4.黒骨の騎士と豊穣の祭り
「幾らなんでも情報が集まらなさすぎだよ。何年前に失くしたんだ!?」
夕暮れ時、珍しく酒場でアレッキオが声を張り上げる。フォンザーは彼の愚痴に付き合いながら懐かしい黒ビールを口にする。
「精霊にとって五十年程度なら最近だからな。あの泉の乙女ももう何年も泣いていたのかもしれん」
「かーっ、これだから精霊は! そこの麗しいお嬢さん! ビールお代わり!」
鼻の頭にそばかすがある赤毛の看板娘は照れくさそうにしつつも気を良くしてアレッキオに次々とビールを持ってくる。
「さすがに飲み過ぎだ」
「何杯飲んだって足りるかってんだ」
「おい、いい加減にしとけ」
「うおえええ……」
「アレッキオ、だいじょうぶ……?」
「だからやめておけと言ったのに……」
翌朝、アレッキオは酷い二日酔いにより便所に縋り付いていた。
「嘆かわしい……」
「酒で失敗するの何度目だい、この男は」
「ゔおぉえ……。ぜえ、はあ」
「酔い止めを飲ませておけ。俺はサラーナ様と先に行くぞ」
「はい。姫さま、フォンザーと離れぬようになさってくださいね」
「はーい!」
旅の一行はヴォナキア王国の首都サンバリを避けて山間の裏街道を使い、寂れた宿場町と洞窟に泊まりながらヴォナキアの北へ向かった。
従者たちは治安の悪い宿場町に幼い姫を連れて泊まるのは毎度のことながら緊張したが、何とか酷い争いには巻き込まれずに森を抜け、隣村の小高い丘から見えていた北部の大きな里ガナ・スタヒシに辿り着いた。
「お山いっぱい、森もいっぱい。リスと小鳥とウサギもいっぱい」
いつものようにフォンザーの胸の前にくくられたハルサラーナはウサギのぬいぐるみを抱いてご機嫌で、歌にも満たないリズムを口ずさんでいる。フォンザーは両腕をいつでも使えるようにしていたが、人がのんびりと行き交う長閑な里の景色を目で楽しんでいた。商人はロバに荷車を引かせながら、農奴は手押し車にたくさんの麦を積んで。二人の騎士がそれぞれ立派な馬に跨ってはいても、急いでいないしフォンザーたちには目もくれない。この里ではドラゴニーズは珍しくないのだろう。
蝶々の姿をした花の妖精たちがハルサラーナの周りを飛び、姫が小さな花のつぼみのような指を立てると妖精の一匹が羽を休める。
「可愛いお隣さん」
姫に褒められると妖精は彼女の鼻頭に口付け、去っていった。
「
「では降ろします。離れないでくださいね」
「はーい」
フォンザーが膝をつきおんぶ紐を外すと五歳の娘は、んーっと伸びをした。
「パードレお手手繋いでー」
「はい」
ハルサラーナは細い左腕でウサギを抱き、右手で養父と手を繋いだ。その姿を見た農奴らしき老婦人は家の前から二人にニッコリと微笑む。
「可愛いねえ。お父さんとお出掛けかい?」
「そうよ!」
「あらあら、本当に可愛い子だこと。里の真ん中なら屋台が出てるよ。飴も売ってるから買ってもらいなさい」
「パードレ、飴だって!」
「……食事の前だし一つだけな」
「はーい」
婦人の言う通り里の中央は道が広く屋台が立ち並び、ハルサラーナは飴屋に自分と従者たちの分五つを求めた。飴はただ砂糖を固めたものではなく粉糖に包まれていて不思議な弾力があり、ハルサラーナは一個頬張ると夢中になってしまった。
「この飴もちもちしてるよ! パードレ!」
「ほう?」
姫を左腕に抱いたフォンザーも一つ口にする。飴はもっちりとしていてすぐ口の中でとろけ、あっという間に消えてしまった。
「……これは二つ三つ続けて食べたくなるな」
「もう一個食べたい!」
「じゃあもう一つだけ」
「やったー!」
ハルサラーナは買ってもらったもっちり飴を真剣な眼差しで千切ると、養父の口元に差し出した。
「半分こ」
「ご馳走様。甘い物を食べたからすぐキリキリの実を噛みましょうね」
「はーい」
「キリキリの実?」
飴屋のトーラーの男は不思議そうに二人に聞くので、フォンザーは腰に巻き付けたポーチの中から茶色い皮に包まれた木の実を男に差し出した。
「これだ。噛むと鼻にツンと来るが、歯磨き粉の代わりになる」
「歯磨き粉? 領主さまが口にするようなやつかい? へえ」
飴屋は興味本位で木の実をかじった。思った以上に辛かったのか、男は地面に顔を向けて咳き込んでしまった。
「なるほど、こりゃすごい!」
「みんな最初はエヘンってするのよ」
「うむ。さ、サラーナも」
「はぁい」
フォンザーはキリキリの実を姫と自分の口に入れた。
「……竜人としてはこのニオイが毎回辛くて」
「よく噛まないと、虫歯になっちゃうわよ!」
「はい」
娘にたしなめられフォンザーは笑った。飴屋の男は硬貨を取り出し何を思ったのかフォンザーに差し出した。
「面白い食材だから幾つかくれよ。払うから」
「え? うーん……どうします?」
「また森で探せばいいもの。あげるわ」
「では、そのもっちり飴と交換で」
「ああ、いいよ!」
飴屋からもっちり飴をたっぷりもらい、小袋半分ほどのキリキリの実と交換して二人は宿を目指す。
裏街道の宿場町とは雰囲気が変わり、里の宿は明るく開放的だった。たくさんのロウソクランプに照らされたオレンジ色の室内。壁は石材ではなく木を編んで組んでいて、ニスを塗られているのかてらてらと光っている。玄関には敷物も置かれ、街レベルの宿のもてなしにフォンザーは目を丸くした。
「辺境の村にしては珍しい……」
「パードレ、抱っこおろして」
「駄目です。お部屋へ行ってから」
「もっちり食べたーい」
「危ないから仰け反らない」
「ぷぅ!」
まんまるの顔をもっとまんまるにした姫をあやしつつ黒骨の騎士は受付へ向かった。
「この後三人来るので広い部屋を一つ」
「あらぁごめんなさい。そんなに大きなお部屋は空いてないのよ。お祭りがあるから街からのお客様が多くてね。二人部屋と四人部屋になってしまうのだけど、どうかしら?」
「……仕方ない。では」
「やだ! 大きい部屋にして!」
「サラ」
「やーだーいつもパパとバラバラなの、やだっ」
「ワガママを言わないでください」
「やだー!」
「困ったわねえ」
「……申し訳ない。二人部屋と四人部屋でよいのでお願い出来ますか?」
「ええ、でも……」
「サラは私と二人部屋に」
「ほんと!?」
ハルサラーナは養父の首に抱きついた。娘の背を叩いてあやすと、フォンザーは部屋の鍵を受け取る。
「鍵付きか」
「ええ。昔は表街道でしたから、ここらで一番大きな宿街だったんですよ。でも山の向こうに大きな街道が敷かれてからはこっちはめっきりでねえ」
「なるほど」
部屋に着いたフォンザーは荷物を下ろし、姫のはちみつ色の髪を櫛で梳かす。砂埃を落とすと騎士はだいぶ慣れてきた髪結を始め、肩まである金糸のような髪を一国の姫として恥ずかしくないよう丁寧に編み上げた。
そしてゆっくり寛ごうとした時、ドカドカと品のない足音が迫ってきて二人部屋の扉が乱暴に開けられた。
「ちょっとあんた! 重い荷物は持ってって言っ……」
胸より腹周りの方が大きい婦人は部屋の中にいた他人に驚き口を開け、黒ツノの大男と花のように美しい子供を見比べてしまった。
「人違い? あらぁ、でもお部屋は埋まってしまったんですよ」
大きな息子を二人連れた恰幅のいい栗毛の婦人と、はちみつ姫とその騎士は受付へ事情を説明するとどうにも「後から三人組が来る」と「既に二人組の親子が来ているはず」と言う話から別々の家族を隣にしてしまったようだった。
「じゃあうちの亭主はどこ行ったんだい!?」
婦人はそばかす付きの鼻面にすきっ歯で受付に言い放つ。
「さ、さあ……私どもに聞かれましても」
「連れが入れないのであればこちらも困ってしまうのだが」
「そう申されましても、先程もお伝えした通り明日からの祭りのためお客様も多く、宿は他も埋まっています。今夜はこちらでお泊まりいただいて後々合流して頂くしか……」
「なんてこったい!」
悪態をつきながら婦人は麻のハンカチでプンと鼻をかんだ。騎士は嫌そうに姫を婦人から離して抱き上げ、思案する。
「……どうします?」
「うーん、どうしよう?」
フォンザーとハルサラーナは共に首を傾げたもののいい案は思い浮かばず、肩を竦める。
「こちらは連れが来てから考えます」
「申し訳ございません」
「全くあのバカ亭主は何してんだろうね! ザヤ、ダナ! 部屋へお戻り! 荷物を見張ってなさい!」
「へいへい」
「へーい」
十五、六といった様子の息子たちは母親に軽い返事をし、頭を引っ叩かれてようやく部屋へすごすごと戻った。ふくよかな婦人はプンプンしながら宿を出て行き、近くの宿へ向かったようだった。
「全くあんたは、自分で一番大きな宿って言ったくせに!」
「いでででで悪かったよ悪かったから!」
ふくよかなオセ婦人は亭主と合流出来たらしく、隣の四人部屋に無理やり三人の子供と夫婦の五人で泊まる様子。部屋に入った後も喧しい夫妻に飽き飽きし、フォンザーは荷物をまとめると姫を片腕に鍵をかけ、アレッキオたちが辿り着くまで里の散策をしようと部屋を後にした。
明日から祭りだと聞いた姫と騎士はまず何が祀られているのか調べることにした。里の中はさまざまな旗や吊るし飾りが下げられ、色も鮮やかだ。
「ルサールカ祭り?」
「そうだよ。ここは昔からルサールカ様をお祀りしているからね」
ルサールカと言うのは水竜ヴォジャノーイの奥方で、湿地や湿った森の川などに住むと言われている水霊だ。彼女は古くから豊穣神として人と付き合ってきたが、精霊王プレグライアを祀る一神教がヴォナキアの主流になってからは信仰する村も減ってきていた。
「珍しいな。この国は一神教のはずだが」
「まあ、国としてはそうだろうけどさ。昔から土地を見守ってくださった精霊さまを無下には出来ないよ。もちろん、精霊王も信仰しているよ?」
「ふむ……」
「お祀りしているのがルサールカ様だから畑がいっぱいあるのね」
「そうだよ。よく知ってるねえ、お嬢ちゃん」
「勉強したの」
「ほう!」
村人と姫と騎士が話しているのを離れた位置から見ている者がいる。その二人はふくよかな主婦オセの息子、ザヤとダナだった。ザヤは栗毛、ダナは赤茶髪で母親から受け継いだそばかすの鼻面で騎士を見ていた。
「剣二本の戦士だぜ、すげー」
「どっかで打ち合いしてくんねーかなー。この村にも騎士いんだろ?」
「な!」
商人の息子たちは退屈な祭りに興味など全くなかった。毎年親の新婚旅行先の田舎に連れて行かれるなど、十六を迎える少年たちには退屈でしょうがなかった。
「でもよ、あれ親子にしては似てねえよな」
「黒髪と金髪じゃなあ……。案外攫ってたりして」
「おっかねえ〜!」
兄弟は好き勝手なことを言いながら姫と騎士の後をつけた。
しばらく里を練り歩き、フォンザーが花壇の縁に腰掛けハルサラーナともっちり飴の続きを食べていると、鮮やかな青い小鳥が姫の手に停まる。
「姫さま」
小鳥はクレリアの声で話した。隣村では手鏡を使い二人を見ているクレリアがいる。
「口の周りが真っ白ですね。何をお食べに?」
「もっちり飴よ!」
「ふむ? 飴ですか?」
「飴なのにもちもちしてるの。美味しいわ!」
「それはようございました」
「アレッキオはどう?」
「まだ不安定なのでしばらくかかりそうです。もしかしたら一日到着がズレてしまうかも……」
「あいつめ……」
「そちらはいかがですか?」
「うん。あのね、里はルサールカ様のお祭りをするんだって。あしたから」
「それはそれは。精霊さまに出会えるかも知れません。ようございました。では祭りには間に合うよう急ぎます」
「うむ。サラーナ様のことは心配するな」
「無論、あなたの腕前なら心配はしておりません。では姫さま、伝書鳥の呪具はお預けします。何かあれば連絡を」
「うん、わかった!」
「ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
話を終えると鳥の頭蓋骨を模した青い水晶がハルサラーナの小さな手に転がる。姫は小さな水晶を首から下げた小物入れにしまった。
「……みんなの分のもっちり飴どうしよう?」
「到着しなかったら食べてしまって、明日買い直しましょう」
「全部食べていい!?」
「今は駄目です。食事も取ってください」
「ぷー!」
「さあお口を拭いて。キリキリの実を噛んだら昼食まで胃を空けますよ」
「もっと食べたい……」
「駄目です。パンがお腹に入らなくなりますよ。美味しいスープを飲みたくても満腹では入りませんよ」
「……うん」
「いい子ですね、サラーナ様」
騎士はまた荷物をまとめてウサギを抱く姫君を腕に移動していった。栗毛のザヤと赤茶髪のダナは花壇の影から顔を出し、興奮した顔でお互いを見る。
「あの小さいのを姫って言ったぞ! 魔法使いが!」
「でかい方が小さい方に敬語使ってた……」
「騎士だよ! きっと騎士だ!」
「すげえ! お伽話みたいだ!」
興奮した少年たちはまた姫と騎士について行く。決して彼らの方は見なかったが、騎士は背中で少年たちの行動を感じ取っていた。
傭兵ギルドの看板を見かけたフォンザーは姫を抱いたまま酒場に入り、まず掲示板に何が並べられているのか目を通した。
(薬草摘みの手伝い、土木屋と一緒に丸太運び……? ふむ、あまり血生臭いものはないようだが)
「おやぁ可愛らしい」
その声で振り向くとギルドマスターらしき商人風の中年男が姫を見上げていた。
「仕事なら娘さんを預かろうか?」
「いや、目を通していただけだ」
「お父さんと一緒に旅かい? お嬢ちゃん」
「そうよ。パパは立派な剣士なの」
「そうだねえ。お父さんはとっても強そうだ」
フォンザーが酒場を見渡すと傭兵の姿は二人だけ。それも若いトーラーの男女で酒を飲みながら摘みを手にしている。仕事の休憩と言うより時間を潰しているだけに見えた。
「……あまり剣士がいないな」
「丸太運びは住人で出来るだろって、よそからは相手にされないのさ。ここは昔からそうだよ。なんせ水霊ルサールカ様がいるからねえ……加護もあるし、傭兵らしい仕事はないんだ」
「そうか」
「オヤジ! お代わり!」
「へい! あたしもすっかり酒屋のオヤジでね。失礼」
ギルドマスターこと酒場の主人はそそくさとカウンターへ戻る。フォンザーは未だ尾けて来ていたザヤとダナの視線を受けつつ、掲示板にかけられた木札から薬草摘みの仕事を取ってカウンターへ向かった。傭兵二人にビールを差し出したマスターは木札を持ってきたフォンザーに目を丸くした。
「受けてくれるのかい!?」
「仕事は仕事だ。娘と一緒に向かうが構わないな?」
「ええ、ええ、もちろん! じゃあ半券を。なくさないようにね」
フォンザーは自筆入りの半券を受け取ると、懐のポケットにしっかりしまった。
「ふん、子連れで仕事とか舐めてんのか?」
ビールを呷りながら茶髪の男の方がそんな風に言うものだから、フォンザーは彼を竜の瞳で睨んだ。男は本能的に鳥肌を立て、さっと剣を抜いた。
「やんのか!?」
「やめな!」
黒髪の女の方が立ち上がり、背後にいたドラゴニーズに振り向く。女傭兵はキリッと吊り上がった髪と揃いの黒い眉、緑の瞳をした美しく引き締まった顔立ちだった。唇は薔薇のように赤い。
「相棒の態度を許しておくれ」
「……お前たちは仕事はせんのか」
「してるよ。ただ、獣を追い払う仕事すらなくて体がなまってイライラしてるのさ。相棒はね」
男の方はバツが悪そうに視線を逸らすと剣をしまって木製のジョッキに口を付ける。
「なら丸太運びでもしろ」
「はっ! アタシとおんなじこと言われてるよ。言っただろ? 丸太運びついでに鍛錬になるって」
「うるせえ! せめてイノシシでも狩らせろっての!」
「この通りでね。それに、それじゃマタギの仕事だろうっての」
ハルサラーナは喋っている女傭兵の顔に刻まれた真新しい切り傷をじっと見ていた。彼女は腰のポーチから木製のクリームケースを取り出し、養父の襟を引く。
「ん?」
「レディのお顔に傷があるの」
「ん、ああ。本当だ」
「レディ。ねえ、なんこうを塗ってあげる」
「レディ!? アタシのこと!?」
女傭兵は豪快に笑った。
「何年ぶりだろう! ナンパ以外でそんな風に呼ばれたの! 軟膏なんて随分いい物持ってるじゃないか。でもそう言う高い物は見せびらかすんじゃないよ。大事にしまっておきな、お嬢さん」
女傭兵はそう言って姫にニンマリとして見せたが、ハルサラーナはクリームケースを開いて軟膏を差し出す。
「塗っていい?」
女傭兵は目を丸くして、傷のある右頬を差し出した。紅葉のような小さな手が軟膏を擦り込んでいくと、女傭兵はくすぐったそうに笑った。
「ありがとうお嬢さん」
「いいのよ。レディの顔に傷があるのはよくないもの」
「レディじゃなくて、パーミラだよ。相棒はマテオ」
「サラーナよ。パパはフォンザーって言うの」
「よろしくサラーナお嬢さん。フォンザーと薬草摘みに行くのかい?」
「行くわ。わたし、先生に習って薬草はいっぱい覚えたの」
「そう」
傭兵パーミラはニッコリと微笑んだ。それじゃあ、と酒場を出て行く二人をパーミラは笑顔で、マテオはつまらなさそうに見送った。
フォンザーが姫と酒場から出てくるとザヤとダナはおらず、騎士は思わず辺りを見回したが少年たちは母によって耳を引き千切られんばかりに引っ張られ宿へ戻った後だった。
「助かるよ〜。腰が痛くてねえ」
大里ガナ・スタヒシの唯一の薬屋はテラムンの老女だった。森でハルサラーナとフォンザーがたくさん手伝いをし薬草をたっぷり積み込むと、彼女はかまどを組み立てハーブとキノコのスープに手製のリンゴパンを加えて二人に振る舞ってくれた。
三人でそうして仕事を終え里へ戻った。フォンザーは宿へ戻ると隣のオセ親子のために部屋を空け、閑古鳥が鳴くギルドの宿屋へ移動した。
「こっちに泊まるのかい? 嬉しいが、向こうの宿には負けるよ?」
「この後三人合流するんだ。部屋数がある方がいい」
「そう言うことなら五人でも十人でも泊まれるよ。好きな部屋番号をどうぞ。三階がいっとう広い」
「では三階を二部屋」
「はいよ」
日がとっぷり暮れ、ハルサラーナの湯浴みを手伝ったフォンザーは傭兵パーミラに姫を預け自分も湯を浴びた。フォンザーが丸太のような二の腕を出した姿で一階の酒場に戻ってくると、机でハルサラーナの勉強を見守っていたパーミラは思わずと言った感じに笑い出す。
「相棒見なよこの太い腕を! さすがドラゴニーズだ!」
「フン、いくら腕が太くたって剣の腕には関係ねえ」
「その通りだ。図体だけデカくてもおつむが残念なら大した立ち回りは出来ん」
「アンタすごいね、フォンザー! どこの出身なんだい!?」
「東の方だ」
「いいねえ。アタシらも東で修行してこようか」
すっかりパーミラに気に入られたフォンザーが気に食わないのかマテオは不服そうに他のテーブルでビールを呷る。ハルサラーナは手帳を広げ、目の前に置かれた三種類の薬草を熱心にスケッチしていた。
「勉強を?」
「そう。パーミラがね、どくにも薬にもなる草よって教えてくれたの」
「ほう」
「サラーナは魔法使いになるんだって? この歳で薬草を何種類も覚えていてすごいよ。そのうち毒草も教わるだろうけど、傭兵が使う物とはまた別だろうしどうかなぁって思って。この三つは特によく使うんだ。生で飲むと腹下しになるのと、潰して飲むと高熱を出すもの。それから腹を壊している時に飲むと便通がよくなるやつ。毒は毒だけど、腹に虫がいて外へ出したい時や熱を上げて体に入った菌をやっつけるには丁度いい。だろ?」
「うん! パーミラはとっても物知りなの!」
「そうか、礼を言う」
「あはは、律儀だねアンタも娘も。やっぱり親子だから似るのかね」
「……パパとわたしはほんとの親子じゃないの」
「あら、そう」
「でもパパはパパよ。わたしのお父さんなの」
「見てればわかるよ」
パーミラに微笑むとハルサラーナは再びスケッチに集中する。パーミラはフォンザーの顔を見た。フォンザーはビールを呷ってから首にかけたタオルで口元を拭く。
「フォンザーって珍しい名前だけど、もしかしてアンタ……」
パーミラはその名と、ドラゴニーズの特徴からフォンザーがテリドアからの逃亡兵だと悟ったようだ。
(情報をよく耳に入れている。それに薬草の知識も……。ただの傭兵上がりではなさそうだな)
「その先は言うな。サラのスケッチどころではなくなる」
「ああ、そうだね」
二人は熱心にスケッチをする小さな後ろ頭と手を見つめた。
「絵も上手だねえサラーナ」
「先生にも褒められたの!」
「そう」
翌朝、ルサールカ祭のため本格的に里の人々が働き出し傭兵たちは積み上げた資材を見張るよう依頼を受けた。ハルサラーナ姫を肩車しながら立つフォンザーを傭兵マテオは嫌そうに見上げる。
「……落とすなよ」
「サラは賢いから転げ落ちたりなどしない」
「そうよ、お利口さんだもの」
「自分で言ってら」
フォンザーの肩に乗っていたハルサラーナは「あ!」と可愛らしい声を上げて大通りに向かって手を振った。
「クレリアー! アレッキオー!」
「ああ、いたいた」
旅の一行が集結するとフォンザーは姫をすぐにクレリアに預けた。
「傭兵ギルドの方が空いていたから二部屋取っておいた。サラを連れて行けばマスターは分かってくれる。荷を置いて寛いでこい」
「わかりました」
「クレリア、もっちり飴買いに行こう!」
「ではサラ様に里を案内して頂きましょう」
「体調はどうだ」
「クレリアのお茶で落ち着いたよ。お騒がせしました……」
「全くだ」
「あたしらがしっかり叱っておいたよ。反省はそこそこかね」
「いざと言う時二日酔いでは困るぞアレッキオ」
「へい、すいません」
「パードレまた後でね」
「うむ」
白魔法使いたちの背を見送ると、パーミラはフォンザーに近寄る。
「あの魔法使いがサラのお師匠?」
「そうだ」
「ふうん……美人だね」
「見目はな」
「中身は?」
「人間味が薄い」
「ああ、森で育った部類ね」
「やけに詳しいなパーミラ。薬草もよく知っているようだが」
パーミラはフッと笑い、元の立ち位置に戻って行った。マテオは二人のやり取りを不機嫌そうに見ていて、フォンザーに「おい」と声をかけ注意を引くと唐突に剣を抜いた。
「暇だから付き合え」
「仕事中だ」
マテオはヒョッとフェイントをかける。が、フォンザーは動じない。
「仕事をしろ」
「つまんねーだろ丸太見張ったって」
「仕事は仕事だ」
マテオはもう一度フェイントをかけ、イラついたフォンザーは黄金の瞳を煌めかせた。
「ッ……!」
体の動きを奪われたマテオの腕がジワリジワリと動く。背後で起きてることに気付きパーミラは一度柄を握ったが、マテオは剣を納めると解放された。フォンザーは視線を逸らすと建材を使いたいと言う農奴に呼ばれ、その場から離れた。
膝をついたマテオにパーミラは駆け寄り、相棒の背をさする。
「馬鹿! 何か余計なこと言ったね?」
「暇だから構えって言っただけだ!」
「竜人を怒らせるんじゃないよ。その気になればアタシらなんて一瞬で殺されるよ!」
二人は小声で話し、離れた位置に立つフォンザーの背を見た。
「とにかく竜人は相手にするんじゃない。力で負けるし、瞳の使い方を知ってる奴はなおさら駄目だ。一睨みで殺される」
「くそ……」
「静かに仕事してな。あとあんまり近付くな」
「……わかったよ」
「パードレ、ご飯よー」
小鳥のように可愛らしい声と共にハルサラーナは資材を見張るフォンザーの元へ従者と共にやって来た。敷物を広げ料理を広げていくと見た目はピクニックも同然だ。
「うわ美味そう」
「馬鹿、見るんじゃないよ。人のメシだよ」
マテオを嗜めるパーミラだが、彼女も唾を飲み込んで我慢をした。二人は旅費が尽きて大里ガナ・スタヒシから動けずにいて、この里で少しずつ路銀を貯めている最中であった。今の二人にビールやエールは二束三文で買えても、料理どころかふすま入りの黒パンすら高価だった。おまけにギルドマスターに金がないと悟られたくないために、二人は「俺たちはとにかく酒が好きなんだ」と嘘をついていた。
「今晩まで待てば祭の残り物が回ってくる。それまで我慢しな」
「そ、そうは言ったって美味そうなモンは美味そう……」
「パーミラとマテオもいらっしゃい」
小さな女の子にまるで母のように呼びかけられ、傭兵二人は目を丸くして顔を見合わせた。不思議と逆らう気も起きず二人は大人しく敷物に腰を下ろす。
ハルサラーナはカゴを持って一人一人に木の実とベリーの白パンを差し出して歩く。
(し、白パンだ!!)
(何でさも当然のように白パンが出てくるのさ!?)
従者たちがパンを一つずつ手に取るとパーミラとマテオの前にもカゴが差し出される。
「どうぞ」
「ありがとう……」
「どうぞ」
「ど、どうも」
全体にパンが行き渡るとハルサラーナはクレリアと視線を交わし手の平を組み合わせる。
「お祈りを」
姫がそう言うと残りの従者たちも手を合わせる。傭兵たちは目を皿のようにして周りを見渡した。フォンザーに肘で突かれ、パーミラたちはやっと手を合わせた。
「精霊の皆々様によって、神の息吹によって、わたしたちは今日も仕事とパンを与えられました。豊穣をつかさどる水霊ルサールカのもと、今日の命を正しく使い、命を無駄にせず、命をいただきます。感謝を」
「感謝を」
「か、感謝を」
その姿がまるで聖母のようであったハルサラーナはお祈りが終わると一番に木の実ジャムをすくってパンに山盛りにした。傭兵二人は直前までの様子と打って変わって子供らしくなった姫に困惑する。
「サラーナは今日どれを手伝ったんだ?」
「お昼はね、パンを捏ねてスープのニンジンを切ったの!」
「これか」
ニンジンをヒョイと口に入れるとフォンザーはうんと頷く。
「美味い」
「えへへー」
久しぶりのまともな食事にがっつく相棒を尻目に、パーミラは改めて旅の一行を観察した。手の皮の厚さから弦を何年も触って来たであろう弓士。腰に小道具をぶら下げ手先が器用そうなテラムンの中年女性。旅姿ながら全身真っ白の白魔法使い、それもエルフィンっぽい容姿。テリドアからの逃亡兵黒騎士フォンザーに、小さなはちみつ色の髪の女の子。見れば見るほど奇妙な集団だった。そして一番奇妙なのは母のように振る舞い、白パンの作り方と数種類の薬草を覚え、大人たちを引き連れているサラーナだった。
(弓士と小人だけなら曲芸師かもって思うけど、女の子と元兵士に白魔法使いの組み合わせは変だ。何だろうこいつら……)
「パーミラ?」
ハルサラーナに呼びかけられパーミラはハッとした。
「パン、美味しくない?」
「えっ。い、いや人生で一番美味いよ。本当に」
「よかった!」
サラーナは満開の花のように笑った。彼女はパンが四つ余ったのを見るとまず力仕事をする己の騎士と傭兵たちに差し出した。
「どうぞ」
「えっ」
「いいのか!?」
「お仕事残ってるでしょ? お腹が空いたら食べて」
「やりぃ!」
「……頂いていいなら頂くよ」
「うん! パードレもどうぞ」
「うむ、有り難く頂こう」
三人は一つずつ、残りの一つはクレリアとディミトラが辞退したため若いアレッキオとハルサラーナが分け合った。
昼過ぎ、ようやく祭らしく屋台の周りに人が集まり出す。大里の奥、領主の邸宅の前は広場として開放され曲芸師たちが炎を吹いている。ハルサラーナはフォンザー以外の従者と曲芸を見に出掛けて行き、元帝国兵はパーミラたちと引き続き資材を見張った。
「酒が飲みてえ……」
二時間も経たないうちにマテオがぼやく。
「さっきの白い甘いパンが食いてえ……。ふわふわのー、パン〜……」
フォンザーは変わらず立っているし、相棒のパーミラも真面目に仕事を続けている。
「あーっ、無理! 俺飲み行くわ!」
「マテオ!」
「無理! 腹減った! 一杯引っ掛けてくる!」
「マテオ! ちょっと!」
パーミラに怒られる前にマテオは走り出し、酒場の方へ遠ざかっていった。
「全く……」
「……奇妙な連れだな」
「アンタに言われたくないね! 元兵士、白魔法使い、後の二人は曲芸師! おまけにパンが作れるちっちゃい子! 何なんだいアンタたち?」
フォンザーはパーミラの問いには答えず自分の疑問を口にする。
「恋人でもなさそうだし夫婦でもなさそうなのに歳は近い。かと言って顔も似ておらず兄弟でもなさそうだ。お前たちこそ何だ?」
「アタシとマテオはただの幼馴染さ。悪ガキ仲間だよ」
「悪ガキ? 奴はともかくお前の育ちは悪くなさそうだが」
パーミラはフォンザーの背をチラッと振り返る。
「薬草に詳しい上、顔立ちも上品だ。森で育った魔法使いはエルフィンに似て人間味が薄いことも知っている。少なくとも村娘ではない。大方、商人の娘だろう。薬問屋か何かだな」
「へえ、だったら何?」
「何も。そんな娘が傭兵稼業とは家でも燃えたのかと思ってな」
「……身内はピンピンしてるよ。ただの家出さ」
「家出、ね」
「随分気にするじゃないか。傭兵同士ってのはプライベートは聞かないもんじゃないのかい!?」
「普段ならそうだが、こちらが逃亡兵と知っていてなお通報にも行かぬ、まるで気付いていない相方の男には情報を与えぬと賢い振る舞いをするのでな。腕っぷしだけの傭兵とは出身が違うなと言うだけだ」
「それを言うなら逃亡兵とは言え落ちぶれてない、まるであの子の騎士みたいに振る舞うアンタこそ……」
自分の口から出た言葉でパーミラは気付いて、ニヤリと口の端を上げ何度か頷いた。
「なるほど、貴族の娘とその従者たち御一行か。道理で得物がチグハグな訳だよ。ああ、子供が主人なのか。だからパンの作り方も知ってるし祈りの言葉も彼女が先導したんだな?」
フォンザーは答えなかったが、肯定したも同然だった。
「アンタはただの逃亡兵じゃなくテリドアのどっかのお姫様を逃したんだな? あの子は王女だ。ヴォナキアもカリブランも必死に帝国の王族を探して片っ端から首を刎ねてる。そいつらから逃げてるんだね」
「そうと知ってどうする?」
「どうも? この里には騎士がうろついてるけどあいつらは里出身で田舎もんだから政治には疎い。領主も戦争には行かない一族だし平和ボケしてる。アタシとマテオが中央まで知らせに行けば憲兵にチクって金がもらえるけどアンタと戦って勝てる見込みはない。報酬は山のようでもリスクが高すぎる。つまり何もしないのが一番だ。それと、」
パーミラは懐にしまっていた木の実とベリーのパンを齧った。
「お姫さまの作ったパンはふわふわで美味い」
黄昏時、傭兵たちは里の騎士と資材見張りを替わり自由の身となった。フォンザーとパーミラがギルドへ戻ると、ハルサラーナたちは酔い潰れたマテオを前にテーブルを囲んでいた。
「お帰りなさいパードレ!」
「ただいま戻りました」
「アタシの相棒は一体何杯飲んだんだい?」
「五杯?」
「この握りしめたジョッキで六杯目かな」
フォンザーが席に着くと頼んでもいない腸詰肉が振舞われる。
「お祭りの時はお肉にお金払わなくていいんだって」
「領主の心配りだそうです。あと、倉庫の整理も兼ねているとか」
「気前がいいな。好かれている訳だ」
フォンザーはビールを呷ると腸詰肉をパリッと齧った。
「美味い」
「わたしも食べたわ! 美味しかった!」
「町じゃ肉高いもんなー嬉しいよ」
パーミラは立ったまま一行のやり取りを見て、椅子を近くから引き寄せるとマテオの隣に尻を押し込めた。
「相談なんだけど」
「なあに?」
「アタシとマテオもお姫さまの旅に同行させてくれない?」
「え?」
クレリアはフォンザーを見上げ、黒骨の騎士は肩を竦めた。
「なまじ頭が良くてな。勘付かれた」
パーミラはにっこりして椅子にゆったり寄りかかる。
「報酬は当面の食事。金はあったら欲しいけど無理強いはしない。真夜中の警備と軽い荷運びなら手伝う」
「……我々を売り飛ばせば高い報酬が出るのにわざわざそれを蹴る、と」
「勝ち目ないもん!」
パーミラは小娘のように笑った。
「竜人だよ? しかも髪とツノが黒! 闇竜なんて一番恐ろしい。睨まれたら心臓が止まるのにどうやって戦えって? アタシはね、マテオと生き延びるのが目的なんだ。間違っても死ににはいかないよ」
一行をニンマリ眺めてからパーミラはハルサラーナの青い青い瞳を覗いた。
「どうかなお姫さま? 傭兵二人、旅のお供に」
「だめ」
ハルサラーナが快諾するものと思っていたパーミラは心底驚いて目を皿のようにした。姫は女傭兵を真っ直ぐ見る。彼女があまりに微動だにしないためにパーミラは目を逸らせなかった。
「フォンザーも、クレリアも、ディミトラもアレッキオもみんなみんな強いの。強いけど、みんなよく怪我をしてる。だから四人の誰か、誰でもいいけど、勝てるか同じくらい強くないとだめ。死んじゃうから」
姫は誤魔化さなかった。まだこんなに小さいのに、姫は自分の旅の過酷さをよく分かっていた。
「パンが欲しいならもっと作ってあげる。でも、旅はだめ」
「……言ってくれるね」
パーミラは酷く楽しそうに口元を歪めた。
「そう言うことなら勝負しようじゃないの」
次の朝。祭の曲芸は飛び入り参加可能だったため、まずアレッキオが得意の弓矢で的を狙う。パーミラとマテオも参加し、祭の盛り上げも兼ねて彼らは武芸対決を始めた。
マテオの腕はからっきし。パーミラは弓も扱えたが命中率はそこそこ。対してアレッキオは的の中心を一度狙ったら全く外さず、まるで矢が的に吸い込まれるように次々と撃ち込んでいった。さらに祭だからとアレッキオは股の下から狙ったり目隠しをして矢を放ち、それすらも的の真ん中から外さなかった。
「バケモンかい……?」
次にディミトラも投げナイフで的を狙った。彼女はもちろん元サーカス団員の腕を遺憾なく発揮し、生卵もリンゴもナイフで正確に真ん中を撃ち抜く。パーミラたちは投げナイフ自体が初めてでそもそも当たらず、勝負にすらならない。
姫がパーミラたちに首を縦に振らないまま午後となり、フォンザーは里の土木屋と取っ組み合いの肉体勝負。
「行くぞ兄弟!」
「来い! 丸太みたいに持ち上げてやるぜ!」
里の土木屋は土竜の一族で代々力自慢だったが、元兵士のフォンザーは彼らを圧倒し、しまいには土木屋を担いで藁山に投げ飛ばしてしまった。会場は大盛り上がり。
その後パーミラも含め里の住人たちが複数で土木屋やフォンザーに挑むも、トーラーたちは軽々投げ飛ばされてその日は終わった。
姫が大里に着いて三日目の夜、傭兵二人は体力を使い果たし目の前の肉料理にすら手を付けずただただ落ち込んでいた。
「ちったぁ自信あったのにさぁ……」
「完敗かよ……」
「わたしのしもべは強いのよ」
「そうだね……強すぎるわ。その強さで旅してんのかい。そりゃ王国兵だって捕まえられないよ……」
「まあ、軍隊と真正面から戦うことはないがな」
「魔法は全くやったことないし、勝負以前の問題だ……」
「これで旅の同行は諦めるな?」
「……〜〜あーっ! いや! 悔しい!」
パーミラはテーブルをバンと叩いた。
「こっちだって傭兵十年やってんだよ! 少しは役立つってとこ見せてやる!」
「なら、どうする?」
「まだやってない物がある」
パーミラはビールをがつんと呷ると肉の塊にかぶりついた。
「魔法使いとどっちが多く薬草を知ってるかで勝負だ!」
最後の対決は翌朝行われた。
まずハルサラーナがフォンザーと森へ行き、好きなだけ無差別に草を摘んでくる。そしてギルドの酒場で待つクレリアとパーミラの前に袋から一つずつ取り出して見せ、二人はそれが薬草なのか毒草なのか、はたまた用途のない草なのか答えることになった。
「最初はこれ!」
姫がパッと取り出した小さな三つ葉を見てパーミラもクレリアもこれは簡単とお互いの顔を伺う。
「では、葉っぱはどう使うでしょうか? パーミラ!」
「若い芽のうちなら茹でて食べられる」
「せいかーい。お花はどう使うでしょうか? クレリア!」
「花穂は強壮剤。それから“ア・イタタ病”の治療に使われています」
「せいかい! じゃあ……この葉っぱのお花はある虫さんと妖精さんが大好きです。どの虫さんでしょうか?」
「「ハチ!」です」
「せいかい!」
ハルサラーナは二人に対し草や根っこ、花だけを見せどんな草か、食べられるかそうでないか。様々な質問をしていった。テーブルの上にはお題に使われた草や花が並び、数を増していく。
「次はこれ!」
姫は裾がヒラヒラとフリルのように巻いている幅広の葉を取り出した。「これは……薬草って言うより野菜じゃないかい? よくこの辺で見つけたね」
「じゃあ、食べ方は?」
「茹でるか炒めるか……。そのままだと苦くて食べられないのさ。ピグルーシュの海辺の村でよく見かける」
「せいかい! じゃあクレリアはこの葉っぱの別の食べ方知ってる?」
「はい。故郷ではすり鉢ですり潰してリンゴなどと混ぜ、絞り汁を飲んでいました」
「へえ、そんな食べ方が……いや、飲み方か」
勝負を遠目に見守っていたマテオとアレッキオはリュートをポロンポロンと鳴らしたり床で戯れる蟻を見つめていた。その近くでフォンザーは勝負を真面目に見守っている。
「途中から勝負じゃなくてウンチク大会になってるような……」
「そうだな」
「しかしあれだけよく知ってるよな。腐っても薬屋の娘っつーか……」
「ふむ、やはり薬問屋の娘か」
「ん? ああ、まあな」
「家出をしたと聞いたが」
「まあね。本人は若気の至りーとか言うけど、俺からすれば無理もねえっつーか……」
「無理もない?」
「具体的に」
「え? おう、えーと」
マテオは退屈を紛らわせるために傭兵二人の過去を話し始める。
「パーミラは薬草の
「ほほーう?」
「ああいや、ゴホン。で、まぁあいつと俺が十の時、あいつのおとっつぁんが亡くなって……おとっつぁんは酒好きの商人だけど真面目でいーいお人だったんだ。俺も大好きだった。でもその弟が、叔父がいたんだがそいつがまぁ絵に描いたようなクズでさ」
──他に身寄りのないパーミラと母は叔父夫婦に家を譲る形で引き続き同じ屋敷に住んだ。だが兄を羨み疎んでいた叔父は兄の美しい妻と彼女によく似た姪にちょっかいを出すようになった。
「最初はほんとイタズラ程度だったらしい。でも二年経ってパーミラから打ち明けられた時には彼女は傷物だった」
「子供に手を出したのか」
「ああ! クソ野郎ってその場で叫んだよ俺は。さらに最悪なのは、叔父貴がその責任を取るって言って兄貴の元妻と娘ともども“妾にする”って街中に宣言したことだ」
「クズか?」
「だからクズなんだよ。俺はパーミラのおっかさんも連れて一緒に逃げようって提案した。でもおっかさんはダメだった。逃げる途中でバレて逃げ切れなかった。そのことをあいつは今でも悔やんでる」
「それで傭兵紛いのことを?」
「ああいや、最初はそんな気なかったんだ。子供二人で逃亡なんて無理があった。案の定行き倒れてさ。それで……」
──行き倒れの子供がどうなるか? そのまま野垂れ死ぬか、人買いと呼ばれる奴隷商人たちに攫われる。そして高値で人手を欲しがる金持ちたちか、見世物小屋のような集団に売りつけられる。
「俺たちは運が良かった。キャラバンの大商隊に買われたんだ。必死だったなぁ……仕事サボるとメシが貰えなくてよ。で、まあある日転機が来た。キャラバンのお客に剣士がいて、その子供は幾らだ? って」
「また買われたのか」
「最終的には。でもキャラバンよりマシかなって思ってついてった。男だけでいいって言われたけど俺はパーミラと一緒じゃなきゃ行かないって駄々こねて、おかげで離れ離れにはならなかった」
「ふむ」
「俺よりパーミラの方が頭いいし、剣を覚えるのも早かった。剣士のオッサンの目的はよくわかんなかった。行く先々で名乗る名前もバラバラだったし。でも俺たちには何だっけ……オーディンって名乗った」
「何?」
フォンザーとアレッキオは思わぬ名前に目を丸くした。
「本当にそう名乗ったのか?」
「ん? おう」
「それ、精霊王より古い時代の神の名前だよ。もっと北の方で信仰されてた嵐の王の名前だ」
「ふーん? よく分かんないけど……。あ。で、オジジは俺とパーミラに修行をつけてくれたけど、ある程度剣を扱えるようになったら急に放り出した。ある日突然、町中に置いてかれたんだ」
「ふむ」
「それ以来二人旅ってワケ」
「そうだったか。しかし、ふむ……オーディンと名乗るその男が気になるな」
「神さま本人だったりして」
「……神々は精霊界はおろか物質界には早々降りて来ない。しかし、その名はさすらいの旅人がおいそれと名乗れる代物ではない」
「そういや……思い出したけど変な奴だったよ。ジジイらしく喋る時もあれば、急に若々しく喋ったり。気さくなのに怖え奴で、武器を持ってても持ってなくても誰にも負けなかった。出先で気になることがあると気が済むまで調べ回ったりさぁ……振り回されて大変だった」
「うわー、本人っぽいなぁ〜……」
「……神がキャラバンにこき使われる哀れな子供たちに手を差し伸べたと?」
「神々は気まぐれなんだろう? なくはなさそうだけど」
「ふむ、まあ小さき我々にはその真意は読めんな」
「引き分け!」
男たちの話が切り良く終わったところで姫の声が高らかに響いた。男たちが振り返ると姫は誇らしげにクレリアとパーミラを前にして立っていた。
「わたしが持ってた草ぜーんぶ、二人とも知ってた! 勝負はおしまい!」
「じゃ、じゃあ……」
パーミラは固唾を飲んでハルサラーナの南の海よりも鮮やかな青い瞳を覗いた。五歳の少女は真剣な表情をした後、花のように微笑んだ。
「ついて来ていいわ」
「や、やったぁ!!」
パーミラは両腕を突き上げて立ち上がると相棒マテオの元へ駆け寄って、その勢いのまま飛びついた。
「どわぁ!!」
「やったー! 相棒! やったよ! 自分の知識が初めて次に繋がった! やったよー!」
二人は椅子ごと床に転がって抱き合った。
「何言ってんだ、パーミラのおかげで俺は今のところ飢え死にしなくて済んでる……」
「やったー!」
パーミラはまるで無垢な女の子のように喜んだ。マテオはやれやれと口の端を上げるとパーミラと一緒に立ち上がった。
「ついて来ていいけど、もっと強くなってね」
「ならばサラ様、誰かが修行をつけましょう」
「うん! それがいいわ!」
「修行!?」
それを聞いたディミトラはふむと頷いて顎を撫でた。
「でしたら姫さま、パーミラはあたしが見ますよ」
「えっ!?」
「あんた、頭いいからね。鍵開けなんてすぐ覚えるよ。ナイフ投げもコツがあるんだ。でも弓や剣と違って力はいらない。大丈夫さ」
「そ、そうかい? 頭いいとか言われると悪い気はしないね。へへ」
男たちは三人顔を見合わせる。
「弓は壊滅的だったな」
「教えてもいいけど期待はしてない」
「なら剣だな。サラ様、マテオは私が見ます」
「うん! お願いね!」
「お、俺あんたの弟子……? こわ……」
「嵐の王よりはよほど優しいと思うぞ」
「違いないね!」
こうして、旅の一行に新たな二人が加わることになった。
「飲み慣れた酒なのに、こうも美味いのは何故なんだろうねぇ」
その日の晩、祭の余韻を残す黄昏の中パーミラは大里ガナ・スタヒシのギルドで最後のビールを飲んでいた。
「旅費が尽きて移動が出来なかったのならそうとお言いよ。姫さまが事情を汲んでくれたろうに」
「傭兵くずれにも最後の意地ってもんがあるだろ?」
パーミラがディミトラと共に厨房を見るとクレリアが見守る中ハルサラーナが小さな手で小麦粉を一生懸命捏ねている。
「すごいねえ。小麦があれば一からパンを作っちゃうんだろ?」
「魔法使いの修行の一つなんだとさ。クレリアが根気よく教えてる。脱穀は道具と男手がいるけどそれ以外なら焼き上げの手前まで出来るみたい。頑張ってるよ」
「頑張ってるって、頑張りすぎだよお姫さまは。アタシが子供の時なんて虫見てぴーすか泣いてたってのに」
ハルサラーナは仕込んでおいたパン種と小麦粉をよく混ぜ、様々な木の実をたくさん用いてさらによく混ぜていく。今夜中に膨らんだ生地が出来上がれば朝には焼き立ての甘い白パンが出来上がる。
「駄目だ、もうヨダレが垂れそう」
「気が早いよ」
「だってあんなに美味しいもの知っちゃったらさぁ」
パーミラはディミトラと笑い合った。傭兵二人はもちろん、従者たちは姫の作る木の実の白パンが大好きだった。
「まあ、忘れられない味だよねあれは。あたしも初めて食べたのさ、白パンを。クレリアと姫さまに作ってもらって。こんなに美味い物があるのかって、ふふ、思ったよ」
「ああ、姫さまはパン作りの天才さ。そう思う」
微笑んだ後、パーミラは真剣な顔でディミトラを見る。
「アタシ、覚えられるかな? ナイフ投げ」
「覚えるまで手放しゃしないよ」
「おっかな!」
そう言いつつパーミラは笑顔だ。
「よろしくお願いします、師匠」
「師匠なんて柄じゃないよあたしは。まあでも、悪い気はしないね」
ディミトラとパーミラはジョッキを持ち上げ、小さなお祝いをした。
「ぜえったい、無理!」
翌朝、祭で使った的を借りてナイフ投げの練習を始めたパーミラは早々に音を上げた。辺りにはパーミラが投げたナイフがバラバラに落ちている。
「アタシ才能ない!」
「才能のあるなしはあたしが判断するんだよ。いいからおやり! 一個でも刺さらなきゃ朝飯はお預けだよ!」
「そんなぁ!」
彼女らの近くでは、フォンザーに背を足で押さえつけられた状態で腕立て伏せをするマテオがいた。
「む、無理……」
「二十回程度で音を上げるな。朝飯を抜くぞ」
「ううっくそっ……」
「二十二、……二十三。遅いぞ」
「い、一旦休憩! 頼む!」
「駄目だ。お前の体なら三十回以上まとめてやらんと負荷にならん」
「ぐひぃ……」
姫の従者たちに厳しく教えを受けた傭兵二人は、日が高くなってからようやく白パンを口にした。
「うんまぁい!!」
「死ぬほどうめえ〜!!」
「領主さまに小麦をいただけたから、いっぱい食べてね」
「もう何個でも食べられるよ!」
パーミラもマテオも二つずつパンを平げ、口の中に残った小麦の香りに酔い、惚けた。
「いやぁ毎日食べたいよこりゃ」
「さすがに毎日は難しいな」
「ええ、教会へ赴き修行としてパン作りに参加するか、今回のように気前がいい領主の土地に訪れないと小麦は手に入りませんから」
「なぁるほど、そうやって手に入れてたんだね。しかしいくらこの里の領主とは言え、よく小麦をくれたね?」
「お金のかわりに木の実の甘いパンの作り方を教えたの。ね、クレリア?」
「はい。木の実を種として小麦粉を膨らませる方法は我が故郷古来からの物なので、森の外では珍しいのです」
「なるほど、技術と交換か。頭いいね……」
「りょうしゅさまは喜んでたわ。真似できたら次のお祭りで出してみるって」
「そりゃ里の人も喜ぶだろうね」
「喜んでもらえるかな?」
「きっと喜ぶよ。こんなに美味しいんだから」
「そうかな? えへへ」
旅の一行はパーミラとマテオを加え、大里ガナ・スタヒシを発った。大里以降、村と呼べる場所は所々にしかなくしばらくは山林の景色が続く。
「ちょ、ちょっと休まない……?」
山の急斜面は初めてだったのだろうか? パーミラが早々に汗を吹いて今にも倒れそうだったので彼らは近くの山小屋に足を踏み入れた。
「はぁ、はぁー……」
「すぐお茶を淹れます」
「うん、ありがとう……」
「姫もお休みになってください」
「わたしまだ大丈夫!」
「すごいねお姫さまは……。アタシよりちっちゃいのに」
「ちっちゃくないもん!」
ハルサラーナはプイと頬を膨らませた。その顔がリスのようでパーミラは思わず吹き出してしまった。
「わらわないで!」
「ごめんごめん、あんまりにも可愛くて!」
「むー!」
だがクレリアのお茶を飲んだ姫君はしばらくしてフォンザーの腕の中で眠ってしまった。
「どんなに賢くても、子供だもんね」
フォンザーも姫に釣られるようにぼんやりし始め、クレリアは緊張した顔を見せる。
「フォンザー」
「む、……何だ」
「体調はどうですか?」
「何ともない」
「無理をしないで」
「無理はしていないが……」
しかしフォンザーはその後舟を漕ぎ出し、アレッキオが出した毛布を何とかハルサラーナに巻き付けると壁に寄りかかってスッと寝入ってしまった。
「徹夜でもした?」
「いえ、違います。時々ですが姫さまが不調の時、こうなるのです。恐らくフォンザー自身が活動を抑えて姫さまの負担を減らしているのではと考えているのですが」
「えーと、クレリアの説明だと意味がわからないだろうから最初から言うよ。実は……」
アレッキオはテリドア帝国陥落の夜、黒騎士フォンザーは一度死んで息を吹き返したことをパーミラとマテオに話した。
「……このお姫さま死んだニンゲン蘇らせたっての?」
「死者の蘇生は禁術、黒魔法の一つなのですが、下準備と魔法陣が複雑で姫さまとて赤子にはとても出来ない芸当なのです。それに黒魔法を使った気配も当時しませんでした。フォンザーは心臓も肺も正常に動いていて普通の生き物となんら変わりありません」
「クレリアは彼が
「はい、そうです」
「でも息を吹き返したんだろ?」
「はい。なので蘇った根本的な理由はわかっておらず、そのためにもかの有名なエルフィンの魔法使い、マーリンに話を聞くべく私たちはシルベルフにある妖精の国を目指しているのです」
「……妖精の国って、あれはお伽話だろ?」
「魔法使いにとってはそうではありません。伝説の地ではありますが、実在します」
「おっそろしいこと言うねえ……」
傭兵二人は眠る姫と騎士を見やった。
「どうして動いてるのかわかんない騎士とそのご主人様か……」
「まあね」
「私の予想では、姫さまはフォンザーの存在を維持するために何らかの犠牲を出し続けているはずなのです。それが一番恐ろしくて」
「犠牲?」
「生け贄とも言えますが、何かを支払い続けているはずなのです。魔力を消費するだけならまだよいのです。魔力は、生きていればおのずと生み出されますから。でももし支払った物が魂なら、取り返しがつかないのです」
「……ごめん俺わかんねえ」
「……姫さまが自分の魂を担保にしてフォンザーを借り続けてるようなもんか」
「ええ。そうだとしたら、恐ろしいことです。姫さまの魂がこの五年、どれだけ削れてしまったのか……私たちには分からないのです」
「フォンザー自身にも?」
「はい」
これまで表情を一つも変えなかったクレリアが悲痛な表情を見せたことで傭兵二人は事の深刻さを実感した。
「このままだと二人とも危ないんだね?」
「それすら、わからないのです。私では……マーリン様に教えを乞わなければ」
「そっか。それなら急がなきゃだね……」
「でも、休める時に休まないと俺たちも危ないからね。無理は禁物。でも出来るだけ急いで離島のシルベルフへ、って感じ」
「わかった。なら、アタシも弱音は吐かないよ」
フォンザーとハルサラーナは結局翌朝まで目を覚さなかった。まだぼんやりとしている二人を何とか起こし、従者たちは足早に山小屋から離れて行く。
それが良かったのか悪かったのか。姫はクレリアが背負っていた。フォンザーはその隣にいて、黒骨の騎士は……何かに気付きクレリアを突き飛ばした。
ガラスが割れるような音と共にフォンザーの背に矢が突き立った。矢が放たれたなら真っ先に気付くはずのアレッキオすら気付かなかった。そして……。
「あ、あっ……あああ!」
フォンザーの胸が、まるで熱せられた鉄のように内から火を噴き、溶け出して穴をあけた。
「あああああああ!!」
「なっ何!?」
己が死んだ時すらフォンザーは声を上げなかった。その彼が、あまりの苦痛に、内から燃え上がる熱にもがき苦しむ。
「ああああああああああ……っ!!」
「パパ!!」
「ダメ! 見ちゃダメ……!!」
「パパぁ!!」
クレリアはフォンザーから背を向け必死に姫に覆い被さった。あまりにむごいその姿を見せたくなくて必死に。
「やあ皆さん」
悲惨な状況に似つかわしくない間延びした声が樹々の影から響いた。矢を放ったままの姿勢を保ちながら、男は、魔法剣士は後ろではなく目の前の茂みから出てきた。
「いやぁ我ながら上手く当たりました」
黒いローブの魔法剣士は相も変わらず、ニンマリした口元をしている。
「何者だ!」
パーミラとマテオがフォンザーを庇って前へ出て、アレッキオは後方で弦を引き絞った。
「私はグリシュナ陛下の命でハルサラーナ姫を守護する者の一人です」
「お姫さんを守る奴が、お姫さんを守る奴を殺すのか! 無茶苦茶だろ!」
「あー、それは私怨です。非常に個人的な。まあ昔の彼に聞いてください。とりあえず、黒騎士フォンザー・ベルエフェには死んで欲しかったんですが、なぁんでまだ動いてるんでしょうか。気味が悪ィや」
魔法剣士の言葉通り、フォンザーは心臓だけを残して胸にすっかり穴を開けているのに、魔法剣士をその黄金の瞳で睨み付けていた。
「貴様、よくも姫の前で……」
「あっアンタ大丈夫なの!?」
「大丈夫じゃあねえでしょう。そうじゃなくちゃ困ります。致命傷なんですけどぉ、それぇ。どうなってんの?」
「誰が貴様に姫を渡すか……。誰が!!」
フォンザーの黄金の瞳が宝石のように煌めいた。魔法の矢を通し彼に術をかけ続けていた魔法剣士は、左目だけその瞳を一瞬見てしまった。
「あっ……くっ!」
魔法剣士は目玉を獣に齧られたような痛みを感じ弓を取り落とした。術から解放されたフォンザーはそのまま、身体中から闇を噴き出す。辺りは突然暗くなり、日は遮られ星空が彼らの頭を覆う。
「なっ……! 無茶苦茶な、だから竜は!!」
魔法剣士は再び弓を拾った。だが次の術がかけられるその前に、パーミラやマテオや、クレリアも姫もディミトラもアレッキオも真っ黒な力の波に飲まれた。
「ぎゃー! 何!?」
「マテオ!!」
「パパ! パパー!!」
「姫さまダメ、掴まって……!」
「うおおお何だこれ!」
魔法剣士が再び矢を放った時には、旅の一行は彼の前からすっかり姿を消していた。黒魔法使いは膝をつき左目を押さえる。
「くそ、竜の呪いは厄介だってのに……」
魔法剣士は意識が混濁し、手足から力が抜け、倒れた。やがて騒ぎが起こったその場に駆けつける軍馬の足音といななきが迫るも、気を失った魔法剣士にはなす術もなかった。
常闇の中、ハルサラーナは海のような力の中に浮かんでいた。
「パパ! パパぁ!」
泣きたいのを必死に堪えて彼女は手足を動かし闇の中で一生懸命目を凝らした。そして、ずっと泳いだあと弱々しく光る黄金のもやを見つけた。
「パパ……!!」
それはフォンザーの魂だった。彼女は、小さくなってしまった光に一生懸命紅葉のような手を伸ばして、やっと手が届くと光を自分の胸の中にしまった。
「大丈夫、大丈夫よ。パパはわたしが守るから……」
ハルサラーナは、父の魂を抱きしめたまま闇に吸い込まれていった……。
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