第8話 ヴァイマール共和国の陰謀
豪雨の中を列車は行く。青と黄色の車体が水浸しになりながら、西へと一直線に進んでいった。
ぼんやりと電気ランプの照明が灯るコンパートメントの一室。小さな机を前に峻一朗は写真を手にして考え事をしていた。
『独立外交官』たる、あなたの存在によってこの王国が存亡の危機に――またそれを救うことができるのもあなただけなのです』
王女リーディエの叫びにも似た懇願を思い出す。
全ては『セドラークのオルガン』が始まりであった。
一八世紀初頭にセドラークの地にもたらされた『セドラークのオルガン』――本国イギリスでも二つと無い精巧な工作機械は――辺境の一公国セドラークを一変させた。時まさに産業革命時代。寸分狂いもない規格のネジを作る技術は各国で垂涎のものである。ましてビスマルク以前のヨーロッパでは戦争が絶えない。大量に同規格の兵器を作るためにも高性能の工作機械は必須のものであった。
『セドラークのオルガン』はそのような国に、自分の子孫を広げていった。マスターピースである『セドラークのオルガン』によって作られた工作機械。またそれによって作られた第二世代の工作機械。第四世代クラスでも金貨の山を積んで購入する国は枚挙に暇がなかったそうだ。
さらには、セドラークは金だけではなく”安全”も『セドラークのオルガン』で購入した。
秘密の不可侵条約、中立条約。さらには大国が研究中の最新兵器。第一次世界大戦において、東西の境目にありながら中立そして独立を勝ち得たのは、まさに『セドラークのオルガン』のちからによるものが多かった。
しかしそれも過去の話になろうとしていた。
「お茶を飲まれますか?」
ポットを手にナージが難しそうな顔をしていた峻一朗に声をかける。
「いや、ディナーが近い。やめておこう」
列車は一路、ベルリンを目指し西進していた。
ドイツ帝国はすでになく、帝政も崩壊した第一世界大戦後のドイツ。ヴァイマール共和国という名の新たな国家がそこにはあった。経済復興が本格的にレールに乗ってきたことで政情不安も解消されつつはあるが、未だ不安定要素は多い政府である。数年前は、トランク一杯の札束でコーヒー一杯をも飲むことのできないハイパーインフレーションが席巻していた国家である。
そんなヴァイマール共和国が『セドラークのオルガン』に多大な興味を持ったのは、ここ最近のことであった。在ヴァイマール共和国セドラーク王国参事官フベルト=ムラーゼクがそのような状況に巻き込まれた、というよりは買収され進んでヴァイマール政府の陰謀に参加していたらしい。
『セドラークのオルガンの第一世代を、我が共和国に』
セドラークのオルガンの第一世代、それはすなわちマスターにつぐ精度をもった工作機械である。セドラーク王国は第二世代の工作機械すら門外不出としているくらいなのだ。
その情報をフランス共和国の情報部が嗅ぎつけたのは、今年の四月のことであった。
事実であることは間違いない。あとはその『意図』と外交的な『落とし所』の問題であった。もし軍事的な目的であれば黙視できない状況であり、そうでなかったとしてもヨーロッパの緊張をいたずらに増加させる行為であった。
真意を正したい。
フランス共和国はそう判断し、セドラーク王国に一人の人物を遣わした。
『独立外交官』たる、安芸峻一朗である。
『ヴァイマール共和国に不穏の兆しあり。それを外交的に”平和裏に”解決せんと欲す』
命令はたったの一文。この件に関して、峻一朗はフランス外交権の全権を委託されたのだった。
久しぶりの仕事に喜々としてまずはセドラークに赴いた峻一朗であったが、ターゲットの暗殺そして王女リーディエとの出会い――助教は複雑になるばかりであった。
「そろそろディナーのお時間です」
ナージの声。そこには王侯貴族が羽織るようなドレスを身にまとったナージの姿があった。
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