第7話 王女の『オルガン』

「ヴィクトリエはイギリスの王家ハノヴァ―朝の王女でした。あまり父王から好かれておらず、また宮廷での後ろ盾の弱さから外国へ嫁ぐことが早くに決定していました」

 リーディエ王女はそう諳んじる。

「一六歳の時に具体的な嫁ぎ先が決定します。ハノーヴァー王朝の故地、ドイツの辺境の公爵家です。その名をセドラーク公爵と言いました。さて領土が豊かなわけでもなく、東方の文化果てる田舎領主といった感じですね。セドラーク公としてはイギリスの王女を迎えられれば、うれしい限りだったでしょうが」

 峻一朗はじっとリーディエ王女の青い目を見つめる。この子にもそのハノヴァ―家の血が流れているのだろう。

「彼女には一つだけ、幸せなことがありました。それはイギリスの貴族、アウストブロン侯爵に愛されていたこと。アウストブロン侯は肖像画を見ても、当時の世評を読んでもあまり外見には恵まれていない方のようでした。彼は王女を愛していた。しかし、それがかなうことはありませんでした。いかに侯爵とはいえ、主君の王女と結婚するにはいささかはばかるものがあったようで」

 ナージは首をかしげる。外国の公爵にくれてやるのが可能なら、そんなことは問題にならないのではないかという疑問である。

「何よりアウストブロン侯は野心家として、そしてそれに見合う能力の持ち主として国王もふくむところがあったようです。海をわたり王女ヴィクトリエはセドラーク公爵に嫁ぎます。その身分にしては貧弱な嫁入り道具と一緒に。その中にあった三台の古びたオルガン——それがアウストブロン侯がこっそりと彼女に送った『最後のプレゼント』でした。見た目は単なるオルガンですが、中には分解された部品が詰め込まれていました。ヴィクトリエとともに海を渡った召使の一人はアウストブロン侯によって派遣された機械職人。彼はセドラークに到着すると、オルガンを開け工作機械を作り上げます。それが『セドラークのオルガン』。当時産業革命が進行していたイギリスでも最高峰の工作機械でした。それから作られる機械の部品は一ミリの誤差もなく、耐久性も高い。その部品から作られた銃は精度も高く、そして耐久性も格段に強かったとか」

「そんなものが」

 峻一朗が言葉を遮る。

「当時のイギリスからこっそりとはいえ持ち出せたとは考えにくい。国家反逆罪並みの行為だろうに」

 静かに王女リーディエはうなずく。

「オルガンを渡したアウストブロン侯はそれも覚悟の上だったようです。愛したものに自分の精いっぱいの思いを伝えたかった——その後アウストブロン侯は自殺してこの件はうやむやになっていますが」

「その『オルガン』一台で一体何できるというのでしょうか」

 ナージが素直な疑問を口に出す。待っていたとばかりに王女リーディエはその答えを披露する。

「確かに工作機械『セドラークのオルガン』は一台だけ。でもこの工作機械は兵器や紡績機だけではなく、『工作機械』の部品も製造することができます。オリジナルより落ちるとはいえ、同じものを大量に生産できる工作機械を生産できる。これは金の卵を産む鳳凰といえるでしょうね」

 王女リーディの説明。一台のマスターはやや劣る十数台の工作機械を製造する。そしてその十数台の工作機械はさらに数百台の工作機械を製造するのだ。

「平時でも戦期でもこの時代、精密な工作機械が売れないわけがありませんよね。マスターの『セドラークのオルガン』によって作られた第一世代の工作機械を始めとして、第二世代、第三世代......それらの工作機械はこの小国が普墺戦争や普仏戦争、そして第一次世界大戦をも乗り越えられる要の役目を果たしました。経済的にもそして外交的にも。しかし、今ーーそれが逆にこの王国の命運を断つ原因になろうとしています」

 王女リーディはきっ、と峻一朗のほうをむきなおり言い放つ。

「『独立外交官』たる、あなたの存在によって!」

 ナージは身構える。二人の間の何とも言えない緊張感に震えを感じてーー

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