僕と彼女の恋愛証明

北乃キツネ

一番好きな人へ

「トシ君とは結婚出来ないと思う」


なかなかショッキングな台詞を付き合って2ケ月になるハルカが僕の腕の中でポツりと呟いた。


てっきり相思相愛だと思っていた。

ほぼ毎日、会社帰りには彼女の部屋に行き、夕食を共にする。

週末は泊まり込むのが当たり前。

バカップルと呼ばれるほど人前でイチャつく時もある。

今だって僕の胸に背中を預け、腕の中にすっぽり収まって一緒にDVDを見ていたところだ。


「ほ、他に好きな男でも出来た?」


恐る恐る聞くと、彼女はふるふると首を横に振った。


「幸せ・・過ぎるから」


見上げるその瞳は潤みを帯びていた。



彼女と出会って一目で恋に落ちた僕はすぐに交際を申し込んだ。

それ以来、全身全霊で彼女を愛してきた。

重荷にならないように愛情をセーブすることも忘れなかった。

彼女も毎日笑顔で僕の気持ちを受け止めてくれていたはず。

だからこそ意味が解らなかった。


確かに付き合い始めであるために、結婚なんて明確には意識していなかった。

バカップルの自覚はあれど、軽々しく「結婚しよう」なんて言うほど子供でもなければ恋愛経験が浅い訳でもなかった。

それでも不幸な未来を結論付ける彼女に少し腹が立ち、つい語気を強めるのだった。


「意味わかんない。ハルカを幸せにする最終目標が結婚なんじゃないの?」


彼女は少し悲しそうな顔をする。


「【一番好きな人とは結婚出来ない】っていうの聞いたこと無い?」


「それって初恋は結ばれないとか、幼馴染の恋は実らないとか、そういう類のやつ?」


彼女はテレビに向き直ると小さく頷いた。


(くだらない・・・)


軽く溜息をつく。

そういえば彼女は占いが好きだった。

こういうジンクスみたいなものを信じているのかもしれない。


「じゃあ、僕が証明してみせるよ。【一番好きな人と結婚できる】って事を」


彼女は僕の方に向き直ると、背中に両手を回してきゅうと抱き着いてきた。


僕は彼女の髪を優しく撫でながら、これからの日々でどうやって幸せにするかを考えるのだった。







「そんな顔するなって、もうここへは来ないからさ」


いつもの様に二人で夕食を食べた後、ベッドの上に座ってテレビを見ていた彼女に意を決して言い放った。


その途端、彼女は眼を見開いて僕を見つめたかと思うと、ポロポロと両目から涙を溢れさせた。


「ご・・ごめ・・・なさい」


「もういいって。とりあえず荷物纏めるから」


努めて優しく言ってみたものの無駄な努力となり、泣きじゃくる彼女。

僕は淡々と少ない私物をナップサックに放り込んだ。



あれは一月前くらいだろうか、彼女の心が僕に向いてない事を瞬時に把握した。

具体的には旧友と飲みに行ったあの晩からだ。

彼女は何もなかったと言い張ったが、大好きな人の心の変化なんて一瞬で察知できた。

隠れてコンパに行ったのかもしれないし、意図せずナンパされたのかもしれないが、既に問題点はそこでは無かった。


毎晩少しずつ苦悩が大きくなっていく彼女を見ていたら、まるで僕が彼女を苦しめているように感じられた。

結局『飛ぶ鳥あとを濁さず』とでもいうか、彼女と過ごした三年間は楽しい思い出ばかりだったので、わざわざ修羅場る必要もないかという結論に達した。

どうせもう心は僕に戻ってこないのだ。

格好つけたかっただけなのかもしれないが。


「んじゃ、お世話になりました。次はこういう事はないようにな」


「うん・・・・・」


漸く泣き止んだ彼女は絞り出すような笑顔を見せた。

始めて目にしたその悲しげな笑顔は酷く僕の心を抉った。

(そんな顔をさせたくなかったのにな)とつい反射的に思ってしまった。

最後に皮肉めいたことを言ってしまった自分にも後悔した。


そして、この期に及んでも彼女を傷つけたくないと考えてしまう自分に(都合良いヤツだなぁ)と我ながら呆れてしまった。

自分の中で折り合いを付けていたとしても、心ではまだ彼女を愛していたのだろう。


ただ、それももう終わりだ。


そう思ってドアノブに手を掛けると彼女はいつかの台詞を呟いた。


「やっぱりあなたとは結婚できなかったね」


「・・・・それを、君が言っちゃダメだろ」


「ごめん」


「見送りはいらないよ」


そう言ってドアを後ろ手で絞め、彼女の家を後にした。







あれから三年が経った。


「ぶぁ~もうだめ、しんどい~」


僕は郊外にあるスパの休憩用大広間で大の字になっていた。

友人の伸二にトレッキングに誘われて朝から長時間歩き、その帰りにスパでリフレッシュしていたのだが、予想以上に身体は悲鳴をあげていた。


「お前、もう少し鍛えないとやばいぞ」


「こちとら帰宅部だったんだよ、25kmも歩かせんな」


ローテーブルの対面に座った伸二があきれたように見下ろしている。

少しでも筋肉痛を減らそうと寝転びながら適当なストレッチを繰り返す。


「ポカリで良いだろ?」


「ん~いってら」


適当な返事を聞いて、伸二は自販機コーナーへ旅立った。


明日筋肉痛ならまだ若い、明後日来たならおっさんだな。

貧弱な回復力には過度な期待はしないでおこうと考えていると、不意に懐かしい声色が聞こえた。


「こら、ゆうちゃん。まちなさい!」


少し鼻にかかるような甘ったるい声は間違いなく彼女だと確信できた。


とっさに横たわった丸太に徹していたのだが、お腹の上に小さな女の子が駆けてきて、ぽすっと倒れ込んだ。


「あっ、だから言ったじゃない! すみません」


反射的に女の子を受け止めた形になり、観念して僕は上半身を起こした。

たぶんバツが悪い顔をしていたと思う。


「いやぁ、寝ている僕が悪かったから」


「トシ君・・・・」


そこには三年前とあまり変わらない彼女が立っていた。





「一人で来てるの?」


「ああ男友達とね、飲み物買いに行ってる」


「良い人、出来た?」


「・・・三十までは一人で良いかなって」


「私は二人も産んじゃったわ・・・」


赤子のオムツを変える彼女に背中を向けて座り、顔を合わさず会話する。

伸二や旦那が戻って来たときに変な勘繰りをされたくなかったからだ。


ゆうちゃんと呼ばれた女の子はすこし離れたテレビの前でアイスを食べている。

年齢からすると僕と別れた直後に出来た子だろう。

ちょっと複雑な気分になった。



色々と質問は湧いてきた。


仕事辞めた?

子供嫌いだったよね?

旦那さんは優しい?


しかし、結局は何を聞いても意味の無いって事は解っていた。

別に会話をする必要も無かったのかもしれないが、どうしても聞きたかった事があった。


「今後の参考のために聞きたいことがあるんだけど・・・」


首を彼女に向け背中越しに振り返る。


「な、なあに?」


「・・・・・」


数秒躊躇ったが、やっぱり聞いてしまった。


「別れたのは僕の何が悪かったんだ?」


彼女は驚いた顔をした後に、ふっと脱力するように微笑んで吐露した。


「不満が無いのが不満・・・・だったんだと思う」


「なんだよそれ」


つい口を尖らせてしまった。

そんなんで振られるコッチの身にもなれってんだ。


「あの時は自分でも少し嫌になったわ」


彼女は疲れる様に笑った。

それからはどうでもいい事を少しの間、話した。


「ナミって女友達、覚えてる?」


「覚えてるよ」


「まだ、あなたが好きみたいよ」


「僕は最初からハルカが好きだったからね。彼女の想いには応えないよ」


「でも、今フリーなんでしょ?」


「そもそも、彼女がキミを飲みに誘わなければ僕達は別れていなかったかもしれない。そう考えちゃうから無理だな」


「ごめん・・・」


「もう終わった事だよ」


「「・・・・・・・・」」


気まずい沈黙が流れた。




遠くからペットボトルを二本持った伸二が歩いて来るのが見えた。


「さて、僕は行くよ。元気でな」


筋肉痛が始まった体に鞭を入れ、「イテテ」と言いながら立ち上がる。

おれも意外と若いじゃないかと、ヘラヘラと変な笑みが漏れた。


「トシ君が一番好きだったよ・・・」


足を引き摺るように前に出した時、俯いた彼女が消え入りそうな声で呟いたのが聞こえた。


一瞬、動きが止まった。


(君は証明してしまったんだね)


【一番好きな人とは結婚出来ない】


(僕は・・・・)


すぐに再起動すると無言で広間を後にした。




「わりい、マッサージ機があったから座ってみたらウトウトしちゃってさ」


「いや・・・・、良い気分転換になったよ」


「?」


不思議そうな顔の伸二からペットボトルを受け取り一気に飲み干す。


錆び付いたロボットのような身体とは裏腹に、僕の心は軽やかに動き出していた。




──今でも彼女が一番好きだ


──でも、僕の証明はまだ終わっていない


──だから前に進もう


──【一番好きな人と結婚できる】


──まだ見ぬ未来のその人へ向かって


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕と彼女の恋愛証明 北乃キツネ @crane-camera

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ