第2話 豪華なコンパートメントに秘められた謎
揺れる客車。山を抜け、平地が広がる。すでにセドラーク盆地にさしかかったらしいことが見て取れる。
そんな風景には全く構わずに、客車の床に倒れた中年男性を調べる二人の姿があった。
一人は背の高い東洋人のように見える青年。
もう一人は肌の白い、短い銀の髪の少年である。
「『独立外交官』?」
食堂車を封鎖していたボーイが隣りにいた若い車掌にそう問いかける。
「ああ、そうらしい」
そう言いながら車掌は後ろ手に組みながら、二人の様子を遠巻きに見つめていた。
「よくはわからんが、外交官の御出ましでは我々ではなんともしがたいな。何よりーー」
懐中時計を車掌は取り出す。
「これから先、首都までこの事件に対応できそうな規模の駅がない。とりあえず先程の駅に通信筒を放り込んでおいた。首都に到達次第警察が待ち構えているだろう。さあ、遊んでないで片付けでもしろ」
そう言ってボーイを追い払う車掌。二人はまだ倒れた中年の様子を探っている。そしてその傍らには、もうひとりの車掌ーー白髪で白い髭を蓄えた人物が寄り添っていた。
「死んでーーおりますか」
老車掌の気の抜けた問に、少年はうなずく。
「一体なぜ」
老車掌がそう言うか否か、青年はすっと立ち上がり答える。
「外傷はない感じです。なにかの発作か、または自殺かーーそれとも他殺かーー」
『殺』という言葉に震え上がる老車掌。目が明らかに泳ぎ始める。じっとテーブルの上を少年は観察する。死体もあらかた調べ終わったようであった。
「次の駅で通信筒を。在セドラーク王国フランス大使館宛に」
「あなた方はフランスの外交官であられますか」
老車掌の質問に少年は首を振る。
「先程申しましたよね。我々は『独立外交官』であると。ただ、今回はフランス共和国の依頼を受けておりますので」
ちらっと青年の方を見やる少年。短い銀の髪が小さく揺れる。青年の反応を見て再びパスケースと羊皮紙を取り出し、老車掌の目の前に掲げる。目を近くに寄せる老車掌。
「身分証明書。こちらが『独立外交官二等公使』の安芸峻一朗閣下です。そしてーー」
間を置きながら少年は続ける。
「私は『独立外交官一等書記官』のナジェージュダ=名津=ベルナーシェクと申します。以後お見知りおきを」
はあ、と老車掌は感心したような返事を漏らす。記憶に蘇る『独立外交官』の名称。このヨーロッパでは各国の王家や政府の信託を得て、各国を渡り歩く外交官がいるという話を思い出す。その身分は通常の外交官と同じく特権を有し、彼らの身分証明書にはカール大帝の西ローマ帝国の帝冠が記されている。そこに刻まれたラテン語の格言は『平和なくして、神の喜びなし』という言葉も記憶通り、少年の手にかざされていた身分証明書に刻まれていた。
納得した老車掌は現場を離れ、遠巻きに二人を眺める。
「あれで納得したのか」
青年ーー先程の身分証明書だと『峻一朗』となっていた青年がそう少年につぶやく。
「このヨーロッパの官憲でなんとなくでも知らないものはいませんからね。独立外交官の存在を。それが何であるかは、さておいてーーこの方もお持ちですね。外交官の身分証明書です」
すでに死体となった中年の懐から、パスケースを取り出す少年ーー先程の身分証明書だと書記官のナジェージュダがそれを峻一朗に差し出す。
鷹と王冠の紋章。それはすでにドイツ皇帝を廃されたホーエンツォレルン家のものに似ていた。そう、それはこのセドラーク王国の王家ホーエンツォレルン=スタニェク家のものである。
「ナージ」
視線で指示を送る峻一朗。それに答えて、ナージと呼ばれた少年は眼帯をしていない方の左目で小さな文字を読む。
「在ヴァイマール共和国セドラーク王国参事官フベルト=ムラーゼクとあります。どうやら任地から本国へ帰る途中だったようですね」
「同業者か。同じ列車の食堂車に乗り合わせたというのもーー少しできすぎだな」
そのパスケースからのぞく小さな紙片。それをナージはつまみ上げる。
「切符ですね」
その切符には一等客室車のコンパートメント番号が記されていた。
「車掌殿」
そう言いながら峻一朗は切符を渡す。
「この部屋に行きたい。案内してくれ......ああ、『彼』はそのままに。誰か見張りをつけておいてくれ。彼も外交官らしい。間違いがないように慎重に」
はっ、老車掌は応答する。
ゆっくりと車内の通路を歩み始める三人。一等客室の客車は一番後部になる。
ナージは豪奢なノブに手をかけ開けようとするが、ガチャガチャと鍵の音が聞こえた。
「車掌殿」
俊一郎の言葉を察した車掌は腰からマスターキーをたぐり、解錠する。
ゆっくりと開かれる扉。ふかっとした絨毯の感触が靴底越しに感じられた。
「すごい部屋ですね」
ナージがそうもらす。峻一朗たちは二等客車に部屋を取っていた。それでも豪華に感じたのに、そのさらに上を行く一等客車の内装である。
「この列車でも最高の部屋です」
老車掌がそう誇らしげに説明する」
「なるほど」
部屋に歩みを入れる峻一朗。そっと絨毯の上を撫でる。
「ムラーゼク殿はセドラーク王国の参事官だったな」
「はい」
「セドラーク王国はそんなに裕福な国家だったか」
首を横に振るナージ。ドイツの南東に位置する小国。その地形的特徴から侵略は困難で、第一次世界大戦では中立を守った珍しい国家である。その一方で産業と呼べるものはあまりなく、農業も工業も見るべきものはない。
「その国のたかが参事官が予約できるコンパートメントではないな。オスマン帝国のパシャなら分からないが」
絨毯を指差す峻一朗。そこの部分が微妙にへこんでいた。
「明らかに何か荷物が置かれていたな。トランクで二つくらいか。その中に何かこの事件の原因が入ってそうなものだが」
そう言いながら、峻一朗は腕時計を見やる。時間は一六時。後少しで豪華列車『東方急行(ヴォストーク=スコールイ)』は到着するはずであった。
それはセドラーク王国首都チェルナ=ペルナの中央駅、パヴレ二世駅へとーー
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