久しぶりだね、菫」

「い、いや全然!!あ、謝んないでいいって!あ、あたしも今すんごい嬉しすぎてテンパってるから!そ、そうだ、今日はどんな感じにする?」


あー、顔が熱い。鏡越しに美琴と視線が合うと照れる。

取り繕うように本業を思い出して、美琴のオーダーを尋ねる。


「そうだなぁ……じゃあ、菫の好きにしてほしいな」

「うぇ!?そ、そうきちゃう?」

「だ、だって……は、初めて菫にカットしてもらうんだから、菫が私をどういう風にしてくれるかな、ってずっと思ってたから……」

「……!」


やばい。なんでだろう。すっごくドキドキしてるんだけど!

え?高校時代、こんな気持ちになったことなかったよね……

た、たしかに昔から美琴は可愛くて憧れてたし、そんな美琴と仲良しで誇らしかったし……


「……菫?」

「あ、う、うん!じゃ、じゃあ……私好み、ってことで。いい?」

「……はい。お願いします」


だからその笑顔がやばいんだって、美琴。

……絶対、顔が赤くなってるのバレてるよ……




チョキ、チョキ、チョキ……とハサミを入れる音がしばらく私達の空間を包む。

彼女の髪を手にとって、それにハサミを入れていく。


時々鏡越しに目が合うと、照れくさそうにしながらも、美琴は嬉しそうにほほえみ返してくれる。

その度に私は、胸を突き破っちゃうんじゃないかって思うくらいの、正体不明のドキドキと向き合っていた。


「やっぱり想像通り。美容師さんになった菫、カッコいい。キレイ」

「え!?ちょ、きゅ、急にそんなこと言われたら手元が狂っちゃうって!」

「だ、だってホントなんだもん……」

「それを言うなら、美琴だって美人にさらに拍車がかかってるし、靴だって私が大好きなブランドのだしファッションセンスありすぎだし」

「ちょ、ほ、褒め過ぎだってば」

「髪だってほら、こんなに気を遣って手入れしてるし……あたしなんてくせっ毛だしガサツだから美琴みたいな髪憧れるよ」

「……嬉しいな、菫にそう言ってもらえると……」

「……!」

「あ、菫の顔、真っ赤」

「み、美琴だって……!」


なんだー、この甘い雰囲気。もうドキドキしすぎて死にそうなんだけど。


早く終わって欲しいような、ずっと続いてほしいような。

久しぶりの美琴との再会は、そんな感じだった。



「さ、終わりましたよ、お姫様。こんな感じでいかがでしょうか」

「わぁー……すっごくいい……」

「あんまり手を入れてないけど、美琴のきれいなストレートを生かしたいなって思ったから」


こんなにきれいに手入れしてる髪。

美琴の性格が見えるよ。

それを、あたしに任せてくれたことが、すごく嬉しかった。


「……想像通り。すごいなぁ、菫。頑張ってるんだね……ありがとう」

「そ、そんなこと……」

「……勇気出して、菫を探してよかった。本当に……」


なんだろう。今一瞬……


「……美琴?」

「う、ううん、なんでもない。ありがと」

「う、うん……」


その後、会計が終わってあたしの仕事が上がって、改めて会うことになった。

せっかくお互いに成人してるんだから、ってことで、美琴もお酒は嫌いじゃないみたいだったから、あたしのお気に入りのワインバーで夕ご飯を食べることにした。


このドキドキと、美琴に感じた不安。


でもひとまずは、この再会を楽しまなくちゃ。

だって、本当は……ずっと会いたかったんだから。


そう思って、お互いに高校までのことを振り返り、昔話に花を咲かせる。

あたしを探すために、アプリに登録されてる美容院のスタイリストや、ホームページを開設している美容院を探し回っていたと聞いて、驚いたけどすごく嬉しかった。


お酒と……そして、美琴と一緒に過ごせているこの瞬間を、あたしも、美琴も目一杯楽しんだ。


……酔った美琴、こんなに綺麗なんだ……


話しながら、あたしに「飲み過ぎじゃない?大丈夫?」と心配してくれる美琴の、ちょっと冷たい手の温度が心地よくて。


その手を自然と握り返して、頬を寄せてしまった。


「す、菫?」

「……ごめん、少しこうさせていて……気持ちいい……」

「……菫……」

「ねぇ美琴……あたしね、後悔してたんだ。あたまの悪いあたしとずっと友達でいてくれたのに、別々の高校に行っててもよく一緒に遊んでたのに。なのに、あたしは美容師になってからは仕事の忙しさを理由に、ぜんぜん美琴と連絡取らなくなっちゃって……」


怖くて美琴の方を見れない。


だから、お酒が回ってぐるんぐるんしているのを分かっていながら、美琴の肌触りのいい、きれいな手を自分の頬に押し当てたまま、まくし立てるように続けた。


「最初はね……寂しかった。住んでる場所も離れ離れになって……あたしは地元で、美琴は東京で。正直ね、羨ましかったのもあるんだ。きっと美琴も、東京の頭のいい大学に進んで、すっごく頑張ってるんだろうなって想像できた。でも、ここに残った私は、みんなよりも早く社会人になって、仕事の厳しさも早々と思い知って。……出勤するのが怖い日が、ずっとずっと続いたんだ。『あぁ、今日はミスしないかな』『今日こそ怒られませんように』って。……だから、あたしも東京っていう大都会で、もし美琴みたいに頭がよかったら、一緒に大学生活を送れてたのかな、って思うと……ごめん、勝手に自分だけ大変だって思い込んで、独りよがりになって……美琴は、必死に私が働いてる美容院を探してくれたのに……」

「……」


沈黙。

怖い。


そう思っていると、急にあたしの指が生暖かい感覚に包まれた……と思ったら、美琴があたしの指をぺろん、と口に咥えていた。


「ひゃあ!!ち、ちょっと美琴ってば!!」

「もー……菫ってば変わってない。昔からそうやって一人で辛いこと抱え込んで……」


美琴もお酒が回って赤らんだ顔で微笑みながら答えてくれた。

今度は、あたしの手が美琴に握りしめられて、彼女の頬に寄せられた。


心臓が、破裂しそうだった。美琴の、どこか陰のある笑顔。久しぶりに会ったら超絶に垢抜けて、いや元から可愛くて美人だったけど、とにかく破壊力がやばかった。

もうあたしの手を食べてほしいくらいだった。


そんなテンパった思考の中、美琴は真剣に言葉を紡いでくれた。


「私はね……私が、私こそが『菫の一番』なんだ、って、ずっとずっとそう思ってこられたから、今まで頑張ってこられたんだよ?……私には……菫しか、いなかったから……菫だけは、私を『運動オンチだ』『ウッシーだ』って言わずにいてくれたから。私と一緒にいるとからかわれるって分かってて、ずっと菫は私といてくれたから。私は、もうこれ以上、菫に甘えるのはやめなきゃ、って、一人で頑張れなくちゃだめだって、そう思ったの。だから……だから、本当は同じ高校に行きたかったけど、わざと偏差値の高い別の高校を選んだ。大学も東京の国立大学を志望校にして、もし駄目でも浪人するつもりだった。もう菫に頼っちゃいけないんだ、って思ったの。だって……だって、菫は、私の、たったひとりの、大切な人だから……だから、謝らないで。私は、菫のおかげで頑張ってこられた。そして……今は、こうしてもう一度会えたじゃない。私の方だって、菫の迷惑になりたくないって思い込んで、連絡しないようにしてた。寂しかったよ?ホントに……寂しくて、会いたくて……だから、あいこだよ。ね?」

「……あーん、美琴ぉー!」

「ふふ、はいはい」


「たった一人」

「大切な人」


この言葉に、ふわふわと心が踊るように嬉しくなる。

これは、友情として?それとも……?


自分の戸惑いを隠すように、美琴に抱きつく。

ふわっと、彼女の香りに包まれる。


優しい、美琴の匂い。大好きな、懐かしい匂い。


昔からよくこうやってた。じゃれあって、あたしが美琴に抱きついてた。

でもその頃とは違う感情が、確実にあたしの中に存在してる。


思えば、なんだか、時間が止まる、って、こういうことを言うんだね。

振り返るとそう思うよ。


しばらくそうやっていたけど、あたしの中の戸惑いが、だんだんと確信になろうとしていたその時、美琴が、一番言いたくなかっただろうと思える、その言葉を続けた。


迷いを断ち切るような、そんなふうにも思えた。


「ねぇ菫。」

「んー?なぁに、あたしの美琴?」


二人でそれぞれの手を握りあって、頬に寄せ合ってる。

隣から聞こえてくる美琴の声が心地よかった。


『あたしの』ってつけたのは結構勇気がいったけど、強引に言ってしまった。だって高校生の頃もよく言ってたもん。無理にそういうことにして言ったけど、わずかにその言葉が、美琴に刺さったように思えた。


……見間違えじゃなければ、たぶん、涙を浮かべていた。



「このまま聞いて。あのね……あのね……」


その時、美琴が両手であたしを抱き寄せた。

真正面からの抱擁にどぎまぎしていると、次の言葉で凍りついた。


「……私、たぶん結婚するんだ」

「……え?」

「お見合い。無理やり決められたことだし、嫌だって最後まで反対したんだけど……さ、逆らえなかった。無理だったんだ、父は私の意見なんか聞いてくれなくて、母は父に逆らえなくて……結局、一回だけ会うことになったけど、そのときに気に入られたみたいで……」


無。

せーてんのへきれき。漢字なんか分かんない。でもこういう事を言うんだなって思った。


何も、しばらく考えられなかった。


美琴が、お嫁さんに?

あたしの知らない誰かの?


あたしも、機会があれば結婚するのかもくらいには思ってた。だってそういう社会じゃん?

でも、実社会がどうであろうと、あたしと美琴の二人で築いてきた関係とは、きっと無縁だ、って心のどこかで高を括(くく)ってたのかもしれなかった。


フリーズして再起動できたあと、やっと張り付いた二枚の唇の隙間から声を出すことができた。


「結婚って……式はいつ?」


こわばった表情の美琴が告げたのは、あまり時間の猶予もない時期。


「……2ヶ月半後の、4月下旬くらい……」

「……」


そっか。

このタイミングで、どうして必死にあたしを探してくれたのか。

やっと納得した。


今が、最後のチャンスだったんだ。昔の友人に挨拶してきなさい、くらいのことをお父さんから言われたのかもしれない。


だから、わざわざ帰省してまで、地元で時間を作っていんだ。

その相手に、あたしを選んでくれたことは、すごく嬉しかった。

狭いこの地元だけど、美容師なんて何人いることやら。

あたしを探し当てるまでの苦労と、どんな思いだったのか……思い上がりじゃなければ、美琴が今、こんなに泣いてるわけがないもん。


「結納や、入籍とかは?」

「結納はもう……でも入籍は、結婚式の前日の予定。まだ、私は『神埼』のまま。あと数ヶ月だけど、やっと許してくれたから、必死で菫を見つけたの。だから……ありがとう。こうして会ってくれて。こんなにキレイにカットしてくれて。へへ、プロのスタイリストさんだね、菫。もう、心残りは、ないかな」


最後のその言葉にイラッとして、美琴の腕を強く掴んでしまった。


「……美琴、それマジで言ってる?心残りがないって、本気?あんなに努力して自分の力で頑張ってたのに、無理やり親に決められて、それで本当に心残りがない?」

「菫……」

「あたしは納得できない。できないよ!!だって……だって、だったら今日、美琴と過ごして感じた、『この気持ち』はどうなるの……?あたしだってハッキリ自覚できてないけど、どこの馬の骨かも分かんない野郎に、なんであたしたちの関係を壊されなくちゃいけないの??あたしは……あたしは……」


泣きながら、叫んでた。

美琴も泣いてる。


ホントは、『よかったね』って喜んであげるのが友達なんだろうなって思う。

でも、それはあくまでも、美琴以外の普通の友達のこと。


あたしにとっての美琴は、違うんだ。特別なんだ。

うまく言えないけど、とってもとっても大切な人なんだ!


「あたしの美琴は、いつもあたしの中心だった!小学校の時も、中学の時も、ずっと美琴の友達でいることが自慢だった。誇らしかった。美琴みたいに可愛くなりたくて、コーデを真似たりしてた。あたしは、あたしだけは美琴の特別なんだって思ってた。思いたかった。仕事の忙しさを理由に連絡を取らなくなっちゃってたけど、今日あたしを指名しくれて、美琴の髪をカットできて、やっぱりあたしにとって、美琴は特別なんだって思った。今の話を聞いて、『はいそうですか、おめでとう』なんて口が裂けても言いたくないよ!!あたしは……美琴があたし以外の人とそうなるなんて、絶対に嫌だ!!」


大声を出したせいで、店中の人が……店員さんも、他のお客さんも、あたしの大演説を聞いているようだった。

でもそんなの関係ない!


思わず立ち上がっていたあたしは、あたしを見上げる美琴に、自分で言いながらやっと整理できた気持ちを、ちゃんと伝えようと思えた。


今度こそ。

今言わずにいつ言うのさ。


「美琴……どうしてもお嫁に行くっていうのならさ……」

「うん……」


美琴の手を取る。震えてる。

うん。あたしもそうだよ。

だって、これから、ぜんぶひっくり返しにいくんだから。


「今気づいた……あたし、ずっとずっと、美琴に恋してたんだ。美琴じゃないと、あたしは生きていけない……好きだよ、美琴」

「……菫……私……私も、あなたが、好き!!お、お嫁になんか、行きたくない!!」


美琴があたしを抱きしめてくれる。

やっと気づいた気持ち。


「ちょっと遅すぎたよね。ごめんね、美琴」

「ううん、そんなことない。こうして菫の気持ちが聞けて、私の気持ちも伝えられたから、今度こそ……」


そこであたしは人差し指で美琴の唇をふさぐ。

ぶにゅ、っとした感触にドキッとした。


「『今度こそ悔いはない』なんて言わせないよ。いろいろ決まってるところ悪いけど、嫁ぎ先はもともと『高坂家』に決まってたから。親父さんには、『美琴さんには先約があった』って、あたしが落とし前つけにいく」


それを聞いた美琴は、納得したように……嬉しそうに、私の手を取ってくれた。


「……待って、私達、でしょ?私も、もう父の言うことを聞くだけの人形じゃないって、言わなきゃ気が済まないもん」

「……うん。あたしたちで、だね」


すると、今までずっと聞いていたのか、わっと歓声が上がって大きな拍手を送られた。


そうだった。人前だった……!!


大演説をして、告白して。


自分が何を言ったのか思い出していると、店員さんがあるものを手に近づいてきた。


「……お客様、おめでとうございます。こちらは本店からの心ばかりの気持ちとしてお受取りください」

「え?ちょ、こんな大きいの?」

「はい、一生に一度の出来事ですから、ね?」


そう店員さんに言われて手渡されたもの。

それは――


「じゃあ美琴。改めて……あなたに私の心を贈らせて」

「……綺麗……菫、ありがとう……私……私……」


本当は、誕生日用にサービスしてくれる小さな花束だったはずの、お店のサービス。

再会のお祝いのつもりで、お店に来る前に電話でお願いしておいたはずのもの。


でもいつの間にか、それは両手で抱えるくらいの、すごく大きな花束に代わっていた。


「……やっぱり、美琴には笑顔が似合う。その笑ってる顔が好きだよ」

「ひ、人前なのに……あ、ありがとう、菫」


さぁ、これからが大変かな。

婚約を破棄させるんだからなー……


「茨の道だけど……これがあたしたちが進む道、ってことか」

「自分の道は、父に与えられるものでもなんでもない。そう菫が気づかせてくれたから」

「……それでも、あたしと一緒に生きてくれる?」

「当たり前でしょ?こんなに素敵なプロポーズ……私、一生忘れない」

「プ……た、たしかにそうか……あたし、美琴にプロポーズしたのよね……しかも略奪愛」

「あぁ、それは大丈夫。もともとなんとも思っていない人だったから、私の心は最初から菫のもの、ってことだよ?」


未来のあたしのお嫁さんにこう言われた。

ちょっと相手が哀れな気もするけど、もう決めたんだから。あたしだけじゃなくて、美琴もいてくれる。二人で、話すんだ。すべては、そこからなんだ。


「ねぇ菫、ゴタゴタが落ち着いたらさ、東京に来ない?同性パートナーシップ制度がある区も増え始めてるし」

「え?同性婚できるの??マジ??」

「うーん、同性婚とはちがうんだけど、区が結婚と同等の扱いをしてくれるの。だからさ、上京して……一緒に暮らそ?」


どうして最後の部分だけそんなに艶を含ませて言うかな。あたしの顔が赤くなってるの見て笑ってるし。

あたしがリードする側なのかな、なんて思ってたけど。

案外逆だったりするのかな……


「がんばろ……ね、美琴」

「うん。私が菫を守るから」


頼もしいパートナーを見ると、これから待ち受けていることも、乗り越えられる。

そんなふうに思えてきた。




やけに色っぽく見える美琴と一緒に、とりあえずは次のお店をどうするかを決めようと思って、ふと空を見上げた。


綺麗な月。


夜空に浮かぶそれを見て、どうしても言いたくなった言葉が口から漏れた。


「……『月が綺麗だね』、美琴」

「ふふ、なに突然。夏目漱石?言っとくけど、今の私なら、漱石ほど奥手じゃないって断言できるよ?」

「へ?ん、んん……」

「はぁ……ん……」


てっきり、あたしでも知ってるくらいの下りだから、博学の美琴なら定型で返してくれるかな、と思ってたら、予想以上だった。

え?キ、キス?ちょ、し、舌が……


「……これが、私の返事。きれいな月ね、菫には敵わないけど」

「え?ちょ……ま、まって、腰が抜けたってば。ファ、ファーストキス……そ、それに……」

「ねぇ菫。神崎家と高坂家、どっちに帰る?それとも……『それ以外の選択肢』にする?」


こんな綺麗な月の下で、こんなに綺麗な、ずっとずっと好きだったんだと気づいた人に、こんなことを言われてるあたし。


「……大好きだよ、美琴」

「うん……私も。愛してる」


二人の、初めての時間を過ごしながら、睦言を交わした。


Fin

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花束をあなたに さくら @sakura-miya

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