5.黒骨の騎士と夜の王

 クレリアがバチッと目を覚まし、反射的に体を起こすとそこはあまりにのどかな景色であった。暖かい日差しのなか鳥が歌い、妖精たちが蝶のように舞っている。

「ここは……?」

クレリアはハッとして辺りを見回した。アレッキオ、ディミトラ、パーミラとマテオが気を失って草葉の上に転がっていたが、ハルサラーナとフォンザーの姿はなかった。

「姫さま……!」

そうだ、黒骨の騎士は突然現れた魔法剣士によって致命傷を負ったのだ。そのことを思い出しクレリアはすぐ立ち上がった。しかし、彼女は

「おーい」という背後からかけられた間延びした声に警戒して、恐る恐る振り向いた。

「やあ、我らの子」

そこには白いローブのフードを被った白い髪に細長い耳、夜空と朝焼けが混じった不思議な色合いの瞳の、白魔法使いが立っていた。

「ようこそ、妖精の国シルベルフへ。私はマーリン。君は?」

「……クレリアと申します。古き奇跡使いさま」

見目は年若い魔法使いマーリンは、人懐こい顔でにっこりとクレリアに微笑んだ。


 黒骨の騎士は夜空を見上げたまま、いや、正確には見上げるしかない状態で大きな平たい岩の上に投げ出されていた。鼓動も息も止まり、それでもフォンザーは何故か冷たい体に縛られたまま夜空を見上げていた。

苦しい、とか、熱い、とか、魔法剣士にかけられた術の苦しみからはすっかり解放されていたのに、彼は重く冷たい体に苦しんでいた。

(動けん……)

突風が肌を撫でた。その風に目を瞑ることも出来ず、フォンザーは頭の上を覆った夜空の翼と、星のように輝く黄金の瞳を見つめた。どこかで見た、槍のように鋭いツノは根本から三叉槍のように分かれ頭から生えている。そしてその姿は竜よりも鳥に似ていた。柔らかそうな羽毛が覆う大きな羽根。猛禽類を思わせる鋭い爪を持つ、ゴツゴツした樹のように太い脚。大いなる竜はその太い脚を器用に使ってフォンザーの胸元の布をめくった。

「……ふむ、内から焼けたか」

低く心地よい声が辺りに響いた。その声は厳かで、しかし親しみやすい良い声だった。

「子よ、遠い子よ。聴こえておるな?」

(姫が……姫がまだ)

「子よ、憂うのは後にしたまえ。己の方が先だ」

「姫が……!」

彼の喉から声にならぬ声が漏れた。フォンザーは動かない体を苦々しく思った。憎さすら覚えた。

「姫が泣いておられるのに……この体が動かんのです!」

「子よ、運命の子はシルベルフにいる間は安全である。まず己を労わるが良い」

竜の言葉でフォンザーはハッとした。目玉すら動かないのに彼は周りをぐるりと見渡した。静かな森に覆われた、なだらかな丘が遠くまで続いている。

「……シルベルフに着いたのですか?」

「お前が運命の子をここへ連れて来た」

「そう、ですか。考えただけでしたが……上手くいったのか」

フォンザーは安堵した。そのまま魂まで溶けてしまって構わないくらいに心から安心した。

「よかった……」

「だが、そのままでは戻れぬぞ。子よ。お前が真に翼を取り戻さねば、運命の子はさぞ嘆き悲しむであろうよ」

「翼……?」

竜は、夜の主はフォンザーからフイと顔を逸らすとあちらを見ろと言わんばかりに嘴で先を示した。黒骨の騎士はとっくに動けないのに、不思議と彼が見ている物を並んで一緒に見つめた。朝が来るのか、丘の向こうは明るくなり始めている。

「ここはシルベルフの夜の側。生者は昼の側に、死者は夜の側に着く。明けと宵は来ても昼が夜にはならぬし、夜が昼にはならぬ」

「それなら……私はもう戻れぬのでは?」

「そう思うか?」

「いいえ……まだ戻れる気がします」

「うむ。お前が真に諦めてしまうと今度こそ死んでしまう。故に早々諦められては困る。色々と説明もしたいしな」

フォンザーが隣を見ると、カラスのような面差しを持つ竜はニンマリと口の端を上げた。

「まずどこから話そうか、子よ。ここでは時間はあってないようなものだ。長話になると覚悟せよ」


 クレリアは気を失った従者たちを起こし、魔法使いマーリンに誘われ妖精たちの村へ辿り着いた。藁葺わらぶき屋根の小屋が点在する妖精の子孫の村は、広いようで狭くまとまっている。

「やあやあよく来たねヒトの子」

「おや、土の子もいるよ。ここらで見るのは珍しいね」

妖精によく似たエルフィンたちは間延びした声で、どれも似たような薄い色の髪と肌と不思議な色合いの瞳で旅の一行を出迎えた。

「……エルフィンってもっと表情固くて人形みたいじゃないっけ?」

「大陸の方は、どうもそうみたいだね。私たちからするとあちらが異質なんだけども。ああ、私の家はこっち」

 魔法使いマーリンは家と呼ぶにはあまりに粗野な、藁をかき集めて置いただけのような屋根を持つ円い筒状の石壁の建物へと屈んで入る。旅の一行も続いて入ると、中は外の見目とは全く違って木材でしっかり囲まれ、広く居心地の良い空間となっていた。

「あっ、えっ?」

「ええ? 外と広さが違わねえ?」

「……家そのものに魔法をかけているのでしょう。エルフィンの村では珍しくありません」

「そう言うこと。さすが我らの子」

「お褒めに預かり光栄でございます」

「真面目だねぇ。そんなに畏まらなくていいのに。さあ、お茶を淹れるから座りなさい」

 マーリンの言葉に姫と騎士以外の旅の一行は太い切り株そのままのテーブルを前に腰掛けた。そしてパタパタと子供の足音が聞こえた気がして、クレリアは振り返った。

「どうしたのクレリア?」

「……いま子供の足音が」

「えっ?」

「ああいや、違うよクレリア。今のは君のお姫さまじゃあない。あの子の安否を確認したくて不安に思っているから妖精たちがイタズラをしに来たんだね」

クレリアは姫を探しに行きたい気持ちをぐっと堪えて、テーブルの方へ体を向けた。

「そう、それでいい。ここは妖精と銀の国シルベルフ。運命の子は早々迷子にならないし、君が心配せずとも父親を見つけて戻ってくる」

「……なんでアンタがそれを知ってるの?」

「こう見えて、長く生きてる魔法使いだからねえ」

マーリンは夜空と朝焼けの瞳でパーミラに微笑んだ。

「先のことは占いで幾つか読んでる。その内の一つが当たった。それだけだよ」


「説明とは言うたが、うーむ……やはり実感する方が早いぞ、子よ」

 夜風と共に舞い上がった夜の主は大空を覆うほどの巨大な翼でシルベルフの夜の森を飛んでいた。

「子よ、お前の瞳には何が見える?」

「……静かでなだらかな丘が、森が見えます」

「うむ。そしてその梢では鳥や小さき獣が眠っておる。それも見えるか?」

黒骨の騎士はよく目を凝らした。すると夜の主が言った通り小さな獣たちがぐっすりと眠っている。

「……はい、見えます」

「うむ。それが我ら夜の者の瞳である。我らの瞳が星のように明るいのは、小さき者を見守るためである」

「そう、ですか」

「うーむまだ実感しておらぬな。では次だ」

夜の主はくるりと体をひっくり返すと、地面に向かって真っ逆さま。彼はそのままどこにもぶつからず、土の下に広がる闇の中へ滑り込んだ。黒骨の騎士の瞳はやがて、暗闇の中に広がる城や村のような廃墟を捉える。

「あれは?」

「死者の国だ。シルベルフ以外にもあるが、昔から死者の国は地下世界にあってな」

「死者の国……」

「うむ。彼らが次の生へ辿り着けるか見守るのも、我ら夜の使命である」

夜の主は死者の国を通り過ぎ、高く飛ぶとまた星空の下へ舞い戻った。森は本当に静かで、獣や虫が鳴く声もしない。

「……翼を取り戻す、とは? 夜の方」

「お前が夜としての自覚を持てば自然と戻って来る。が、その調子では無理そうだな。一度降りよう」

夜の主はフォンザーが倒れていた台座のような大岩へと戻って来て、その上でゆったりと羽根を休めた。

「子よ、自分の名前は解っておるか?」

「名前……ファヴイール、ですか?」

「解っておらぬようだ」

「もしや別の名前が?」

「いいや、名は合っておる。意味がわかっておらんな。名の意味をよく知りなさい、子よ」

「俺の名の意味……?」

騎士は首を傾げた。そしてパタパタと言う軽い音を耳にして彼はハッと振り返った。はちみつ色の髪をした、小さな女の子が森へ消えて行く。彼は反射的に後を追った。

「姫……姫!」

女の子は振り向きもせず駆けていく。

「姫!!」

女の子は騎士よりもずっと速く走っていってしまう。騎士が息を切らせても、どれだけ手足を振っても小さな子供に追いつけない。

「姫……!」

騎士は走って走って、夜の主が御座す岩の台座へ戻って来てしまった。

「姫は……」

「ここにはおらぬよ」

「そんなはずは!」

「子よ、死と眠りの国に生者はおらぬ」

「そんな、はずはない……こんなに近くにあの子を感じるのに!」

「何故そう思う?」

「何故って……今ここに」

黒骨の騎士は子供を抱きかかえる仕草をした。つい、普段のくせで。

「そこが、どうした?」

騎士は腕の中に何かの気配を感じ取った。その何かは小さくて儚くて、押し潰したら壊れてしまいそうに柔らかかった。

「子よ、お前はその名を持った時からずっと運命の子と共にあったのだ。ファヴイールよ、その名は宝を抱く者の意味を持つ。そして宝は、金や銀のことではない。かけがえのないものと言う意味だ」

「ああ……」

ファヴイールは腕の中の小さな気配を抱き締めた。押し潰さないように大切に、しっかり抱き締めた。

「姫。サラ……サラーナ」

ファヴイールは愛しい娘の名を呼んだ。そして、彼の背に大きな星空の翼が広がる。

「うむ、やはり実感の方が手っ取り早いな」

世界の夜、神竜ノクトはニンマリと笑って、夜風と共に大空へ戻って行った。


 男は暖かい日差しの中、大岩の台座の上で目を覚ました。横たえた体を起こすと、腕の中でははちみつ色の髪の女の子が眠っていた。

「姫、ひめ」

男は子供を揺り動かし、その瞳が開かれるのを待った。

「ん……」

女の子は目を開けた。その青い青い、南の海よりずっと鮮やかな青い瞳が男を捉えると、彼女は小さな腕を精一杯広げて彼に抱きついた。

「パパ……パパ!! パパぁ! うわああん! うわあああああん!!」

黒骨の騎士は、ファヴイールはハルサラーナを優しく抱きとめた。そしてその小さな背を何度も何度も優しくさすった。


 普段何事にも動じないクレリアが切り株のテーブルのそばでそわそわと歩き、普段なら落ち着きのない弓士のアレッキオはやや遠い位置にある木のベンチに腰掛けじっと目を瞑っていた。

「クレリア、座りなよ。疲れるよ」

「……なんか、会った時の印象と逆だね」

パーミラがポツッと呟くとディミトラが取手のない陶器のカップで紅茶を啜る。

「姫さまに何かあると、アレッキオの方が落ち着くんだよね。猟師だからかねえ?」

「慌てても獲物は来てくれないからね。姫さまは獲物じゃないけど。自分で考えて歩けるし、魔法使いマーリンが待てと言うなら待つしかない。だからクレリア、座りなって」

「でも姫さまが……まだ五歳なのよ? 何かあったら……」

「クレリアの方はこう言う時つい母親の気持ちになっちまうんだろうねえ……」

「じゃあ師匠は?」

「あたしは婆やだよ、婆や。姫さまのば、あ、や」

ディミトラはまた茶を啜った。

「婆やも待つしかないなら待つってこと?」

「そう言うことさ。姫さまはなんせお強い子だからね。あたしらが驚くくらい」

「アタシたちなんて驚きっぱなしだよ」

「そう言うことさね」

 クレリアがやっと椅子に腰掛けしばらくした頃、家の外がガヤガヤと賑やかになった。

「ご機嫌よう我らの姫」

「ご機嫌よう運命の子」

「ごきげんよう!」

小鳥のような可愛らしい声を聞きクレリアが思わず立ち上がる。

「今のは……幻聴ではありませんよね!?」

「うん、俺も聞いた」

「姫さまっ!!」

クレリアが表へ飛び出す前にマーリンが玄関の戸を開いた。そしてそこには背の高い男の腕に抱かれたハルサラーナと、姫を抱く短い黒髪に黄金の瞳を持つ男が立っていた。

「なっ……」

「えっ、誰?」

パーミラとマテオは黒いマント姿の男を見て目を丸くした。ドラゴニーズの男と言うのは胴や手足が丸太のように太く発達し、いくら体を鍛えたトーラーとて比べればまるで様相が違う。だが一行の前に現れたのは竜のツノと瞳を持っていても、一瞬トーラーと見紛うほどスラリとした四肢を持つ背の高い男だった。

男はカラスの羽根で出来た黒いマントを着て、中は夜空色の一枚着。腰巻きの代わりに剣帯を身に付けている。靴のように見える黒さは鳥の脚だった。

「ごきげんよう、魔法使いさま!」

「ご機嫌よう、運命の子。我らの姫君。お帰りなさい。さあ、座って。お茶をどうぞ」

「ありがとう!」

床に降ろされたハルサラーナは真っ先にクレリアに駆け寄り抱きついた。

「クレリア!」

「姫さま!!」

男は白魔法使いと姫君が抱き合うのを傍らでじっと見守る。

「もう! 心配しましたよ!」

「ごめんなさい。でもパードレがずっと一緒だったの。だから大丈夫よ」

小さな姫が見上げると、カラスのような羽のマントを着た男は優しい眼差しで少女を見つめ返す。クレリアもアレッキオもディミトラも驚いた顔をして男に近付いた。

「フォンザー?」

「うむ」

「その姿はどうしたんだい? 服も違ってるし……」

「それについては座って話そう」


「夜の国、ねえ」

 ディミトラは信じられないと言う口振りでフォンザーの話を聞き終えた。

「じゃあこの国は夜が来ないっての?」

「ここは物質界と精霊界の狭間にあってね。時間の流れ方が物質界とは違うんだ」

マーリンが補足を入れてもほとんどの者は首を傾げた。

「ぶ、物質界?」

「生物界とも呼ぶけど、我々生き物が住んでる層のことさ。精霊さまは我々より上の層に住んでいらして、こちらが呼びかけない限りは接触して来ない」

「ええと……」

「精霊さまは我らのすぐ近くにいらっしゃいますが、見えないところにおいでなのです」

「そうそう」

「ふ、ふーん……?」

「竜と呼ばれる方々も精霊の一つで、基本生き物たちとは別の次元、精霊界で暮らしていらっしゃる。フォンザー様が着いたのはその精霊界の夜の側だ。同じ島にはいたけど全く別の世界だよ」

「……駄目だわかんない」

「パーミラがわからないのに俺がわかるかよ」

「あたしはマーリン様のって言い方が気になるよ」

「あなた方の旅の友は確かにドラゴニーズ、竜人だったのでしょう。しかし今ここにいらっしゃる彼は竜そのもの、精霊さまですよ」

「何だって?」

フォンザーことファヴイールは取手のないカップに満たされた紅茶を啜った。

「うむ、まあそれについてだが……。俺はまず五年前に死んだが、姫によって魂が抜けた古い肉体にもう一度呼び出された。姫は竜である俺を召喚して、正確に魔法を唱えられるようになるまでご自分の魂を交換条件に世界へ差し出した。“私の魂を世界の誰にでも貸すから、パパを連れて行かないで”と」

ファヴイールは説明をしながら腕の中に収まっているハルサラーナと見つめ合った。

「魂と肉体が俺自身のものであったために二つは上手く繋がりまた息をするようになっただけで、生きているとは言い難い状態だった。まあ、柔らかく表現すると姫が俺を指人形にして遊んでいたような状態だ」

「と、とんでもないね」

「うむ。危ないことをしたことには違いない。叱るべきだが、俺を失うと思ったサラの気持ちを思うと叱りきれぬ」

「ごめんなさい……」

「これについてはもう口にしないが、姫、次からそう言う危ないことをしそうになったら私が止めますからね」

「はい……」

「分かればよろしい」

はちみつ色の髪をサラリと撫で、ファヴイールは視線を戻す。

「持ち主のいない空の肉体に精霊たる竜が降ろされたのが、フォンザー、あなたの状態だったのですね」

「うむ。そして、私は数日前今度こそ肉体を失った。そのことがきっかけで……」

「ちょ、ちょっと待った! 数日前? ついさっきの間違いだろ?」

「いや、お前たちは何日か気を失っていた。あれから少なくとも三日は経っている」

「訂正すると、五日だよー」

「そんなに!? で、でもアタシたちお腹も空いてないし喉だって……」

「ここでは時間はあってないようなもの。だからこそ精霊の子孫たるエルフィンたちはずっと若々しいままだ。マーリン殿も若く見えるが、うむ、おいくつかな?」

「歳は数えるのをやめてしまったけど、太陽が一番低くなる黄昏を五百回は数えたね」

「五百歳超えてるってこと!?」

「見た目俺とあんまり変わらねえのにか!?」

「魔法使いは老化も遅いからねえ」

「ひええ……」

「うむ。で、話を戻すが。俺はいよいよ体が使い物にならなくなった。故に姫の魂を重しとした俺を引き留める力もなくなり、世界との契約自体が消えた。それでも姫は俺を思うあまり俺の魂の一部を己の体に取り込んでしまった」

「……え?」

「姫さま、また!!」

「ああ、これこれ叱るでない」

腰を上げかけたクレリアを制しファヴイールは続ける。

「姫は生きたまま夜の国の俺にしがみついて共に来てしまったのだが、俺は竜として覚醒しこうして在るべき姿を得た。姫の強い拘束力は俺が解いたし、今後姫の魂は俺が守護する。この子はこれから呪いをかけられる心配もない」

「……そうですか」

「もうさっぱり」

「パパがほんとの竜に生まれ変わったのよってこと」

「うむ、そう言うことだ」

「……フォンザーが竜になっちまったのかい? そりゃ、おったまげるねえ」

「見目は変わったが中身は大して変わっておらん。名も変わらずに呼ぶがいい。竜としての名はおいそれと他種族には言えぬし、通り名は必要だ」

「竜としての名前って?」

「りゅうめいって言う、精霊さまとしてのお名前なの。たましいをあらわす大切な古い言葉だから、ぎしき以外で使っちゃいけないの」

「ふうん? なるほど?」

「無論サラには竜名を教えておいた。だがうっかりでも口にしてはいけないので封印をかけてある」

「わたしはパパの本当のお名前を知ってるけど言えないの」

「うむ、緊急時だけ使えるようにしておいた。ある程度難しい呪文もそろそろ覚えているし、大丈夫だ」

「うん」

「……姫さまとあなたが同時に動けなくなることは、もう?」

「ない。断言していい」

「よかった……」

クレリアは胸を撫で下ろしその緑色の瞳からポロリと涙をこぼした。

「じゃあ、何かい? あの黒魔法使いがフォンザーを殺してくれたおかげで姫さまとフォンザーの危ない状態が解けたってのかい?」

「端的に言えばそうなる」

「いいんだか悪いんだか!」

一行はやっと胸を撫で下ろした。

「ついてくって自分から言ったけど、いくつ心臓があっても足りないよこれじゃ」

「姫が旅の連れを早々増やさない気持ちもわかっただろう?」

「ああ、わかった。よーくわかった。誰かに何かあったらと思うとヒヤヒヤするもん。お姫さまは優しい子だし尚更だ」

「うむ。さて、サラはもう寝なさい。無理をして疲れたろう」

ファヴイールにそう言われると姫はムスッとする。

「パパが一緒に寝てくれないなら寝ない」

「隣にいる」

「……うん」

 姫を抱いたファヴイールはマーリンに先導してもらい寝室へと消え、しばらくして小さな寝息が聞こえて来ると一行の元へと戻って来た。

「一緒に寝るんじゃ?」

「いや、まだいくつか話が終わっていない。姫の添い寝はその後だ」

マーリンが新しくお茶を淹れてくれて、彼らは喉を潤す。

「それで?」

「うむ、姫自身の話だ。彼女の父グリシュナ皇帝にも触れるが、彼らの一族、ガイガー王朝の者はその前のフリギラ王朝とは血筋が繋がっておらん」

「えっ何それ」

「王家と言ってもいくつかの家系が混ざっている。テリドアに限らずどこの王家でもそうだ。ガイガー王朝の者は古くからテリドアの深い森に住む夜の竜……つまり俺や俺の父、その父、全ての夜の子の父君である大精霊……神竜の血を引いていたが実権を握れないまま最近まで埋もれていた一族だ」

「それって……」

「姫は遠いが俺と親戚関係にある」

「父親として慕うのも無理はないってこと?」

「うむ、それなりに血を感じているのだろう。ガイガー王朝の者たちはドラゴニーズとエルフィンを一族に招いた巫子の系譜だ。国王より神官に向いていたために国政の表に出てくることはなかった。悪い時に権力を得てしまい、貴重な血筋が危うく絶えるところだった」

「あー、お姫さまがとんでもない魔法を使うのは竜とエルフの子孫だからってこと?」

「うむ、そうだ。ガイガー王朝以外の者でここまで精霊の血が濃く受け継がれた王家は、単一民族による統治が進んだアカヒノ皇国以外にはいない」

「お、おお……」

「すごい話になってきたけど……それで?」

「姫はトーラーであり、エルフィンでもあり、ドラゴニーズでもある。エルフィン古語では“聖なる地へ導く者”と言うお名前だが、同時にドラゴニーズとしてもお名前があるはずだ」

「……あの子以外に名前が二つあるの?」

「正しくはハルサラーナと言うお名前の他言語解釈と言うことだが、この名前の古い意味についてはドラゴニーズの古語が存在している竜の谷へ赴かないときちんとした意味はわからぬ」

「アンタ竜じゃん。わかんないの?」

「覚醒したからと言って急に言語学者にはなれぬ」

「ああ、そう言うこと……。じゃあ次に目指すのは竜の谷?」

「そうなる。と言うことだ。皆、分かったな?」

「わかりました」

「うん、しばらくあてもない旅をする必要はないってことだね」

「あたしは何にもなくたって姫さまにどこまでもついて行きますよ」

「それは俺たちも一緒」

「話はまとまったかな?」

魔法使いマーリンは一行が振り向くと布を敷いたカゴを三つ差し出した。

「朝食を作らなきゃ。手伝いをお願いするよ。卵を取りに行く人、あと野菜をもらってくる人に分かれよう」

「俺は姫君のそばで待とう」

「それはもちろん。さ、動いて! 特に卵は早い者勝ちなんだ!」

人々はやれやれと腰を上げ、食材集めにそれぞれ出掛けていった。




「私が話された通りに信じるとでも?」

 フォンザーが竜として覚醒した頃、大陸のヴォナキア王国北部の夜の森では二百人ほどの兵士たちがテントを張り野営をしていた。その中で最も広く大きなテントでは、支柱に手足を縛られ左目に眼帯を付けた魔法剣士が金で縁取られた白く輝く甲冑の騎士を見上げていた。

「信じてくれなきゃ困ります。何のために嘘もつかず皆まで話したとお思いで? 黒騎士フォンザー・ベルエフェは致命傷を負ったし、いくら半竜半人でもあれで生きてるってこたない。ほぼ確実に死にましたよ」

白と金の鎧の騎士は静かに魔法剣士を見下ろす。

「マインラート……お前はとんでもなく余計なことをしてくれたな」

魔法剣士マインラートは騎士に向かってへらりと笑う。

「非常に個人的な恨みなもので。おっと、それは貴女も一緒か。ねえ? 白騎士ジークハルト」

ジークハルトと呼ばれた騎士は、低く威圧感がありながらも女性の声で答える。

「お前の処罰は黒騎士の死亡を確認した後だ」

「そりゃあ光栄なことで」

「黙れ、減らず口が」

白騎士ジークハルトは真珠色に輝くマントを翻し外へ出て行く。その彼女に似たような白い鎧を着た兵士の一人が近付き敬礼をする。

「報告します!」

「申せ」

「はっ! の報告ではこの近くの大里ガナ・スタヒシにてフォンザー・ベルエフェと特徴を同じくするドラゴニーズ、及び姫君と思しき金髪の少女の姿が確認されております。他にも三人から五人、仲間と思しき男女の姿を見たと商人の子供が証言をしました」

「そうか。では大里ガナ・スタヒシに第三小隊を向かわせろ。残りは私と共にこのまま離島シルベルフを目指す」

「イエス、サー!」

小隊長の一人はまた敬礼をすると中隊長ジークハルトの命を伝えるべく第三小隊がいるテントへと駆けていった。白騎士ジークハルトは夜空を見上げ、ここにはいないかつての同僚、黒騎士フォンザー・ベルエフェを睨んだ。

「黒騎士……死んでくれるなよ。貴様とは決着がついておらん」

彼女は剣帯に差した己の得物を握りしめた。そして彼女の背には、棒鍔クウィロンがUのように曲がった不思議な輝きを持つ剣が挿さっている。

「ハルサラーナ様……必ずお迎えに上がります。貴女と貴女の父君、グリシュナ陛下のために」

 そしてテントの中では魔法剣士マインラートが口元から笑みを消していた。

(竜の呪いで相手の生死がわかりゃあ確実なのになぁ……。あんまり相手が強いとなまじ呪いだけ残るから厄介なんだよな)

「イテッ……あつつ……」

左目の痛みに顔を歪めながら、マインラートは凝り固まった肩をほぐすためグッと背筋を伸ばした。

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