第32話 そのまま見過ごすこともできた

「おい多田、ついてこいや」


 安藤が学校に来たのは昼休みになってから。

 そして教室に入ってくると同時に多田の姿を見つけると絡み始める。


「あ、安藤君……俺は、その」

「言い訳はいいんだよ。なあ、ゆっくりと人のいないところで話しようぜ」


 安藤に言い返す言葉も失い、多田は連れられて行く。


 そして二人が出て行ってから、そのあとをつけるため席を立つ。


「桐生君、無理しないでね」


 と、加佐見から。

 小さくうなずいて、桐生はさっさと教室を出る。


 遠くから二人をつけていると、階段を昇り始めた。

 どうやら向かう先は屋上のようだ。

 人目につかず、先生もやってこない、人知れず多田をリンチするにはうってつけの場所だ。


 ゆっくりと、階段を昇る安藤と多田。

 気づかれないように、息を潜めて階段を昇る桐生。


 やがて、先についた安藤たちが屋上へ続く扉を開けて外に出る。


 それを確認してからゆっくりと桐生は屋上へ。

 鍵が壊れていることは、以前ここに来た時に知っていた。

 だから閉め出される心配はないだろうと、ゆっくり扉の前に行って、隙間から屋上の様子を見る。


「おい多田。お前、俺がどれだけお前に目をかけてやってたかわかってるよなあ?」


 安藤が、屋上のフェンス際に立たされた多田に大声で迫っている。

 そして取り巻きも数人。

 先にここで待ち構えていたのだろう。


「安藤君……そ、それはよくわかってるよ」

「だったらなんで俺に嘘ついた? お前、高田とできてたくせに俺に黙って恥かかせたのはどうしてだ?」

「だ、だからそれは誤解で……高田さんの気持ちなんて俺は」

「言い訳すんじゃねえよ! それとも高田があの状況で俺に嘘ついたとでも? んな度胸があるわけねえ。お前が俺に言えずに黙ってたに決まってる」


 理不尽もここまで行けば清々しいものだと。

 桐生は奥から聞こえる安藤の声に呆れる。


「安藤君……頼むから許してくれよ」

「いや、気が済まねえ。俺は高田を入学した時から狙ってたんだ。なのにまさか多田のおさがりとはなあ。ぶっ殺しても足りねえな! おいお前ら、順番にこいつを殴り飛ばせ」


 金網を蹴り飛ばすと、安藤は多田の胸倉をつかむ。

 そろそろ助けにいかなければ、多田はこのまま集団暴行を受ける。

 その現場を動画に収めるということも、まだ捨てきれない。

 勝手に多田が報いを受けて。

 安藤たちが傷害事件を起こす瞬間を証拠に残す。


 それで全部が終わる。

 多田を見捨てれば終わる。


 ただ、妃に言われたことが頭から離れない。


 桐生が、安藤と同じ悪に落ちることを望まない人もいる。


 その言葉が桐生にまとわりつく。


「……ちっ。早くしろよ多田」


 もう、飛び出す寸前の体制で桐生は待ち構える。

 最後、多田が桐生の指示通りの抵抗を見せるかどうか。

 多田に賭けて、足を踏みとどまらせる。


「安藤君」


 そんな時、震える声を多田が安藤に向ける。


「あ? なんだよ殴られるのが怖いのかよ」

「安藤君……そうやってみんなに俺を殴らせておいて、今度はそれでゆするんだろ?」

「なん、だと?」

「み、みんな! 安藤君は俺たち全員切り捨てる気だ。目を覚ませ、俺たちのことなんか捨て駒にしか思ってないぞ」

「だ、黙れや多田ァ!」


 声を荒げて、安藤は多田に迫る。

 しかし、まだ一線は超えない。


 ギリギリのところで多田を殴ることを我慢している。


 そして。


 周りの連中の中に、あからさまに動揺している連中が数人いることを確認した。


 それが見たかった。


 その反応をする人間がいることを、知りたかった。


「頃合いだな」


 桐生の後ろから声がした。

 つい夢中になりすぎたと、慌てて振り返るとそこには、


「会長……」


 妃が立っていた。

 そっと桐生の肩に手を置くと、勢いよく扉を開ける。


「おいお前たち、ここで何をしている!」


 妃が大声で安藤たちに注意を飛ばすと、多田を取り囲む全員が慌てふためく。


「や、やばい生徒会長だ」

「安藤君、さすがにまずいよ」

「……ちっ」


 多田から手を離し、安藤はそのまま入口に立つ妃の方へ歩いてくる。

 桐生は慌てて、階段の踊り場の奥に姿を潜める。


「生徒会長が何の用ですか、こんなところに」

「君こそ、何をしていた?」

「友人たちと戯れてたんだよ。年増は引っ込んでろ」

「……」


 妃はすごむ安藤にひるむことなくじっと睨み返す。

 その様子にまた舌打ちをしてから、安藤はつまらなさそうに扉を開ける。


「おい行くぞ」

「ま、待ってよ安藤君」


 そして、その辺を蹴り飛ばしながら安藤たちは階段を降りて行った。


「ふう……」

「会長、大丈夫ですか?」

「ああ、桐生君。いや、安藤はうるさくてかなわないな。耳が痛い」

「まあ、ああいうやつですからね。それより」


 桐生はフェンス際で腰を抜かす多田を見る。


 そして近寄ると、怯えた目で桐生を見上げる多田は、少しだけ表情を崩す。


「な、なんだよ桐生か。お、俺はお前の言うとおりにやったぞ?」

「ああ、そうだな。だから助かった」

「た、助けてくれるつもりがあるなら、最初から言ってくれよ」

「……知らない方がお前の演技に説得力が出るだろ」

「は、はは、人の悪い奴だな」


 金網に手をかけて立ち上がると、多田はフラフラしながら出口の方まで歩いていく。

 そして妃の姿を見ると、ぺこりと頭を下げて。

 屋上を静かに出て行った。


「桐生君、あの男に何を吹き込んだんだ?」

「あいつが安藤に言った言葉そのままですよ。ああすれば、安藤の取り巻きの中で安藤に不満や不安を抱えてるやつがあぶりだせるから」

「そうか。で、いたのか?」

「ええ。鈴木と河野。こいつらは多分安藤を裏切ります。だからその説得はそっちでよろしくお願いしますね」

「ああ、わかった。しかし桐生君、もう一つ構わないか?」

「ええ」

「君は、あの時多田が抵抗せずに集団暴行を受けたとして、助けに入る気はあったのか?」


 妃の大きな目が細くなり、じっと桐生を捉える。


「……さあ、どうだったでしょうね。正直な話、あのままボコボコにされたらいいのにって、思ってたのは事実ですけど」

「ふっ、君は嘘が下手な男だ。それならどうして君は手ぶらなのだ?」

「……それは」

「安藤に多田を殴らせたいのなら、もっと挑発的なことを言わせればよかっただろうし、どうせ殴らせるならその証拠を納めるためのカメラでも持っているはずだ。君は最初っから、多田を助けるつもりだったんだよ」

「……うっかりしてただけですよ」

「そうか。君は自分に嘘をつくのが下手なようだ。そういうところに、加佐見さんは惹かれたのかもしれんな」


 そう言って、妃はそのまま先に屋上を出る。


「……なんだよ、みんな俺をいい人扱いしやがって」


 桐生はしばらく屋上の風に吹かれてから、ゆっくり屋上を出る。


 そして振り返る。

 たしかにあの時、非情になりきれなかった。

 多田を見捨てるという選択をとるつもりになれなかった。


 なぜか。

 妃が怖かったわけでも、多田からの仕返しが怖かったわけでも、ましてや心の底から多田を助けたいと願ったわけでもない。


 しかし。


「……なんでいつも加佐見さんが出てくるんだよ」


 あの時も、加佐見の顔が頭に浮かんだ。

 最低な人間に成り下がった自分を、果たして彼女はどう思うだろうかと。

 そう考えた時、どうしても非情になることができなかった。


「……人間強度、下がってんのかな」


 いつぞ、妃に聞かされたそんな言葉を思い出して呟く。


 そのまま、教室へ。


 すると、


「あ、桐生君! 大丈夫だった?」

「ああ、まあ」

「そっか、よかった。ね、まだ時間あるからパン食べる?」

「……もらうよ」


 加佐見がいつもの調子で迎えてくれた。


 なんでもない、ただのお節介なのに。

 今日はやけに張り詰めた気分が安らいだ、気がした。

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