ビスマルクの残光
八島唯
第一章 セドラーク王国への旅路
第1話 高速特急、東へ
山間をまるで滑るように、鉄路は行く。煙突からまるで、水で絵の具を溶いたような色の煙が空へと放たれる。吹雪の中、黒金の雄叫びを上げながら機関車は進む。ヨーロッパ大陸の彼方、セドラーク王国へと。
かつてヨーロッパは繁栄の中心であった。政治、経済そして文化の。植民地帝国が形成され、植民地は各王国の王冠を飾る宝飾品のように本国に富をもたらした。
――あの第一次世界大戦までは。
その残照とも言えるこの鉄道が、在りし日の繁栄を語っているようだった。
青色の豪華な客車が、蒸気機関車の後ろに何両もつらなって走る。その外装はあえて流線型に反するような独特なシルエット。当時流行りのアールデコ様式とは一線を画す感じであった。いくつもの車窓から黄色の柔らかな光が吹雪を照らす。
その車内にはパリ、そしてベルリンからの旅客が乗っていた。
ブルジョアと思われる老夫婦が一等のコンパートメントで、ソファに身を預けながら自分の生まれた年のワインを楽しんでいる。他のコンパートメントでは、若い女性が一人蓄音機の音色を片手に紅茶を楽しむ。また他のコンパートメントでは中年の男性が机の上にいくつもの伝票を広げ、難しい顔をしながらウォッカをなめていた。
『東方急行(ヴォストーク=スコールイ)』という名前で呼ばれるこの列車。オリエント=エクスプレスと並びこの時代の貴婦人たちを異国の地に誘う、代表的な路線であった。
パリを始発とし、ベルリンを経由してさらに東のセドラーク王国へと伸びる長距離急行。ヨーロッパをまさに横断するこの鉄道は、旅行者の憧れの路線でもあった。
車列の真ん中には食堂車が設置されている。食堂車だけで二両が編成されその内装は一九世紀前半の歴史主義建築の影響が強く感じられる。オペラ座のガルニエ宮のようなネオ・バロックの雰囲気も感じられるようなその車内の内装。そしてその中の豪勢なソファにテーブルを向かい合って会食する二人がいた。
一人は背の高い、青年とも見える男性である。髪は黒く、東洋人のようである。その来ている服のあつらえの良さから、当然一等客室の住人のようであった。
もう一人は背はやや低く、これもきちんとした身なりをした青年――というか少年だろうか。髪は短い銀色で、天井のシャンデリアに反射して鈍く光っていた。そして左目には黒い眼帯。
否が応でも人目を引く二人である。
テーブルの上にはいくつもの皿。これまた豪華な食器の上には、まるで絵画のような彩りをした料理が盛り付けられていた。しかしそれにはまだ一つも手がつけられていない。
その皿を圧迫するようにいくつもの書類がテーブルの上をしめていた。そして数枚の地図。その地図の上には、いくつもの記号が所狭しと記入されている。
「ナージ。そろそろ、食べないか」
ナージと呼ばれた少年はため息をつく。
「全然打ち合わせが進んでいません。この仕事が終わるまでは食事は――」
じっと男性は少年の目を見つめる。少しの沈黙。少年は諦めたようにはあ、とため息をする。
「じゃあ、食事が終わったらすぐに再開しますよ」
その言葉を合図に素早く男性はフォークに手をかけよう――としたその瞬間、大きな音が客室にこだました。食器の割れる音と、床になにかが落ちたような振動音が。
それに続いて、悲鳴が響き渡る。女性の高い声。二人は直ぐにそちらの方を見やる。
数メートル先に倒れる男性。黒いタキシードの背中が見える。床にゆっくりとひろがる赤い線。
悲鳴が上がる中、二人はそっとその男性に近づく。顔を覗き込む少年。もう一人の連れの青年を向き直りそっと首を振る。青年は大きなため息をつく。
「離れてください!一般のお客様はどうか、そばに寄らないで」
ヒステリーな声がする。ガッチリとした制服に身を固めた車掌――もしくは客室警備員だろうか。他の客が呼んだのだろう。しかし二人はその場を離れようとはしなかった。さらに死体の服に手をかける。
「すでに死んでいます。問題ありません」
そう少年が振り返りもせずに制服の男に告げる。
「やめなさい!動かしてはいけない!最寄りの駅で官憲に調べてもらうまでは……もしやめないのなら当客車の司法権は車掌であり警護係である私にあります。身柄を拘束させていただくこともやむを得ませんが、如何に!?」
車掌が腰のホルスターに手をかけ厳しい口調でそう警告する。
すっと、青年は立ち上がり少年の方を見やる。またため息をつきながら少年は懐から、小さなパスケースと丸まった羊皮紙を取り出し車掌の前に掲げる。
「外交官特権を行使します。この列車はすでにセドラーク王国領に入っています。セドラーク王国に派遣された外交官として、あなたは私達に手を出すことはできない」
りんとした少年の言に怯む車掌。そして、じっと少年の手の身分証と羊皮紙を見つめる。
「失礼ですがどちらの国の外交官でしょうか?」
すっと青年が二人の間に入り込み、顔を近づけてつぶやく。
「我々はいずれの国家にも属さない、『独立外交官』である。ご理解いただけだだろうか?」
汽笛が鳴る。吹雪の中、列車はスピードを落とさずに進んでいく。
セドラーク王国首都、首都チェルナ=ペルナへと――
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