第13話 心が泣いている

「そろそろ行くぞ。ついてくるなら早くしろ」

「もう、せっかちだね。まだ余裕あるのに」

「就業十分前には必着。それが俺のモットーだ」

「なんかいいサラリーマンになりそうだね、桐生君って」

「ほっとけ」


 まったりと朝を過ごした後、桐生と加佐見は一緒に家を出る。


 こうして誰かと一緒に出掛けるというのもいつぶりか、桐生は少し違和感を覚えながら玄関の鍵を閉めてバイト先に向かう。


 休日になると、皆揃って隣町に出かけるせいか、周囲にあまり人はいない。

 いるのは畑仕事をしていたり犬の散歩をする老人くらい。


 だから二人で歩いていても特に誰も何も言ってこない。

 それだけにほっと胸をなでおろしながら、やがて通いなれたバイト先が見えてきた。


「あれ、トラックがいっぱいだね」

「……変だな。今日は仕入れそんなにないはずなんだけど」


 コンビニの広い駐車場に数台止まったトラックが見える。

 そして、近づくと店の違和感に桐生が気づく。


「え……」


 一枚の大きな張り紙に、『閉店します。これまでありがとうございました』と。


 店内は真っ暗で、棚はからっぽになっていた。


「う、嘘だろ」

「桐生君、これって」

「……俺の、せいだ」


 自分が関わっていると、いつか店がこんな結末を迎えてしまうと。

 そう思って桐生は今日、この店をやめようと決意してきた。


 それで安藤たちの気が済むのならと、これからのこともこれまでの思い出も捨てる決心がついたというのに、目の前にあったのは閉店してもぬけの殻になったかつてのバイト先だった。


「……桐生君、大丈夫?」

「俺がいけないんだ。俺が……こんなところで働いたばっかりに」

「桐生君……」


 力が抜けて、その場に桐生はしゃがみこむ。

 そして、荷物を運ぶトラックの最後の一台が出て行ったあと、加佐見が張り紙の横に貼られてある封筒を見つける。


「これ、桐生君宛てって書いてるよ?」

「俺に?」


 すぐに手に取って中身をとりだすと、、そこには店長の字で書かれたメッセージが残されていた。


『桐生君、短い間お世話になりました。この店は見ての通り閉店となりましたが、それは単純に売り上げが厳しかったという一点です。桐生君が何か負い目を感じる必要はないし、安藤君たちが悪いわけでもありません。ですから誰かを恨んだり、自分を責めたりしないでください。あと、黙って出ていくことをお許しください。桐生君にあわせる顔がなかった、というのもありますが大人の事情で人知れずこの町を離れることになりました。また、どこかで会える時があれば、その時は恨み言の一つでも言ってください。おたっしゃで。 店長より』


「……店長」

「桐生君、大丈夫?」

「……なんだよこれ。大人ってみんな嘘つきばっかだな。俺のせいだって嫌味言われた方が、よっぽど気が楽だって……」


 桐生は、奥歯を強く噛みながら手紙を破る勢いで握りしめる。

 震えながら、込み上げる何かを必死に堪えていると、加佐見がその手紙をそっと桐生から取る。


「……店長さん、達筆だね」

「几帳面な人だったよ。この立地で必死に仕入れも計算してさ、ほんと能力ある人だと思ってたし。でも、人を見る目だけはなかったな」

「そんなこと言ったら、信じてくれた店長さんに悪いよ? 桐生君のこと、本当に信頼してくれてたんだって、この文章を見ただけでわかるもん」

「……だからだよ。俺なんか、信用しなきゃよかったんだ。この街で俺と関わることがどれだけマイナスか、知っててやったっていうならただのバカだよ」


 吐き捨てるように桐生が言うと、加佐見は手紙をそっと折りたたんで桐生の前に立つ。

 

 そして、


「わからずや!」

「っ!」


 パチンと音を立てて、桐生の頬を打った。

 

「……なにすんだよ」

「店長さんの気持ちが本当にわからないっていうなら、また打つよ? こんなに大切に思ってくれる人のこと、悪く言うなら安藤君たちと変わらない。悔しいのはわかるけど、そんなことは言っちゃダメ」


 痛いのは桐生のはずなのに、何故か加佐見の目に涙が滲む。


「なんで加佐見さんが泣いてるんだよ」

「だって、桐生君が泣いてるから」

「俺は泣いてなんか……」


 目に、涙は滲んでいない。

 ただ、それは我慢しているだけのこと。

 気を許せばすぐにでもそのダムは決壊しそうだと、桐生は気づいてまた歯を噛み締める。


「俺は泣かない。泣いても、自分の慰めにしかならないから」

「……そうだね。うん、強いんだね桐生君は。ごめん、痛かったよね?」

「いいよ別に。俺も、悪かった……」


 店長の気持ちは痛いほどわかっている。

 ただ、それを受け入れる器量が自分にないことも桐生は知っていた。


 馬鹿なのはその優しさに答えられなかった自分だと。

 こうなったのは、大切なものを守るだけの力がない自分のせいだと。


 認めたくなくて。

 悔しくて吐いた言葉。


 それを、悔いる。


「……帰ろう。もう、ここにいても仕方ない」「うん。明日からの仕事、探さないとだね」

「ああ、そうだな。今のご時世で餓死なんて、それこそ店長に笑われるよ」


 桐生は、そのまま来た道を帰る。

 その時、かつての職場だった場所はもう振り返らなかった。


 名残惜しいとか、感情に浸っている暇はない。

 残された人間はただ、前を向いて生きるしかできないから。



「……ただいま」


 家に着くまで、加佐見は隣を黙ってついて来てくれた。

 そして帰ってからも特に何か言うこともなく、桐生が部屋に戻るのをそっと見守っていて。


 そんな彼女の気遣いにかける言葉も見当たらず、桐生は一度部屋に戻った。


「……でも、どうしてこんなに急に?」


 ベッドに腰掛けた時、桐生は少し冷静になった頭でふと疑問に思う。

 いくら安藤が権力者の息子でも、一つの店を即日潰すほどの力はもっていないだろう。

 ただ、経営難というのは嘘だ。

 店長の手紙の内容には嘘が混じっていた。

 こそっと覗き見た帳簿はきちんと黒字で、今すぐ潰れるような状況でないことは知っていた。


 だからやはり、誰かの圧力がかかってああせざるを得ない状況に追い込まれたのは間違いない。

 だとすれば、やはり安藤の父か。

 いやしかし、息子のくだらないわがままで果たしてそこまでするものかと。


 やはり真相は闇の中。

 今となっては悩んでも仕方ないことなのかもしれないと、桐生はそのままベッドに寝転んで天井を見上げる。


「桐生君、ちょっといい?」


 そんな時、扉の向こうから加佐見が呼ぶ。


「……なんだよ」

「ごめん、封筒の中にもう一通手紙が入ってたのを見つけてさ。私が読むわけにもいかないから」

「……入れよ」


 桐生が言うと、少し暗い顔のまま加佐見は部屋に入ってくる。


「……」

「加佐見さんまで暗い顔する必要ないだろ。関係ない話なんだから」

「関係なくないもん……桐生君のことだから」

「だから関係ないんだろ。で、手紙って?」

「あ、うん。これ、なんか地図みたいなのも書いてるけど」


 渡された手紙を見ると、そこにはまた店長の字で、今度は短いメッセージが何かの場所を示す地図の上に書かれている。


『よかったら次の職場を紹介しますので、ここに行ってみてください。あと、僕のような弱い人間じゃなく、守りたいものを守れるような、強い大人に桐生君がなれることを祈っています』


 見ると、それは隣町の地図だった。

 そして矢印で指された場所の側には『カフェ・しまだ』と。


「……どこまでおせっかいなんだよあの人は」

「でも、せっかくだから明日行ってみない? 断るにしたって、会うべきだよ」

「そう、だな。どうするかは別として、行くだけ行ってみる」

「じゃあ明日の放課後はちょっと遠征だね」

「なんで加佐見さんもくる気なんだよ」

「えー、だって私も仕事探してるし。二人雇ってくれるってなったらラッキーじゃん」

「……ま、好きにしろよ」

「あはは、出た出た。言われなくても好きにしますよー」

「……」


 加佐見の明るさに桐生は戸惑いながら俯く。

 その様子を見てようやく、加佐見も静かに部屋を出て行く。


 そのあと、桐生はまたベッドに突っ伏して。


 自分のために悲しんでくれる加佐見の暗い顔を思い出しながら、そっと目を閉じた。


 

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