第6話 大人の事情

「もう時間ないから、バイト行ってくるけど」


 張り切って今から料理を始めようとする加佐見にむかって、桐生はため息まじりに声をかける。


「え、もうそんな時間? そっか、それなら先に洗濯してから買い物でも行ってこようかな」

「……なあ、やっぱりさすがにそこまでは」

「好きにしろっていったの桐生君でしょ。男に二言はなしだよ」

「……」


 そう言われると何も言い返せなかった。

 今度から好きにしろって言葉は加佐見の前では禁句だな、と。

 反省しながら桐生はキッチンのテーブルに合鍵を置く。


「これ、鍵。出かけるなら戸締り頼むよ」

「うん、了解。なんか合鍵預かるなんてエッチだね」

「どこがだよ。じゃあ、ほどほどに」


 加佐見の行ってらっしゃいの声にも特に反応せず、桐生はそのまま家を出てバイト先へ向かう。


 少し薄暗くなった田んぼ道を歩きながら、桐生はぼんやりと考え事をする。

 最近知り合ったばかりの相手に家の留守を頼んで合鍵まで渡して、一体何をやっているんだろう。


 もう、誰も信じないつもりだったのに。

 優しくされたらこうしてすぐ絆されて。

 そんな自分が情けなくなる。

 でも、同時に安心もする。


 こんなに甘い自分なら、きっとなりたくても父のような詐欺師にはなれないだろうと。


 所詮悪人になる器も自分にはない。

 きっと何者にもなれない。

 ただ、それでも歳はとっていく。


 大人になってもきっと、今のように周囲に白い目で見られて一人で暗い部屋と職場を往復するだけの人生かもしれない。

 いくら勉強しても無駄なんじゃないかって気持ちは常にどこかにあったけど。

 加佐見が来てから、少し変わった。


 今日だって、安藤に楯突こうとした。

 以前の自分なら、そのままついていってボコボコにされて終わりだったはずなのに。


「……あいつのせいで、なんかめちゃくちゃだ」


 コンビニの明かりが見えたところで自然と独り言が溢れた。

 でも、どこか憎めない自分もいた。


 きっと、誰かに優しくされることを心のどこかで望んでいたのだろう。

 孤独でいい、誰もいなくていいと言うのは、誰にも相手されない奴の保身からくる言い訳に過ぎない。


 本当は誰かと関わっていたくて、誰かに認めてもらいたくて、誰かにわかってもらいたい。


 そんな人間らしい感情がまだ自分の中にもあるんだなと、思わされることが少し癪だけど。


「……お土産くらいは持って帰ってやるか」


 また、独り言を呟きながら桐生は店の中へ入っていった。



「ありがとうございましたー」


 あいも変わらず暇な店内で時々やってくる客を捌きながらレジをこなす桐生は、シフトの終わりが近づいてきた時に掃除のため店の外へ出る。


 看板には無数の虫たちが光に誘われて群がっている。


 そして喫煙所のあたりにも。

 まるで明るい場所に吸い寄せられた虫のように、たばこを咥えた連中が群がっている。


 まあ、誰がいつどこで何をしていようと関係のない話だが、そこに同級生が混ざっていたのでは話が変わる。

 

 安藤だ。

 煙草をうまそうに吸いながら、取り巻きと楽しそうに談笑している。

 ここは人通りもなく学校からは一番遠いコンビニだから、穴場として利用しているのだろう。


 桐生はとっさに顔を隠して店内へ戻る。

 恐れて、ではなく単に仕事中に絡まれてもめ事になることを避けたかった。


 世話になっているバイト先に迷惑はかけられないと、店の中に戻ってすぐに裏にいた店長へ、安藤たちのことを話しにいく。


「店長、ちょっといいですか」

「ああ、どうしたんだい桐生君」

「今、店前でたばこ吸ってる連中、同級生なんです。でも、俺が注意しても多分聞かないようなやつらで」


 だから店長の方から注意して追い払ってほしい。

 そのつもりで店長に相談した。


 しかし、


「ああ、安藤さんのとこの息子さんだよね。うん、わかってはいるんだけど……」


 店長は言葉を濁す。

 その様子を見て、桐生はなんとなく事情を察する。


「店長にも言いにくい事情があるわけ、ですね」

「ごめん、本当は大人がそういうのを注意しないといけないんだろうけど。安藤さんの家はここらの土地も持っててね。この場所も、安く貸してもらってるって事情があるから言いにくくて」


 そういう大人の事情が複雑に絡み合って社会は成り立っていることを、高校生にもなれば薄々感じとるものだけど。

 そんな理不尽を目の当たりにすると、桐生は少し苛立ちを覚える。

 と、同時に、そういう理不尽に対抗する術なんてないことも、思い知る。


「……わかりました。店長の迷惑になっても仕方ないので目をつぶります」

「ごめん、桐生君」

「あと、あまり彼らと仲良くないので、もし店内に入ってきたらレジをお願いできますか?」

「ああ、わかった。少し裏で休憩しててくれ」


 店長は桐生に代わって店先へ。

 桐生は店長の座っていた椅子に腰かけて一息つく。


 すると、入店音とともに下品な笑い声が遠くから聞こえる。

 安藤たちが店で買い物を始めたようだ。

 

 もちろん桐生は姿を現さない。

 そして、どうやら何かを買っていったようで、安藤たちが帰ったのを確認した後に店長が裏へ戻ってくる。


「ごめん桐生君、もう安藤君たちは帰ったよ」

「そうですか。こんな時間に何を買うものがあるっていうんですかね」

「そ、そうだよね。お菓子とかお茶とか、好き好きに買っていったよ」


 そう話す店長の泳ぐ目を見て、桐生はまた、事情を察するが。

 敢えて何も聞かずにそのまま店内へ戻り仕事を続け、シフト終了の時間がくるとさっさと着替えて静かに店を後にした。


「……たばこ、売ったんだな」


 高校生とわかっていて、それでも彼らにたばこを売った店長を責める気はない。

 ただでさえ暇な店だし、自分の時給だってその店の売り上げから出ているわけで。


 世の中きれいなことばかりではないと、些細なことながらにそう感じさせられた。

 長いものに巻かれるのも、小さな悪を見逃すのも、それは生きるための処世術だと。


「世の中きれいごとだけでは済まされない、か」

 

 そんな話を、おそらく家で待っている加佐見に話してみたらどんな反応をするんだろうか。

 さっきの場面で加佐見がいたら、やっぱり店長の制止を振り切ってでも安藤たちに注意したのだろうか。

 もし安藤たちに店長が煙草を売ったと知ったら、やはり怒りつけるのだろうか。


 真っ暗な帰り道で、そんなことばかり考えていた。

 気が付けば加佐見のことを、加佐見ならどうするかを、加佐見はどう思うかを繰り返し頭の中で巡らせて。


 やがて家が近づいてきたところで桐生は思い出す。


「あ、土産忘れた……」


 ただ、今からどこか買い物ができる場所もなく。


 我が家だというのに少し気まずさを覚えながら、桐生は明かりがついたままの玄関を開ける。


 

 



 



 

 

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