第27話 種を撒く
早朝五時。
まだ外が薄暗い時間帯に桐生は目を覚ますと、そっと部屋を出てキッチンへ向かう。
今日は高田と朝に打ち合わせの約束になっている。
加佐見を連れていくと横やりがうるさいだろうからと、敢えてこんな時間をえらんだ。
はずなのに。
「あ、おはよう桐生君」
「……なんで起きてるんだよ」
加佐見は、キッチンで朝食の準備を整えていた。
もう、制服に着替えてありその上にエプロンをしている。
「だって、今日は大一番じゃん。桐生君のことだから張り切って朝早くに学校行くのかなって」
「……」
これから安藤を欺こうという時に、目の前の女子一人欺けない自分に対して桐生は何も言えなかった。
どこまでも勘がいいだけなのか。
それとも桐生がわかりやすいのか。
どっちにしても、あまり嬉しい話ではない。
「はあ……」
「あ、ため息は幸せが逃げていくよ?」
「ため息も出るさ。俺、わかりやすいのかな」
「ふふっ、桐生君って本気になるとすっごく演技上手だけど、普段はとてもわかりやすいよ。なんていうかまじめだから、考えてることがわかっちゃう」
「今の俺には聞きたくない情報だったな」
「でも、すごくいい顔してる。大丈夫、今日は絶対うまくいくから」
「出鼻を挫いておいてよく言うよ。でも、やるしかない」
制服の上着に袖を通して襟を整えていると、加佐見がそばにきて折れた襟を直してくれる。
「うん、いい感じ。ご飯、食べていく?」
「……少しだけ、もらうよ」
「じゃあ待ってて。すぐ用意するから」
これから始まる安藤との化かしあいに緊張しているのかあまり食欲はないが、それでも少しくらいは何か食べておかないと頭が働かないだろうと、少しだけ何か胃に入れたいという桐生の気持ちまで察していたのか、加佐見が用意してくれていたのは軽食の小さなパンと温かいカップスープだった。
「……なんか、加佐見さんって察しがいいのか悪いのかわかんねえな」
「ん、どういうこと?」
「いや、こっちの話。ご馳走様、先に行くから気を付けて学校来いよ」
「ふふっ、また心配してくれた。大丈夫、桐生君の迷惑にならないようにするから」
「……いってきます」
加佐見に見送られて、桐生は家を出る。
ちょうど朝日が昇りかけているこの時間帯は、空気が冷たい。
もうすぐ冬なんだと実感させる、肌寒い朝だ。
でも、そんな冷たい風が桐生の目を覚まさせる。
道中、果たして本当にこれで大丈夫かと何度も何度も自分に問いただしながら。
やがて学校が見えてくる。
正門に、一人の女子の姿があった。
「おはよう、高田さん」
「……おはよ。何よ、待たせないでよね」
「高田さんって見た目より性格きついよな絶対」
「今私の性格はどうでもいいの。それより、昨日の話だけど」
「ああ、ちょっと場所を移そう」
二人で、校舎裏まで移動する。
まだ、部活の朝練にすら誰も来ていないこの時間の校舎は嘘のように静かで。
まるで世界から誰もいなくなったんじゃないかと錯覚させるほど。
そんな異様な校舎の様子を見上げながら桐生は、非常階段に腰かけながら高田にまず尋ねる。
「高田さん、昨日言った話だけど。安藤の取り巻きの中に、同じ中学のやつは誰がいた?」
「……鈴木と多田ね。特に多田は、小学校から一緒だけど」
「それじゃ多田にしよう。嘘っていうのはちょっとだけ本当のことが混ざると一気に信ぴょう性が増すんだ。多田とは幼馴染、そして高田さんはずっと多田のことが好きで、多田もまんざらでもないって話だ」
「……でも、そんなんでうまくいくの? 安藤が多田を脅して、それでおしまいなんじゃ」
「いいや、そうでもない。おそらく取り巻きの連中は安藤に嘘偽りなくなんでも報告している。だというのに、そんな大事な情報を知らさず、多田の前で一生懸命高田さんを口説いていたとわかった時、あいつの陳腐なプライドは傷つく。そして激高するさ。大丈夫、俺の言うとおりに高田さんは演技すればそれでいい。きっとうまくいく」
大丈夫。
きっとうまくいく。
そんな言葉は、何の意味も持たない。
確証はない。
多田がその場で言い訳をして、それを安藤が信じて高田が嘘をついたと追及される可能性の方が、なんなら高く見えるくらいだ。
でも、なんとなく桐生には確証めいたものがあった。
根拠は全くない。
なぜ、そこまで自信を持っていられるのか、自分自身で不思議に思うほどだったが、安藤なら騙せると。
心の中で、見下していた。
「じゃあ、そういうことだから。あとは安藤が話しかけてきたタイミングでうまくやってくれ」
「……もしうまくいかなかったらどうするの? 私、安藤に卒業までずっといじめられる」
「それなら既に未来永劫いじめられることが確定してる俺が話し相手にでもなってやるさ」
「なにそれ、全然嬉しくないんだけど」
「何もないよりはましだろ」
「……バカみたい」
高田は、それでも少し笑いながら校舎へ戻っていく。
まだ、静かな誰もいない教室に向かって。
高田の後姿は力強く桐生の目に映った。
「……覚悟が決まったか」
そうとわかれば後は信じるのみ。
ただ、何事もなければそれでいいが。
桐生は一抹の不安を抱えたまま、しばらくその場で朝の陽ざしを浴びる。
随分と気持ちのいい朝の風で、少しだけ熱くなった頭を冷やす。
少しすると、運動部の人間が朝練のため学校にやってきて、だんだんと騒がしくなってくる。
そして、少し早いが教室に行こうと立ち上がると、そんな桐生の前から男子数人が歩いてくる。
それを見て、桐生は敢えて安藤の方へ向かう。
「……安藤」
「あ? なんだ詐欺師の桐生じゃねえか。なんだよこんな朝早くから。教室の備品でも盗んでたのか?」
安藤の言葉に、取り巻き連中は操作されたかのように笑う。
げらげらと、その笑い声に気をよくして安藤は続ける。
「そういや、今日はあのくそ真面目転校生と一緒じゃねえのか。フラれたか?」
「まあ、そうなってくれた方が楽でいいんだがな」
「ほんとムカつくやろうだな。お前の息がかかった女に興味はねえが、いつかあいつもろとも痛い目に遭わせてやるから覚悟しておけよ」
「それはどうも。でも、加佐見さんこそお前みたいなブ男に興味はないと思うがな」
「なんだと? てめえ、今なんて言いやがった」
「不細工だと言ったんだ。やることも見た目もな。いくら金持ちでも、安藤にだけは生まれ変わりたくないもんだな」
「てめえ!」
安藤は、頭に血が上ってそのまま桐生の胸倉をつかむ。
そして慌てて取り巻きが止めて引き離す。
ちょうど、裏門のところに立つ先生が遠くに見えるからだろう。
「……ま、そういうことだから。教室でも声かけてくるなよ」
「覚えとけよ桐生。お前だけは絶対に許さないからな」
「はいはい、じゃあな」
苛立ちがおさまらない安藤を無視するように桐生はその場を去る。
そして、心の中で笑った。
安藤が、どれほど自分の思い通りに動いてくれる木偶なのかと。
「……これであとは待つだけだ」
苛立つ人間は正常な判断力を失う。
それもまた、詐欺の常とう手段。
自分はやはり詐欺師に向いているんじゃないか、なんて。
父が詐欺師でないとわかった今でもふとそう思う。
そして、そんな考えをすぐに振り払う。
「……またこんなこと言ったら、加佐見さんに怒られるな」
そんなことを呟きながら、一人で校舎に戻っていった。
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