第12話 過ごす時間

「桐生君、ちょっといい?」


 体を洗って再び湯船に浸かってリラックスする桐生に、扉の向こうから加佐見が話しかけてくる。


「なんだよ、もう少し入らせてくれ」

「ううん、それはいいんだけど。なんか、ありがとね」

「ありがとう? 別に、何もしてないけど」

「ううん、桐生君が辛い時に、勝手に自分の都合で押しかけてきた私を置いてくれて、ほんとに嬉しかった。私、なんでもするからじゃんじゃん命令してね」

「命令って……そんな大層な身分じゃないよ俺は」

「あはは、そう言うと思った。じゃあ、自主的に色々させてもらいます」

「好きにしろ……」


 桐生は、そう答えてからまた目を閉じる。


 やがて、外は静かになった。


 本当に加佐見がここに住むんだな、と。

 さっきの会話でそんな実感が強くなると、落ち着かなくなって桐生は風呂を出る。


 そしてキッチンへ向かうと、いい匂いが廊下にまで広がっていた。


「あ、桐生君お風呂ゆっくりできた? もうすぐご飯できるから」

「……ハンバーグか」

「結構昔から自信あるんだ。絶対気に入ると思うよ」

「そこまで自分の料理に自信あるやつも珍しいけど。ま、いただくよ」


 すぐに食卓に料理が運ばれる。

 ハンバーグの他に、炊き立てのご飯とかぼちゃスープまでついてきて、桐生は本当にここが自分の家の食卓かと目を疑った。


「……いただきます」

「ふふっ、私もいただきます。ん、おいしいよ。どうかな、おいしいでしょ?」

「そんなに急かすな……ん。まあ、うまいな」

「なにそのリアクション。もっとなんかさあ、『ああ、嫁にしたいくらいだ』とかないの?」

「俺は絶対そんなこと言わない。あと、うまいものはうまい以上の感想もないだろ」

「ふーん、それじゃちゃんと喜んでくれてる?」

「まあ……うまい飯は嫌いなわけないし」

「ふふっ、よかった。ね、メリットあったでしょ?」

「……」


 桐生はバツが悪そうに箸を進める。 

 ただ、加佐見の料理の味は抜群にうまかった。

 単に好みが合うだけかもと考えたりもしたが、むしろその方が加佐見にとっては誉め言葉になるだろうと、そんなことも口にせず。


 淡々と食事を終えると、加佐見は空いた食器を片付けながら桐生に言う。


「明日、私もバイト先についていっていいかな?」

「……なんでだよ。変な誤解されるから出来れば断りたいが」

「あの店で買ったパン、おいしかったから。ほら、あの系列ってこの辺だとあそこしかないし」

「そういうことなら別に。でも、買ったら帰れよ」

「ふふっ、ずっとお店の外で待ってたりしたら怒る?」

「そういう病んだ女は嫌いだってことだけははっきり言っておいてやる」

「はーい。それじゃ帰ったら先に掃除とかしておこうかな」


 言いながら、加佐見は笑う。

 そして洗い物を始める彼女を置いて、桐生は先に部屋へ戻る。


「じゃあ、あとはよろしく。勉強したら寝るから」

「うん、おやすみ。明日は何時から?」

「十時だけど」

「それじゃ九時までに起こすね。明日の朝はパンだから」

「自分で起きるって……それじゃ」


 勝手に話を進める加佐見のペースに、どうも調子を狂わされる。

 ただ、どこか憎めない。

 それが逆に桐生にとっては厄介でもあった。


「……これからどうなるんだろうな」


 勉強机に向かい、桐生は小さくつぶやく。

 そして、書きかけだった辞表を見つけると、明日で最後になるかもしれないアルバイト先のことを思って、少し気分が塞がる。


 でも、なんにでもいつかは終わりがくる。

 アルバイトをする日々も、学生という身分も、それにこんな歪な同棲生活だって。


「いつ、終わるんだろうな」


 この夜、加佐見は静かだった。

 いつ部屋に戻ったのかもわからず、桐生はただひたすら邪念を振り払うように勉強に打ち込んだ。


 そして深夜になり、眠気が襲ってきたところで床に就く。

 明日も何事もないようにと、祈りながら。



「桐生君、おはよー」


 部屋の外から呼びかける声と、扉をノックする音でうっすらと桐生は目を開ける。


「……ん、まだこんな時間かよ」


 時間は朝の七時。

 もうすこし寝たいと思いながらも、また起こされたらたまらないと部屋の扉の前に行く。


「おい、朝早くにどうしたんだよ」

「あはは、ごめんごめん。桐生君なら朝早いのかなって」

「俺も寝れる時には寝たい普通の高校生だ。ゆっくりさせてくれ」

「そっか、なんか安心した。ごめんね、今度は時間前に起こしにくるから」

「……おやすみ」


 そう言ってまたベッドに戻ってみたが、妙に目が冴えてしまい寝付けない。


 少し目を閉じてゴロゴロしたが、結局眠気がどこかにいってしまい、仕方なく部屋を出てキッチンの方へ行く。


「あれ、桐生君もう起きたの?」

「起こしたのは誰だ。寝れなくなった」

「ごめんなさい、でもたまの早起きっていいと思うよ? ほら、早起きは三文の徳っていうし」

「睡眠時間を削られてる時点でマイナスからのスタートな気がするけどな」


 そんな愚痴を言いながら椅子に座ると、まるでよくできた家政婦のように、加佐見がコーヒーを運んできてくれた。


「はい、沸かしておいたから。インスタントだけど」

「……一体何時から起きてるんだよ」

「なんか、今日からここに住むって思うとワクワクしちゃって。えへへ、おかしいよね」

「人の家に泊まる時なんて落ち着かないもんさ。でも、眠たい時は寝ろよ。ほんとの家政婦じゃないんだから」

「うん、ありがとね。やっぱり桐生君って優しい」

 

 加佐見は自分用のコーヒーを入れて、口をつけると「にがっ」と言いながらまた笑う。


 実に楽しそうで、晴れやかな顔をしている。

 そんな彼女を見ていると、桐生はこれでよかったのかもしれないと、そんなことを思っていた。


「……ま、早く起きたついでだ。テレビでも見るか」

「休日の朝ってあんまり面白い番組してないけどね」

「垂れ流される情報を眺めながら頭の中を空っぽにするのもたまにはいいよ。ずっと考えてたら疲れるし」

「そだね。ぼーっとするのも大事」


 キッチンの隣にあるリビングに置いてあるテレビは、しばらく観ていないせいか少し埃をかぶっていた。


 リビングに移動して正面のソファに座ってテレビをつけると、朝のワイドショーで政治家やコメンテーターが小難しい話をダラダラと。


 そんなものをぼーっと見ていると隣に座っていた加佐見が、コーヒーの入ったカップを置いて桐生にもたれかかる。


「お、おい」

「ふふっ、ちょっとやってみたかったんだ。恋人みたいじゃない、こうすると」

「……恋人ごっこに付き合うオプションまでは泊める条件に含まれてないぞ」

「あはは、そうだね。でも、桐生君となら、ごっこじゃなくてもいいのにな」

「……」


 さすがに好きにしろとも言えず、桐生は黙ってコーヒーを飲む。

 少しだけ肩にかかる加佐見の重みは、多分すごく軽いのだろう。

 ふわっと綿毛が当たったような、そんな感覚。

 だけど、人ひとりの重みは、きっとそんな重量で量れるものではないのだろう。


 責任とか、義務とか、さまざまなものがついて回って。

 そんな重さに自分は果たして耐えられるだろうかと。

 誰かの重さを支えるだけの力が、自分にあるだろうかと。


 静かに隣でテレビを見る加佐見の重みを感じながら、黙ったままそんなことを考えさせられて。


 やがて時間が過ぎていく。

 アルバイトに向かう時間が、やってきた。

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