第238話




 コボルト豆から採れる油は蒼白く、香りもほぼ無くサラリとしているが、調理に使うとトンデモない味となって、ベヤヤですら料理に使うのは不可能と断念した程の油じゃ。

 それがどうして、色は薄ピンク、香りも味も良くなっておるのか。


『弟子の所でちょっとした事があってな、それであの油が料理に使える様になったんだよ』


「ちょっとした事とな?」


 そうしてベヤヤが、こうなった経緯を話してくれたのじゃ。




 その日、連日の様に大量の料理を作り、ほぼ全て完売状態となった厨房では料理人がぐったりしながら、皿洗いや残飯処理を行っていた。

 残念ながら残ってしまった料理は、賄いとして料理人が食べて、何故残ったのかを話し合ったりして、次から無駄を出さない様にするのだが、今回残ったのはパンだけである。

 そのパンも、『黒パン』と呼ばれている昔ながらの無発酵パンであり、最近の『白パン』と呼ばれる発酵パンが人気となって飛ぶ様に食べられているが、黒パンを好む者もいる為、人気が低くても焼かれているのだが、どうしても消費量の把握が出来ず、残ってしまっていた。


「うーん、やっぱりもう少し数を減らしても良いんじゃないか?」


「だが、前に少なくして、途中で無くなって怒った奴もいたからなぁ」


 そう、この食堂に来るのは文官や兵士、騎士と言った面々だが、全員が毎日来る訳では無い。

 来れない理由としては、休日だったり、外回りで城の外で食べていたり、それこそ食事すら出来ない忙しい状況になっていたりと、状況は様々。

 最近では、それでも食堂にやって来る者は増えたが、まだまだ全員が来ている訳では無いので、どれだけの量がその日に必要になるかは分からないのだ。


「まぁ黒パンなら置いといても暫く大丈夫だから良いけどな」


「そこが救いだな」


「お前等ー、無駄話してねぇで皿洗いさっさと済ませろー、夜の仕込みが出来なくなるぞ」


 話し合っている料理人に対して、別の料理人が声を掛ける。

 今日の夕食は、肉以外に魚を出す事になっている為、準備に手間が掛かるのだ。

 その魚も、数日前に冒険者に依頼し、味見をしたベヤヤの指示で、城の中庭に並べたタライで『泥抜き』と言う作業が行われていた。


「成程、古くなったパンを削って……」


「グァ、ガゥ」


 厨房の隅では、硬くなった黒パンをおろし金ですり下ろしているベヤヤと料理長、そして副料理長を含む数名の料理人達。

 今回、魚を提供するに当たり、新しい料理を作る事になっていて、その下準備をしているらしい。

 ただ、その量がかなりの量になっている。

 皿洗いが終わった後、ソレでも終わらず、全員でその下拵えを手伝う事になった。


「ガァゥア(それじゃ始めるぞ)」


 ベヤヤが言いながら、机の上に置かれた魚を捌き始める。

 綺麗に絞めた後、鱗を丁寧に剥ぎ、内臓を取り除き、切り分けていく。

 それなりに小さい切り身にした後、コワ粉を付け、小麦粉とコワ粉を水で溶いた液に潜らせ、削ったパン粉を付けると、熱した油に投入した。

 ジュワワと心地良い音が響き、色が黄色になったらそれを取り出して、網の上に置いた。

 それを何回か繰り返し、その場にいた料理人の数だけ作り上げる。


「ガゥ、ゴア(よし、『フライ』の完成だ)」


「初めて見る料理だな」


「魚なんて焼くか煮るだけだと思ったけど、こんな方法もあるのか……」


「成程、油で煮るのではなく、高温の油で一気に熱を加えた訳ですな」


 フライを一口食べた料理長がそんな事を言うと、ベヤヤが興味を持ったのかその料理方法を聞き始め、料理長は各自に今の調理を各々が試す様に指示を出し、ベヤヤと一緒に別の竈に移動して、説明を始めた。

 そして残った料理人は、各自で魚を捌き、新しいボウルを用意して調理液を作り始める。


「固さはこのくらいか?」


「もう少し緩くて良いんじゃね?」


「粉の比率間違うと食感も変わるな、コレ」


「しかし、食堂で提供するには、かなり難しいな」


「提供前にもう一度揚げるか?」


「いや、そうすると油の消費量が増えるし、竈も足りなくなるって問題があるぞ」


 完成したフライを食べるが、揚げたてはサクサクとしているが、時間が経過すると衣が水分を吸って食感が悪くなる。

 再度揚げるという方法も考えられたが、そうすると油は更に必要になり、常に高温を維持する為に竈の一つを塞ぐ事になってしまう。


「と、油がかなり減っちまったな」


「食糧庫にまだあるだろ?」


「いや、夜までに俺等が作れるように試す為なんだから、これ以上使ったら駄目だろ」


 そうしていたら、料理人の一人が机の下に置かれていた甕を見付けた。

 こんな甕は記憶には無いが、蓋を開けると、そこには見た事は無い油がなみなみと入っている。


「皆、こんなトコに油あったぞ」


「見た事無いな? 何の油だ?」


「においは無いから、未使用みたいだな、色は……蒼白いぞ? 何だコレ?」


「取り敢えず、食糧庫の物じゃ無いし、使っても大丈夫だろ」


「コレ誰の忘れモンだ?」


 食糧庫にある物は全て国の予算で購入して管理しており、正当な理由なく勝手に使用した事がバレたら厳罰が下る。

 だが、その食糧庫に置かれていない油で、こんな所に置かれているのであれば、誰かが個人的に購入して置き忘れているのだろう。

 そんな事を言いながら、新しい鍋に油を入れ加熱していく。

 そして新しいフライを揚げようと、各自が準備を始めた。


「おーい、この鱗は何処に……ってぇ!?」


 鱗が山盛りになったザルを片付けようとした料理人が、床に零れていた調理液で足を滑らせた。

 思わず机に手を突いたが、持っていたザルから鱗が飛び散ってしまった。

 そして、飛び散った鱗の一部が熱していた油の中に入って、ジャバババと凄まじい音と共に気泡を上げた。

 これは、鱗に付いていた水分が一気に熱せられて気化した事による物だが、料理人達にとっては、急に油が飛び散り始めた事で半ばパニックになってしまった。


「うわっ!?」


「早く離れろ! 危ねぇぞ!」


「蓋何処だ!?」


 これだけ大騒ぎになって、ベヤヤ達が気が付かない筈も無く、慌てた様子で料理長がコケた料理人の襟を掴んで引き摺って離し、ベヤヤが念動力サイコキネシスで蓋を閉めてから、鍋を浮かせて竈から離した。

 それで何とか騒動は収まったが、料理人全員に料理長の雷が落ちた。

 新しい料理を試すのは良いが、浮かれ過ぎて食材で周囲を汚すなど料理人としても言語道断、捨てる物もその都度捨てなければならないのに、ザルに山盛りになるまで放置していたのも問題だった。

 取り敢えず、新しい料理は一時中断し、全員が調理場の清掃を行う事になった。


「全く、新しい料理に興味を持つのは良いのですが、基本すら忘れてしまうのは問題ですな」


「グァ(全くだ)」


 料理長がボウルの一つを拭き、重ねながら呟く。

 ベヤヤも、新しい料理を知れば試したり挑戦したりはするが、周囲に迷惑を掛けたり、危なくない様に、使わない物は片付けたり、出てしまうゴミで汚したりしないように、その都度、捨て場に捨てているし、簡単に捨てられない物は、別に用意した専用の箱に一時的に貯めてから捨てている。

 そのベヤヤは、鍋を念動力で浮かせながら、今回出たゴミを纏めている。


「グァゥ?(そろそろ冷えたか?)」


 ある程度掃除が終わり、ベヤヤが念動力で浮かせていた鍋を火を落とした竈に戻す。

 最初、沸騰した状態で無理矢理蓋をした為、念動力で押さえ付けていないと、蓋を弾き飛ばされそうになっていたが、完全に冷えて力を掛けていなくても、大丈夫な状態になっている。

 ベヤヤが蓋を開けると、最初にふわりと漂って来たのは、微かな花の香りの様な匂い。

 そして、油の中に砕けた鱗が沈んでいて、全てを取り除く事はかなり難しいので、布を使って濾過しながら別の鍋に流し込む事にした。

 大きな破片を取り除き、ゆっくりと流し込んでいくと、細かく砕けた破片が布に残り、下の鍋に濾過された油が落ちていくのだが、その色はうっすらとピンク色になっていた。


「? こんな油あったかな?」


 料理長がその油を見て呟く。

 ベヤヤも今では食糧庫にある食材や調味料は全て把握しているが、ピンク色の油と言うのは記憶にない。

 二人して首を傾げると、料理人の一人が甕を持ってきた。


「あのー、この油は何処に置けば良いんでしょうか? 食糧庫に置き場が無かったんですけど」


「グァ? ガゥ(あ? そりゃ俺のだぞ)」


 甕の中を確認すると、半分ほど無くなっていたので、持って来た料理人に確認すると、先程の騒動の原因となった鍋に入っていたのが、この油だったらしい。

 だが、この油はどうやっても調理に向かないコボルト豆から採れた物であり、ベヤヤですら今は使えないと判断していた物で、今回は鞄の中を整理していた際、ちょっと邪魔になったので机の下に置いていただけだった。


「グゥァ?(マジか?)」


 だが、目の前の鍋にあるのは、それとは似ても似つかない程、味も香りも良くなっている油だった。

 その日、夕食は料理長達に任せ、ベヤヤは中庭の隅を借りて、コボルト豆から採れた油に対し、料理人達がやった事と同じ事を試した。

 その結果、魚の鱗を熱した油に入れ、蒸気を逃がさない様に蓋を閉めた状態で固定すると、熱された鱗が変色して赤くなり、それが砕ける事で色が溶け出し、油の色が蒼白い色からピンク色に変化し、香りが油に移り、油の中にあった独特のが鱗の方に移るという事が分かった。

 この際、蒸気を逃がすと油にえぐみが残ってしまう事から、鍋の中で圧力が掛かる事が大事な事である事も分かった。


 こうして、ちょっとしたトラブルから、まったく新しい油が出来上がったのである。

 保管されてる魚の数が少々心許ないから、弟子と追加で魚を捕まえる事を相談していたら、アイツから話が来たので、ついでに会う事になった。











~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


-熱した油に水って、滅茶苦茶危険なんじゃ?-


-はい、地球では大火事や大怪我の原因でもあります。 簡単に言えば、水が一気に気化して体積が一気に増える事で爆発と同じ様な状態になり、その際に油が一緒に飛び散って大変に危険、と言う感じです-


-それを防ぐ方法って無いの?-


-揚げる物の水気を切る、コレ一択ですね。 冷凍食品の場合は、霜が付いていなければそのまま揚げても平気ですが、霜が付いていると、油の熱で一気に気化するので大変に危険です。 大人しく、レンチンするタイプを使うのが一番ですが……-


-こっちにレンジなんて無いわよ-


-……技術の進歩を待ちましょう-


-アンタが言うべき事じゃないわね-

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