第308話
キャスリーの失敗を無かった事には出来ないが、今から新しいパンを用意する事は不可能。
だが、師匠はこのカスパンを見て何かを思い付いたようだ。
「葉野菜は準備出来ました!」
「えーと、このソースはチーズと……」
『ソースは温めながら牛乳で伸ばして、塩と胡椒で味を調えろ。 トマトは種を取って菜玉と一緒に小さめのざく切り、駒切にした香草と辛根にチェリー油で和えて塩胡椒で混ぜておけ』
師匠がオークのミンチ肉を炒めながら、細かい指示を飛ばす。
そしてチェリー油と言うのは、師匠が作り出した新しい油だ。
薄いチェリーの様な色が付いた事からそう呼ぶようになり、今では新しい鍋を使って定期的に作って常備している。
我々はその様子を見ているだけ、と言う訳では無く、師匠が作っている物とは別の朝食の用意を行っている。
キャスリーは師匠から言われた通り、残りのパン生地でカスパンを焼き、手の空いていた者達で焼き上がったカスパンを縦に半分に切る。
最初、ミンチ肉を炒めて葉野菜を用意している事から、サンドイッチの様な物を作ろうとしているかと思ったのだが、カスパンはサンドイッチにするにはパンが薄すぎる。
それに、サンドイッチにするなら、トマトは薄切りにするのに何故かざく切りだし、普通は使わない物を使っている。
しかし、師匠が思い付いたのだから、確実に美味い物になる。
そして、指示された通りに用意された具材を前に、師匠が半分になったカスパンを手に取り、そこに素早く用意した具材を詰めていく。
まずは細く刻まれた葉野菜を敷き、そこにチーズソースを少し流し込んだ後、甘辛く炒めてポロポロになった肉を入れ、更にざく切りにして和えた野菜を入れ、上からチーズソースを掛ける。
『取り敢えず、こんな感じだな』
そう言って俺の方に差し出された料理。
手に取ってしげしげと見るが、成程、サンドイッチ程では無いが作り方はとても簡単だ。
そして、一口噛り付くと口の中に得も言われぬ多好感。
最初に感じるのは、パリッとしたパンの食感、次にソースや野菜や肉の甘味や塩気と共に、胡椒と辛根のピリリとした辛みが味を引き締める。
だが、その辛みも直ぐにチーズの味で包まれて舌の上を流れていく。
通常、パンを食べると口の中の水分が吸われて無くなって、スープの様な水分が無いと若干食べ辛い物が、これは生のトマトを入れた事で野菜の水分が溢れ出て来る事で、非常に食べやすい。
何より、葉野菜を刻んである事で量としても、主食としても十分。
『サンドイッチも良いんだが、アレだと喰い方によっちゃ具材が零れるからな。 コレなら零れる心配も無いだろ』
師匠にそう言われて、もう一度、パンを見てみる。
言われた通り、サンドイッチと言うのは二枚の薄切りパンで具材を挟む関係で、下手に食うと具材が片方に寄ったり、隙間から下に零れ落ちる事がある。
それ以外にも、うっかり端を掴んで持ち上げると、サンドイッチが崩壊してバラバラになる。
更に言えば、サンドイッチにはかなり固めのソースしか使えないが、こっちの形状であるなら、緩い液体状のソースならある程度は使える。
何せ、パンが袋状態になっているから、零れる心配が無いのだ。
「これなら提供可能です! 直ぐに作りましょう!」
「グガァ!(それじゃ、さっさと作るぞ!)」
師匠の掛け声一つで、手の空いた者がどんどん用意を進めていく。
敢えて師匠は言わなかったが、このパン料理は中身の具材を色々と変える事でサンドイッチ並に種類が増やせる。
それこそ、師匠が爺の為に作ったハンバーグを小さくして入れたり、焼き魚を解して入れたりしても良い。
何だったら焼いた腸詰を入れたって良いのだ。
これは、カスパンの評価を改めた方が良いな。
今までは、『中身がスカスカのパン』だから『カスパン』と呼んで、サンドイッチにも使えぬからと、失敗作として処分していた。
だが、今回コレを提供してみて、反応が良ければ、分量や焼き時間、温度等を調べて安定して作れる様にした方が良いだろう。
そう考えつつ、朝食のメニューボードの項目を書き換える様に指示を出しておく。
ただ、このパンにまだ名前は無いので、取り敢えず『試作パン(味の保証付き)』と書いておく様にも言っておく。
さぁ、次のカスパンが焼き上がったら俺も作るぞ。
結論から言えば、新しい試作パンは大盛況となった。
最初にやって来た兵の数名が、メニューボードに書かれていた文字を見て訝しみ、一緒に来ていた同僚と悩んだ後、取り敢えず喰ってみようと食べた。
そして、その面子からどんどん『試作パンは絶品だった!』と言う話が広がり、やって来る面々が試作パンを食べようと押し掛けて来た。
その中には、朝食を必要としない筈の夜勤明けの兵士がいたり、休日で偶々城に調べ物の為に来ていた騎士までいる始末。
当たり前だが、元々カスパンは狙って作る様な物では無いので、朝食に提供する予定だった分しかないのだが、他の兵から話を聞いて、昼食の為にやって来て試作パンを頼もうとする兵が多かったが、当たり前だが直ぐに用意出来る様な物ではない。
なので、パン焼き担当のキャスリーに『大至急、カスパンを安定して作るレシピと分量を探し出す様に』と特別指示を出す。
コレは、カスパンになるパン種を大量に準備したキャスリーの感覚が頼りになる。
そして、やっと一段落付いた俺は、今回の騒動の原因となった粉が入っていた袋を手にしていた。
「……『ダン』よ、この粉で間違いないのか?」
俺の問いに、パン焼き担当10年のダンが頷く。
あまり喋らない寡黙な男だが、パンに掛ける情熱は人一倍高い。
そして、改めて袋を見るが、そこには産地等の焼印が押されており、いつも使っている粉で間違いは無い。
そうなると、粉が原因ではないのか?
『何してんだ?』
そうして悩んでいたら、師匠がのしのしと歩いて来た。
その手には、同じ様に粉が入った袋があった事から、どうやら師匠もカスパンを安定して作る方法を模索するようだ。
「いえ、どうして同じ粉で、あれ程カスパンが出来ていたのかと思いまして……」
『? あのパンに使ってた粉と、いつものパンの粉は別の粉だと思うぞ?』
師匠がそんな事を言って、持っていた袋を机に置くと、袋の端を少しだけ切って、僅かに小麦粉を出すと、それを小さな匙で掬って口に入れた。
『……うん、コイツはいつものヤツだな。 そっちの袋少し借して貰って良いか?』
言われて持っていた袋を師匠に渡すと、師匠が袋の口を大きく開き、隅に溜まっていた小麦粉を小皿に出すと、別の匙を使って掬って口に放り込む。
そして、少しの間、目を閉じてモゴモゴと小麦粉を味わう様にしている。
『…………思った通りだな。 いつもの小麦粉は『スキャバリー産』のだが、コイツは『ロップライン産』の小麦粉だ』
しかし、『ロップライン産』と言われた袋には、『スキャバリー産』の焼印が押されている。
店側が間違えたのか?
『『ロップライン産』は多分、土壌の問題だと思うんだが独特の苦みがあってな。 それに発酵が他と比べてちょっとばかし弱くてなぁ……パン作りにはちょっと向かねぇんだ』
「師匠、もしかして食糧庫に保管してある全ての小麦の産地と、味や特徴を覚えたのですか?」
『? 当たり前だろ? そうしなきゃ調理するのに困るじゃねぇか』
さも当たり前の様に師匠が言うが、王城の食糧庫にある小麦粉の数は、一つや二つではない。
今言った『スキャバリー』『ロップライン』以外にも、最低でも『ディフュー』『クレーブランド』『レドミナ』『フランガ』と言う領で作られた小麦が、
当たり前だが、これ以外にも小麦の産地はあり、少量だが食糧庫に搬入されているのだが、その数は俺でも把握し切れていない。
だが、師匠はこの短期間で全ての小麦の味や特徴を覚えきっていた。
「ハハハ、確かにその通りですな」
「………グァ、グゥアゥ(取り敢えず、やらかした馬鹿は任せたぞ)」
師匠が袋を持ってキャスリーの所に向かうのを見つつ、俺は言われた通り、今回の事を企んだ馬鹿の始末をするとしよう。
こんな事を企んでくれた馬鹿は、王城の全員を支えているこの
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-火を通していない小麦粉を食べるのは止めましょう-
-あー、人だとお腹を壊すんだっけ?-
-はい、人の消化器官の能力では、生の小麦粉を消化しにくいんですよね-
-原因って何だっけ?-
-小麦粉は生の状態だとβデンプンという状態でして、水を含み難くて消化しにくいんですよ。 そのせいで消化不良を起こすんです-
-それが火を通すと変わるって事ね-
-それ以外にも、生だと表面に食中毒菌が付着してる可能性があります-
-……それってこの世界だと分からないんじゃないの?-
-食材を浄化してる訳じゃありませんし、小麦粉だと水洗いも出来ませんし、くっ付いてたら酷い事になりますね-
-まぁ食べてるのは熊だし、そこら辺は大丈夫でしょうね-
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