第198話



 ライザの息が荒い。

 長時間走った事によって息が上がる事はあるが、ルーアとライザは普段から俺の護衛の為に鍛えているから、この程度で息が上がるなんて事は無い。

 その証拠に、ルーアの方はライザの様子を見て、駆け寄っているが、若干息が上がっている程度だ。


「ライザさん!? 酷い熱です!」


「……ゴブリンの矢だ……多分、毒が塗ってあったんだろう……」


 見れば、ライザの右の脹脛から若干血が流れて、傷口の部分が少し変色している。

 多分、逃げている時に掠った矢に毒が塗られていたのだろう。

 そこまで強い毒じゃないだろうが、長時間走った事で毒が全身に回ってしまったのだろう。

 このままだと、逃げ切るのは難しい。


「クソが……毒消しは?」


「無いです……」


「何でねぇんだよ!」 


「アッシュ様、出る前にアンチドートポーションを購入しようとしたら『いらない』って……」


 俺の言葉に、ルーアがそんな事を言っている。

 薬草採取の依頼を受けて、道具屋で道具を揃えてポーションを買う際、俺はそんな事を言ってしまった。

 相手は雑魚のゴブリン、そんな物は必要無いと思って、無駄な金を使うつもりはなかったのだ。

 だが、所詮ゴブリンが使う様な毒だから、採取した薬草を使って安静にしていれば大丈夫の筈。

 野営するにしても、ゴブリン共から逃げる際、野営道具を入れていた袋を咄嗟に盾代わりにした為、テント部分が切られて駄目になっているから進んで探すしかない。

 唯一の救いは、切られた部分から食糧が零れ落ちなかった事だ。

 俺が先導し、ライザにルーアが肩を貸して進んでいると、目の前に低い崖と洞窟が見えて来た。

 剣を抜いて洞窟を確認すると、何かが住み着いている訳じゃなさそうだ。


「よし、此処で休むぞ」


「ライザさん、大丈夫でしょうか……」


 ルーアがボロボロになったテントを敷いて、ライザをそこに寝かせて横にする。

 ライザの息は荒いままで、額からは大量の汗が出ている。

 採取した薬草をルーアが刻み、ライザの傷口に当てて布で固定しているが、回復するまでは動きようがない。

 本来、採取した薬草は提出用だが、この際、仕方無い。


「どうにかなりそうか?」


「分かりません……それにゴブリンが使う毒ですし……」


 ルーアがライザの汗を拭きながら言っているが、手持ちの食糧は2日分程度しか残っていない。

 本当なら、もう森を抜けて町に戻っている予定だから、そこまで多くは持ち込んでいなかったのだ。


「アッシュ様、こうなったら狼煙とか……」


 冒険者には緊急を知らせる為、狼煙を上げる為の魔道具を持っている。

 これは冒険者全員に支給される物で、ギルドから依頼を受けた際、俺達も3個持たされた。

 それを使えば、ギルドに知らされて救援が来るのだが、それに掛かる費用は救援を頼んだ冒険者が払う事になる。

 そんな事になったら、登録したばかりの俺達に払える訳が無い。

 それに、所詮はゴブリンが使う毒だから、そこまで強い物じゃ無いだろう。


「このまま安静にしてれば、回復するだろう。 それよりもこの場所がどの程度の位置なのか調べなければ……」


 森の中を走り回ったせいで、今いる場所が分からない。

 恐らく、森の外に近い場所なんだろうが、ギルドで入手出来る地図を見て、今いる場所を特定しないと森から出る事すら難しい。

 下手に動いて、余計に森の奥になんて向かったら大変な事になる。

 入り口付近で火を起こし、残った食糧を使って食事を済ませる。


「……ライザさん……」


 ルーアがライザの奴にスープを飲ませているが、まだ辛そうだ。

 一日様子を見て、もし駄目そうなら……

 そんな事を考えながら、森の中を見た。




 意識が朦朧としているが、体が非常に熱く、動かすだけで右足に激痛が走る。

 ゴブリンが毒を使ってくるとは聞いた事はあったが、此処まで辛いとは……

 護衛である以上、多少毒には耐性を持つ様に訓練はしていたが、どうやら相当厄介な毒の様だ。

 薬草だけで体力を回復し、自然治癒で治るのか?

 周囲を見回すと、既に暗くなっている様だな……


「……ルーア……アッシュ様は……」


「ライザさん! まだ動いちゃ駄目ですよ」


 近くにいたのか、ルーアの声が聞こえて来る。

 だが、その姿を見る事が出来ない。

 もう深夜だったのか?


「……薪が無いのか? 少しは焚火をしておかないと……」


「ぇ、ライザさん、もう朝になってるんですけど……」


 いや、真っ暗だぞ?

 ルーアの姿も見えないし空だって……


「まさか……ライザさん、少し失礼します」


 ルーアの声が聞こえて、私の顔にひんやりした手が触れた。

 そして、何か瞼に何かが触れる。


「コレは……大変です……アッシュ様! ライザさんが!」


 遠くから足音が聞こえて来て、何か言い争っている声が聞こえるが……

 もしかして、私の状態は相当拙い状態になっているのか?

 そして、誰かが近付いてくる足音が聞こえる。


「直ぐに町に移動させないと、ライザさんが危険です!」


「どうやって移動すんだよ! まだ場所すら分かってねぇんだぞ!」


「大量発汗に高熱、それに目が見えなくなるなんて、絶対に普通の毒じゃないです!」


「クソッ! ゴブリンだぞ!? そんな面倒な毒なんか用意出来る訳ねぇだろ!」


 アッシュがそう言っているが、実際、私の状態は酷い物だ。

 だが、アッシュは『ゴブリンが用意出来る毒がそこまで強い訳は無い』と、頭から決め付けている。

 この時、私の状態を他人が見れば、即座に狼煙を上げた上で撤退を決める程だったという。

 と言うのも、私が受けた矢に塗られていた毒は、一つ一つは効果が弱いが、それを混ぜ合わせて発酵させた複合毒で、巨体のオークですらも仕留める事が出来る程、非常に強力な物だった。

 体内に僅かに入っただけだった為、即座に効果が表れなかっただけで、毒はどんどん私の体内を破壊し、傷を受けた脹脛は、どす黒く変色していたのだ。

 初日に薬草を刻んだ物を貼り付けて布で押さえている為、この時の私達は、傷口の変色には気が付いていなかった。

 そうしていたら、アッシュとルーアが口論となったが、結局はこのまま様子を見つつ、狼煙を上げて救援を待つ事になった。

 ただ、支給された狼煙を上げる道具は、遠距離からも見える様に結構な煙が出る為、至近距離で使ったら洞窟内に煙が入って来るとして、少し離れた所で使用する事になった。

 アッシュが筒の様な物を持って森の中に消えて行った後、それを使って狼煙を上げる事になった。

 そして、しばらくしてアッシュが戻って来て、狼煙を上げたからしばらくすれば救援が来るだろう、と不貞腐れた様に言うと、そのまま救援が来るまで洞窟で待機する事になった。

 残り僅かな食料と水を分け合い飢えを凌ぐ。

 私の状態は回復せず、それどころか四肢に力が入らなくなってきた。

 ルーアが心配してくれるが、コレは最早、覚悟を決めておいた方が良いだろう。


 そして、次の日、事態が急変した。

 夜の見張りをルーアからアッシュに変わり、朝を迎えたのだが……

 日が昇る頃、ルーアが目覚めた時には見張りをしている筈のアッシュの姿は無く、それどころか私達の道具を入れていた袋も、残り僅かな食料も全て無くなった。

 洞窟に残されていたのは、矢の無いルーアの弓と、私の槍、そして私達が寝る際に使用している寝袋と、カラになった袋だけ。


 そう、アッシュの奴は私達を見捨て、一人ですべての道具と食糧を持って逃げたのだ。

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