第31話 暗い顔をしないで
多田を連れて向かったのは人目につかない旧校舎の裏手。
年中日陰なせいか、ひんやりした空気の漂うその場所につくと、桐生は多田の前に立ってにらみつける。
「散々人をいじめておいて、いざやられる側に回った気分はどうだ?」
「……お前が、高田さんに何か吹き込んだんだな」
「さあな。しかし、もうお前の弁解なんざ安藤は聞かないだろ。それに、今日お前を囲むって話をしてたそうだ」
「お、俺を? あ、安藤君が……な、なんでお前がそんな話を」
「実際に安藤の話を聞いた人間からの情報だから間違いない。相当お怒りだそうだ」
「……終わりだ」
多田は震えながらその場にうずくまる。
よほど安藤が怖いのだろうし、その怖さは近くにいた人間ほどよくわかっているのだろう。
しかし、桐生はそんなことに同情はしない。
「多田、お前は確かに終わりだ。安藤から見放され、リンチに遭ってそのあとも虐められていずれ居場所を失ってここにはいられなくなる。すでにお前の親にも手が回っているかもな」
「……お前のせいだ。桐生、お前が余計なことをするから」
「自業自得だ。それともあいつの金魚の糞を一生続けられるとでも思ってたのか? 遅かれ早かれこうなってたさ。あと、俺を殴っても何も解決はしない」
桐生は見下すように多田をにらむ。
安藤の影から、ずっと自分を見下して酷い言葉を吐いていた多田が、正直に言えば憎かった。
こんな奴でも助けないといけないのかと。
はっきり言って、タコ殴りにされて死んでしまえばいいのに、と。
黒い感情が沸く。
しかし、どこかでそれは自己満足にしかならないと、桐生は空を見上げる。
そして、言いたくもない言葉を吐く。
「助かりたいか?」
「……今、なんて言った?」
「助かりたいかと、そう聞いたんだ。安藤の呪縛から解放されたいなら、俺の駒になれ」
「……お前なんかが安藤君に勝てるわけがない。安藤君の家のこと、知らないわけじゃないだろ」
「家柄なんか関係ない。むしろ、あれだけでかい家であってくれた方が好都合なくらいだ」
「お前の何を信用しろっていうんだよ。詐欺師の息子のくせして」
「信用、か。別に俺を信じる必要なんてない。お前が助かりたいと思うなら、自分で勝手にもがくしかないって話だ。俺はお前を助けないし、誰もお前を助けられない。今日安藤を止めたところで、お前はどこかで闇討ちにでもあうだろ。それが望みなら好きにすればいいさ」
桐生は、ポケットから一枚のメモを取り出して多田の前に放る。
「これは……?」
「そこにお前がやるべきことを書いてある。ま、それをどうするかは自由だ。安藤に、桐生からこんなことを言われたと吹き込むのも有りだし」
「……」
「それじゃ、せいぜい死なないことを祈っておくよ」
メモを前に固まる多田を置いて、桐生はさっさと校舎へ向かう。
高田に嘘をつかせて多田を巻き込むと決めたその時から、このシナリオはできていた。
つるし上げられた取り巻きの一人が見せる抵抗。
それこそが、安藤の作る群れの崩壊を加速させる。
「おや、桐生君じゃないか」
「あ、牧さん。おはようございます」
校舎に戻って廊下を歩いていると、生徒会副会長の牧に遭遇する。
大柄で、人の好さそうな牧を見て、こういう人間なら絶対に自分のような発想を浮かべたりはしないんだろうなと思いながら、頭を下げる。
「頑張ってるみたいだな。俺も、できることはなんでもするから言ってくれ」
「それじゃ安藤をぶっ殺して刑務所に入ってくれますか? それが一番手っ取り早い」
「はは、それ生徒会長にも同じ冗談を言われたよ。もちろん嘘だと言って笑っていたがね」
「……牧さんは、どうして会長に協力するんですか? 偶然生徒会だからなのか、安藤に個人的な恨みがあるからとか」
「ああ、そうだね。会長が好きだからだよ」
「……え?」
「いや、恥ずかしい話だけどね。好きな人の為に力になりたいって当然のことだろ。それに安藤がやってることはもちろん容認できないわけだし。今更怖がってても仕方ないかなって」
「そんな理由ですか」
「でも、一番強い理由だよ。本気で会長があいつを殺せって言えば、どうだろうね」
「好きな人の為なら人でも殺す、か。随分と絆されてますね」
「はは、まあね。でも、誰かの為に頑張れるのはすごく楽しいさ。君にだって、加佐見さんというパートナーがいるからわかるだろ?」
「勝手にくっつけないでください。あれが勝手についてくるだけです」
「そうなのかい? どこか通じ合ってるように見えたけど」
「気のせいです。あと、絶対にそんな話を加佐見さんの前でしないでくださいね」
「照れくさいのかい?」
「勘違いさせるからですよ」
そう言って、もう一度頭を下げてから桐生は牧から離れる。
「まったく、どいつもこいつも色ボケしやがって」
小さく愚痴をこぼしながら、桐生は廊下を早足で進む。
しかし、言いながら牧のようなまっすぐな目をした人間が羨ましいのだろうと、妬んでいる自覚はあった。
幼少から差別され、誰の愛情も注がれることなく育った桐生にとって、誰かを好きになるなんて感情は到底理解ができなかった。
自分に友好的な人間も、単に今の自分と関わるメリットがあるからそうしているだけで。
それがなくなれば去っていく。
または裏切る。
だから心の底から信用なんてしない。
生徒会の面々だって、形勢が不利になったらいつ自分を裏切るかわからない。
今は利害の一致でたまたま行動してるだけ。
そんな気持ちを捨てたことは一度もない。
「いや、捨てるのが怖いんだろうな」
信じて、裏切られるのが怖いから。
そんな臆病な自分がそうさせるのだと、頭ではわかっている。
だからうらやましかった。
牧のように、誰かを心の底から信じられる、そんな人が。
「……まあ、今は関係ない話だ」
教室の扉の前で、言い聞かせるようにそう呟いてから桐生はそっと扉を開ける。
クラスメイトの冷たい視線が向けられる。
それを無視して席に向かうと、先に教室に着いていた加佐見が心配そうに桐生を見る。
「桐生君、用事はちゃんと終わった?」
「ああ、なんとか。ていうかそれ、どんな顔?」
「桐生君が女の子とこそこそ会ってるんじゃないかって、心配だったのよ」
「仮にこそこそ会ってたところで関係ないだろ」
「そうだけど……」
突き放すような言い方に、加佐見は更に悲しそうな表情になる。
そしてうつむいたまま、授業が始まってもずっと、その表情を変えない。
先生の話も聞いている様子すらなく、ずっと、辛そうな顔をして時々ため息をついて。
そんな様子を隣でずっと見ていた桐生は、なぜか心が落ち着かない。
関係ないと言ったのは自分だし、実際加佐見とは何も関係ないから彼女が悲しもうが泣こうが知ったことではないはずなのに。
なぜか桐生の気持ちも暗くなる。
そして、無視を決め込もうと我慢を続けたのも三限目の授業が終わるころに限界を迎える。
「……加佐見さん」
「……? どうしたの桐生君」
「……関係ないは言い過ぎた。ごめん」
「え? 桐生君、今なんて」
「二度も言わない。ただ、もう暗い顔するな。こっちまで気分が下がる」
桐生は加佐見から顔を逸らして窓の外を見る。
すると、隣からクスクスと笑い声が漏れてくるのが聞こえた。
「ふふっ、やっぱり桐生君だね」
「勘違いすんな。見てて重苦しくなるだけだよ」
「じゃあ見なきゃいいのに」
「そ、それは……視界に入るんだよ」
「今みたいにしてたらいいじゃんか。ふふっ、桐生君ってやっぱ嘘下手だね」
「……好きに言えよ」
なんで謝ろうなんて思ったのか、桐生には自分のことながら全くその心理が理解できなかった。
ただ、不思議なことにさっきまで桐生の中を渦巻いていた暗い気分はもう、どこかに消えていた。
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