第337話
吾輩は、このルーデンス領の領主であるヴァーツ様の屋敷の料理長である。
数名の部下と共に、領主様や御家族様の食事を一手に引き受けているが、吾輩も元黒鋼隊の隊員であった。
戦場で領主様と並び、巨大な金棒を振り回し、襲い掛かって来た魔物を殴り倒す日々を繰り返していたが、この国を襲った黒龍との戦いの折、吾輩は怪我で動けなくなっていた住民を守る為、戦闘の余波で飛んで来た瓦礫を、身体強化を全開で使用して金棒で受け止めたのだが、あまりの重量だったから、踏ん張った左膝が耐えきれず関節が砕けてしまった。
それでも、住民は助けられたし、膝もポーションで回復は出来たから問題は無かったのだが……
完全な回復は出来ず、左足に後遺症が残ってしまい、戦線離脱を余儀なくされてしまった。
前線で戦えなくなってしまったが、元々、吾輩は部隊の中で料理が出来たメンバーだったので、戦えなくなった分、食事を作って仲間を支え続けていた。
そうしていたら、領主様が領地を貰った時に料理長として採用された。
そして、遂に吾輩は師匠に出会ったのだ。
今までは、吾輩の料理の知識は人伝に聞いたものや、行商人が売っている古い本から得て、それを再現していたのだが、師匠はそれ以外にも、各地の郷土料理を調べたり、得た知識を組み合わせ、全く新しい料理法を編み出していた。
出会った当初、試しにと出された料理を食べ、吾輩はその料理の調理方法が全く分からなかった。
出されたのはなんて事の無い、コワの実の中身を煮た物なのだったが、仄かな塩味、一緒に煮込んだであろう野菜の甘味、各種香辛料を入れた独特の香り。
だが、それだけではない味の深みがあった。
必死に頭の中にある知識で、この味の深みを探したが、思い当たる節が無い。
遂に吾輩は分からず、師匠に調理法を聞いたら、『野菜クズを煮込み、香味野菜も追加して出汁を取ったスープを使って炊いただけだ』とあっさりと答えてくれた。
確かに、野菜を長時間煮込んでスープを作る事はあるが、野菜クズから同じ事が出来るなんて思いもしなかった。
しかし、言われてみれば野菜クズって言われていても、元々は同じ野菜。
ただ捨てるだけと言うのも勿体無い。
そして、吾輩は感銘を受けて師匠に弟子入りした。
そんな師匠に弟子入りしたのだが、かなり忙しく滅多に会えないので、吾輩は師匠と手紙でやり取りをしていた。
文章だけでは限界があると思われるが、師匠の手紙には文章だけでは無く、難しい作業には挿絵が描かれていて、それを見て、自分で色々と試して試行錯誤をしている。
そして、吾輩は王都にいる弟弟子とも手紙のやり取りはしていたが、吾輩達にはある課題も出されていた。
それが、『コンソメスープ』だ。
師匠から送られて来た瓶に入ったスープで、瓶には厳重な封印がされていたのだが、温めて一口飲んだ瞬間、あまりの美味さに意識が飛んだ。
作り方も同封されていた手紙に書かれていたが、その作り方は『長時間、野菜や骨を処理して煮込み、灰汁を丁寧に取り除く』とだけ書かれていただけで、どう考えてもそれ以外の手順がある。
師匠の事だから、詳しい作り方は自分で考えろという事なのだろう。
それから、色々と試したのだが、最初に出来たのは形容し難い味だった。
コレは恐らく処理が甘かったと考え、丁寧に処理をし、何度も試作しては悶絶していた。
失敗した物は何とか食べて処理。
最終的に、吾輩が辿り着いたのは、鳥の魔獣を解体する際に出る使い道の無い骨を使った『コンソメスープ』。
師匠が作った『コンソメスープ』とは味は違うが、匹敵する味になったと自負している。
その師匠が、偶然街にやって来たので、相談したい事もあったのだが、まずは保存してあった吾輩が作った『コンソメスープ』を出して、その味を評価してもらった。
師匠が、吾輩の作った『コンソメスープ』を一口飲み、それをじっくりと味わっている。
「グァゥ、ガゥ(ふむ、美味いな)」
その一言だけで、吾輩の努力が報われ、思わず両拳を握り締める。
流石に、師匠でも吾輩が何を使ったかまでは分からんだろう。
『こりゃ、風味からして鳥か?』
あっさりとバレた!?
何故!?
『僅かに鳥の香りがするからな。 それでも十分に美味いぞ?』
吾輩からしてみれば、僅かな香りだけで使った材料を特定する方が凄いのですが……
しかし、問題は吾輩が作った『コンソメスープ』の材料がバレた事では無く、他の問題が吾輩にはあり、その事を師匠に相談したいのだ。
その問題とは……
『あんまり食べられない?』
はい、しばらく前から奥方様があまり量を食べられなくなり、少々、体調が優れておらんのです。
脂っこい物が駄目になったとかでは無く、湯に通して脂を落としたり、野菜中心の食事にしてみたりとしたのですが、それでも一度に食べられる量が僅かなのです。
『ふむ、出した物が苦手だったりとか、組み合わせが苦手だったとかは?』
それもありません。
奥方様は病気が完治してからは、体力を付ける為に散歩をしたり、お食事も好き嫌いも無く食べていたのですが……
『何か変わった事は?』
師匠に聞かれて少し考えてみるが、やはり、お嬢様をご出産した事ですかな。
ご出産の前も、似たように量を食べられない状況になった事があったのですが、その時は新しく雇いましたメイドの女性から、『一度の量を減らし、回数を増やす』と言う方法で解決したのですが、今回はそれでも駄目だったのです。
現在は、具材を擂り潰したスープで何とか凌いでいる状況です。
『………フム』
師匠が首元の鞄から、数冊の本を取り出して、ペラペラと中身を確認している。
その本達の表紙は既にボロボロになり始めている事から、相当何度も読み返してかなり使い込んでる事が分かる。
『あぁ、コレだコレ。 産後に食欲が落ちるってのはあるらしいな』
そう言いながら師匠が読んでいた本を見せてくれるが、そこには出産後に注意する事と、よくある事、落ちた時の対処法と書いてある。
何で師匠がこんな物を持っているのかと思ったが、その対処法には食事に関する事も書いてあった。
成程、コレは盲点。
『で、料理だが、スープとかも良いが、なるべく栄養のある物を食べるのが良いみたいだな』
栄養のある物ですか……
しかし、今作っている物以上となると、どうやって作れば良いのやら。
腕を組んで悩んでいたら、師匠が立ち上がった。
『取り敢えず、今出してるスープを見てから判断するぞ。 そこから何か考えてみようや』
確かに、了解であります!
師匠を調理場に案内し、奥方様に出しているスープを師匠に出すと、師匠が鞄から小さい匙を取り出してスープを掬って飲む。
吾輩も、今一度味を確認する為に飲むが、うむ、いつも通りの味だ。
ほんのりとした塩味と、野菜の風味、そして煮込む際に追加したハーブの爽やかな香りが後味を引き締める。
しかし、コレでも奥方様は一度に数匙しか食べられていない。
『うーん、直接話は聞いてねぇのか?』
食べられなくなり始めた頃に聞きましたが、どうにも飲み込む際に気持ちが悪くなると……
そう説明すると、師匠が考え込んでいる。
『食感……だったらもう解決してるよな……味……いや、この程度で駄目なら、水も飲めんだろうし……』
師匠の考えが『念話』で吾輩に伝わって来る。
しかし、師匠が考えている問題は、既に色々と試して解決している。
これは流石に師匠でも解決出来ないか?
『………もしかして、コイツか?』
そうして師匠が辿り着いたのは、スープの後味を引き締める為に入れていたハーブ。
しかし、そのハーブは奥方様が好きなハーブの香りとして、使われている物のハズなのですが。
『世の中には、香りが駄目なのもいるらしいからな。 多分、妊娠して体質とかが変わったせいで、駄目になったんだろうな』
確かに、そう言った話は聞いた事はありますな。
しかし、このスープはこのハーブで味を引き締める事を前提に作っておりますので、使わないとスープがぼやけた味になって、調和が崩れてしまいます。
そう説明したら、師匠が鞄から色々と何かを取り出し、机の上に並べていく。
それは乾燥させた葉や、何かの枝、木の皮、植物の根や種といった物。
中にはいくつか見た事のある物もあり、それから推測すると、全て何かの香りを付ける為のハーブや香辛料。
『明日の出発まで時間がねぇからな。 新しいスープを作るぞ』
そうして、今までのハーブを使わず、味を引き締める新たな組み合わせを探す事になった。
残された時間は少ないが、師匠と共に新しいスープを作り出すぞ!
完全に徹夜し、師匠達が出発するギリギリまで作り続け、何とか新しいスープは完成した。
師匠達を見送った後、完成した新しいスープを奥方様は一口飲んで不思議そうな顔を浮かべた後、二口、三口と飲み続けられ、遂には完食された。
今まで完食出来なかったのに、急に飲み干せた事を不思議がっておられたが、それについて師匠と話した事を奥方様にも説明した所、大変に驚かれていた。
そして、本当にあのハーブが原因なのかを確かめる為、食後にあのハーブを紅茶として煮出してお出しした所、顔を顰められていた。
今までお好きだっただけにショックなのでしょうが、師匠曰く、今は赤子を育てたりする事で身体が疲弊しているだけで、しばらくしたら元に戻るらしい、と言う事を説明すると、『それまでお預けですね』と残念そうに言っておられた。
多少香る程度であれば大丈夫だったので、このハーブは庭に植えて増やしておきましょう。
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-妊婦になると香りの強い食事が出来なくなるってよく聞くけど、産後も影響って出るの?-
-はい、実はこの現象は一定数の方に起こりうる事だったりします-
-原因は?-
-いろいろありますが、基本はホルモンバランスの崩れですね。 それ以外だと、子育てのストレス性の鬱というのもあります-
-鬱って……-
-多いそうですよ? ですから、育児と言うのは出来るだけ夫婦や周囲も協力した方が良いですね-
-確かに、奥さんだけ苦労して、男が遊び惚けてたらキレるわ-
-……まずはお相手を探す方が先なのでは?-
-ウルサイ-
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