第3話:弱者は再び起き上がる ①

前項で手を差し伸べる重要性を考えた。これは、手を差し伸べる大切さを立場が上がっても持っていてほしいという観点からだ。今回、弱者は周囲から応援してもらえることが力に変わっていく。という話をしたいと思う。


現在、弱者いじめのような風潮を以前よりは減ったが、見かけることが多い。しかし、こういう人は弱者に仕立て上げられてしまっている場合が多く、これでは変なイメージが先行してしまい、何事にも挑戦してみたいという気持ちが消えていってしまう。それでは、彼らの就労意欲に水を差す結果になってしまう。だからこそ、そのような人たちがしたいと思う仕事ではなくとも出来るだけの支援をしながら彼らの中にある社会への不信感や偏見を乗り越える事の出来るプロセスを考えてあげるべきなのだ。特に、弱者になってしまった経験がない人にとっては彼らの気持ちはほとんど理解できないだろう。しかし、このような人たちはふとしたきっかけに光を当ててあげることでまるで別人のように変わっていく。その人の内に秘めた潜在能力を引き出すことが出来るのならば会社の未来や社会の未来は明るいだろう。私は彼らのように社会に必要な能力を持ち合わせながら、社会からはじかれてしまうことはかなり心苦しい。だからではないが、彼らにとって必要とされることが大事だろう。そして、本人たちが必要とされることが心地よくなるようにする事も求められる。


 弱者というのは決して恥ずかしいことではない。なぜなら、弱者になることで同じ境遇の仲間の気持ちや肩身の狭い思いなどを共感することが出来る。そのような立場の気持ちを理解することが弱者となってしまった人の苦しさをなんとか好転させたいという気持ちが芽生え、人のために動くことの大切さを考えるようになる。そのうえ、そういう人は同じ境遇の人が自分と同様のプロセスを踏まないよう事前に経験を伝える。そうすることで、二の足を踏むことがなくなり、新たな被害者を作らなくて済むのだ。


 そもそも、弱者とは社会が生んでしまった悲しき産物のようなイメージを持たれてしまう。しかし、こういう人を生み出してしまったことは社会全体で反省をしなくてはいけないだろう。このような問題をないがしろにすることは弱者が起き上がりにくくなる要因になってしまう。それだけでなく、少しずつ上がってきた気持ちが再びおかしな方向に動いてしまうのではないだろうか?そんな不安も浮上しかねない。弱者は強者とは紙一重であり、1日で逆転してしまうくらい扱いを間違えたところでその人の人生を変えてしまうほどのレベルになる。その状況に置かれた人が浅い部分で助けを求めて、周囲から手を差し伸べることが出来たのなら望みがあるだろう。しかし、深みにはまってしまう、誰からも手を差し伸べてもらえないという状況下に置かれてしまっていると最悪の事態に発展しかねない。それらを避ける意味でもきちんとした支援プロセスを練ったのち少しずつでも前に向けるように後方からの支えをしていくことが必要だろう。


 今も日本にはたくさんのダイヤの原石が眠っているのだ。そういう人を発掘して、光り輝く原石として会社の戦力になってもらうことで自分の殻を破るきっかけにしてほしい。

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